2010年5月23日日曜日

業務事例10:DNP箱根創発の杜 緑地計画

大日本印刷株式会社研修施設におけるランドスケープ計画

当該計画地は、箱根内輪山中腹に位置する国立公園内にあり、元々放置生産林であった区域を研修施設として計画されたものである。開発にあたって、周囲の自然環境に配慮し、開発前の放置生産林から地域的自然林への転換を図り、開発により自然度を低減させるのでなく、積極的に自然度を回復し、企業の環境への取組を具現化出来るような計画とした。


箱根町は外輪山に囲まれ、雲溜まりとなって年間を通して雨量が多く多湿である。霧に覆われることも多く、日照時間が少ない。

芦ノ湖(ギスリ・エリンソン撮影)

計画地周辺の山腹(ギスリ・エリンソン撮影)


地域の環境を考慮し、計画地内の物質のみで緑地の修景をおこない、自然回復と研修施設利用の良好な外部環境を形成する計画を行っている。







自然修景による雨水系(ギスリ・エリンソン撮影)

計画地内で保持された樹木および草本類を再配置した修景
(ギスリ・エリンソン撮影)


計画地内で光環境を整えるために間伐された材を利用して管理路を修景
(ギスリ・エリンソン撮影)


地被類回復期間の土壌流亡を防ぐためのソダ工と石積工


施設導入部の煉瓦舗装は微妙な地形勾配を利用した煉瓦パターンとして排水計画と意匠性
を融合した計画とした。建築施設設計:デネフェス、施工:清水建設、東京ブリック社。
(ギスリ・エリンソン撮影)



雪景色のソダ柵工



雪景色の煉瓦舗装の遊歩路(照明計画:ぼんぼり光環境計画)

また、機能的な動線に対しては煉瓦舗装とし周囲の景観との視覚的な調和も試み、環境へのインパクトの低減を図りながら、自然度を極力維持出来る構造の修景計画を行っている。
(追記:この計画は昨年2010年にAACA芦原義信賞を頂きました。)

2010年5月16日日曜日

ヤマカンピョウ(ヤマクラゲ)


先日、九州産業大学で教えている栗田氏が、長野出張のみやげをくれた。これまでいろいろお土産を持ってきてくれてありがたい。先月は、壇太郎氏からもらったと、イチゴを山ほど持ってきてくれた。これ大振りで小ぶりの美味しいものと比べると、やはりちょっと味が落ちるような気もしたが、一般的にみたらすこぶる美味しかった。逆に形がしっかりしてるから、砂糖控えめで十分形が残るように煮て冷やして食べたら最高。美味しい食べ方考えられるのがいいね。あとはクレープ、ムースなどにして美味しく食べさせてもらった。イチゴのリゾットもしたかったが考えてるうちに食べちまいました。壇さんは、昔麹町でルッフィーノって店を手伝ってた時に、一度、奥さんと食べにきてくれたことがあったな、栗田さん、壇さんによろしくお伝え下さい。

さて、それで今回、栗田氏が持ってきてくれたお土産の中でもっとも美味しい土産に類するものだった。それがヤマカンピョウ。

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これです。もとは何かと言うと、オオバギボウシ。僕がこのオオバギボウシを食べたのは、飛騨古川で民家に暮らす、塚本夫妻のお宅にお邪魔した時だけれど、さっと湯がいて食べる茎の歯触りが美味しかった。その後、都会暮しでは、なかなかオオバギボウシを食べる機会に恵まれないが、これが乾物になっているとは知らなかった。通称「山くらげ」とも呼ばれるそうだ。乾物だけれど、この青々しい感じがとても清々しい印象をあたえる。水戻しも2時間ぐらいで戻るので、使い勝手もいい食材だ。

早速調理してみたが、今回はとりあえずきんぴら。

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醤油と胡麻、唐辛子、そしてごま油がなかったので、ピーナッツのペーストをちょっと足して炒めてみましたが、旨い!白いご飯、酒のつまみに最高です。食べたときの歯触りがパリパリと、牛蒡のきんぴらとはひと味違った美味しさです。土産でくれたものは、有機栽培されたもので、乾物としての鮮度感もあり、もの自体もなかなかいいものだったんじゃないかな。
長野に行く機会があったら、僕も買ってこよう。栗田さんありがとうご馳走さま。(2006.4.20記述)

2010年5月15日土曜日

大豆


醤油や味噌、豆腐、最近では豆乳など、日本の食生活に欠かせない大豆。煮豆や、大豆の水煮を素揚げしてちりめんじゃこと混ぜるご飯なんてすごく美味しい。

ただし、乾物の大豆は保存可能な作物だが、水でえますのと、煮る時間が結構ながい。おかげでなかなか家庭調理の現場では、余裕のある専業家事業を営んでいなきゃ、なかなか使いづらい食材だ。勢いメーカー任せな食材でもあり、最近は水煮のパックや缶詰なんかも売っている。そうなると豆という食材のバリエーションが狭くなっているような気がする。醤油、味噌もいいけれど、もっと最近の食生活に合う食べ方も、他に探してみたい。


大豆を煮て、塩、胡椒、パセリ、バター、そして今回少々パルミジャーノを加え、フードプロセッサーでグィーンとパテに。バター、パルミジャーノは控えめに、付け合わせに使い、保存性のあるものとして、塩を少々強めで(そのまま食べるのなら控えめで)つくってみました。今回はセロリの付け合わせで、他の野菜スティックやクラッカーやパンにつけても良いです。味はまあまあです。塩を控えて肉料理の付け合わせにするのもよさそうです。調理も簡単だし僕的には丸。塩加減とちょっと寝かせて塩が馴染みが大切のようです。

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環境によい有機的な畑作農業として、豆類の栽培は土を良くする重要な農作物と考えられ、味噌、醤油以外にも、国内生産と流通がある程度可能な保存性、そして多様な近代食生活の中で利便性のある食材としての加工を考えてもいいのではないかな、と思うわけです。

先日、薫製の豆腐をいただきましたが、味付けをしすぎ。ただそれを食べるだけのちょっとつまらないものになっていました。豆腐の薫製という考えはいいと思う。なにせ、豆腐は加工食品の割に腐るのも早い。豆腐は美味しくて大好きですが、美味しさにかまけて、ライフサイクルにおける食材としては、かなりの嗜好品です。庶民的な食べ物は安全で保存性の高い食材を考えていく必要が有ると思います。薫製にして保存性が高くなるそれはいいことだと思います。でも今の食生活のあり方を考え食文化となりうる加工を考えて欲しいものです。商売に色気を出した土産品にしてしまわず、自分達の食生活に根付いていきそうな食材を開発していって欲しいものです。

またグリセリンの入った豆腐を食べるぐらいなら、豆腐じゃない食べ方を考えた方がよいとも思うのです。そして、たま~においしい豆腐食べる。醤油も本当に美味しくて良いものを使う。皿に残ってしまうぐらいバシャバシャとは使わない。残さないで大事に使うぐらいのものでなきゃ、本当の日本の食文化とは言えない食材となってしまいます。なぜ食文化が大事かというと、正しい食文化は、生産環境を良くし、国土の環境を保全してくれます。熟成も必要だし醤油ってのも、結構手間暇かかる高価なものですからね。しかも、原料の大豆は国内生産よりも輸入の方が多いっていうじゃないですか、大豆との付き合いは、よくよく見直した方がいいと思うこのごろです。(2006.4.20記述)

2010年5月14日金曜日

黒はんぺんとピーマンのきんぴら風


とんと最近外食が多く、料理はご無沙汰になっている。

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母は女学校の同窓会があるとかで、郷里である静岡へ出かけた。出かけついでに、安物でいいから静岡名物の黒はんぺんを送ってくれるように頼んだ。すると、母の出かけた日だったか、従姉妹から電話があり、黒はんぺんを送ってくれる旨を伝えてくれた。

従姉妹は電話口で、安物でいいというけれど、叔母の家でいつも買っている美味しいはんぺんじゃダメなのか?と聞いてきた。もちろん、ダメな訳ではないのだ。僕が母に伝えたのは、味付けされてやたらと高級感のあるものではなくて、もともとの素朴な素材でつくられたシンプルなものという意味のことだったのだが、額面通り、母は安物の黒はんぺんと、伝えたのであろう。元々、母は他人のいう微妙なニュアンスを解する人でではないし、僕も説明不足だったのかもしれない。こう言う事を言っていると、私ほどデリカシーのある人間はいないと怒りだすから、話しはややこしくなる。とにかく、事のついでにお願いした話で、事がややこしくなるのを避けるべく、詳細を濁し、なんでもいいから安い静岡の黒はんぺんを頼んだ訳なのだが、その後丁寧にも叔母の家では、僕の要求する黒はんぺんを話題にして、確認の電話までよこしてくれたのだった。

従姉妹には、良いようにお任せ願うと、叔母が普段買い求める蒲鉾屋の美味しい黒はんぺんを送ってくれた。宅急便で、こちらに届くや否や、頼んだ当初からイメージしていたものをこしらえた。良い食材が手に入ると、多少忙しくても調理しようという気持ちになるものである。ということで、久々の調理をした訳だ。

黒はんぺんとは、簡単に言えばつみれの平たくなった形状のものだが、表面積が大きいのでほかの出汁が無くてもそれを入れて煮れば美味しい汁がたくさん出てくる。よく里芋などと甘辛く煮込んだりするのを見かけるが、折角の出汁が甘辛くなってしまい煮汁はあまり飲む気がしない。折角の出汁のエキスは捨ててしまう事になるのでもったいない。

そこで、僕は少量の水で薄味で煮る事にする。生で十分に食べられる素材だが煮るのは食感がよくほっくりとさせるためである。沸騰したら八つに裂いたピーマンを入れ、出汁をしみ込ませる。汁気が少ないので蓋をして少し蒸し煮するように調理する。調味料はほとんど使わないが、ご飯との食べ合わせを考えて少々味付けをする。自然塩を少々、甘みを引き出す程度に蜂蜜をほんの少し、そして香りづけに美味しい醤油を数滴たらす。

ピーマンはほとんど煮ずに出汁の香りが少々ついて、鮮やかな緑が出た程度で引き上げる。あくまで湯がくつもり程度だ。そして、残った黒はんぺんは煮えたなぁ、と思うところまで煮て火を止める。

フライパンにピーマン、醤油少々、黒はんぺんの出汁少々、みりんまたは蜂蜜少々、唐辛子少々、を絡めるように汁気が無くなるように煮る。適度にピーマンの歯ごたえが残るようにする。味ははんぺんとの食べ合わせを考えてあまり辛すぎないように。

そして、黒はんぺんとピーマンを一緒に盛りつけて出来上がり。

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ピーマンの苦みと甘みが黒はんぺんとよく合う。
ピーマンはそれだけできんぴらのようにしてもうまいが、黒はんぺんの汁が少し染みるこの合わせ方が味に奥行きが出ていいと思う。

先日、飛騨古川の米をもらったのでそれを炊いて一緒に食べた。久しぶりの自炊は甘かった。ごちそうさま。
静岡の黒はんぺんは、フライにしても美味しい。従姉妹がその食べ方を薦めてくれた。たしかに、母は静岡に帰郷するたびに黒はんぺんを買ってきては時折フライにして夕食に出していた。しかしながら、今はひとりでいるので、揚げ物は後片付けも面倒でさすがにやる気にはなれない。また、いつかどこかでご相伴に預かりたいものである。(2006.10.22記述)

後記)
昨年(2010年)、お世話になった人にこの黒はんぺんを送ろうとしたら、従兄弟に「黒はんぺんなんて、貧しい食い物だったんだから、こんなの送るなんて相手に失礼だよ。」と言われた。特に反論もしなかったが、貧しき中にその土地の暮らしの知恵や気持ちがあって、便利な世の中、裕福な世の中になっても、そういうことを大事にしていかなければ、いつか風土自然から痛い思いをさせられると、いつも私は考えている。清貧と言わないまでも、そうした心持ちが大事だと思うのだか........2011年3月11日、大震災で多くの人の命が奪われた、そして福島第一原発は被災中である。1ヶ月が経ち、人々は原発のことを他人事のように思いはじめている人も大勢いいることだろう。マスメディアに騙されたい人が多くいるような気がしてならない。人間とは愚かだ。..........人間の清貧さの方が、今や絵に描いた餅なのかもしれない。多くの人間(日本人)は享楽の麻薬の海に溺れ、死を感じずに死ぬることを選んでいるのか?

2010年5月13日木曜日

麻婆豆腐


森のボランティアに参加して、時々大磯で山の手入れをしているのだが、先日、一緒に草刈りをしている杉山先生から麻婆豆腐の所以を聞いた。杉山先生を「先生」と呼ぶのは、大学でアジア文化を専門とする先生らしいからだが、詳しい事は伺った事がない。
汗をかきかき草刈りをしながら雑談で麻婆豆腐の話しになったわけだ。

「麻婆豆腐」というのは、もともと「馬婆豆腐」だったのだという。つまり、「馬(マー)婆さんの豆腐」ということだ。それが、何時の頃からか「麻(マー)=辛いもの」という字に置き換わったのだそうだ。ウィディペキアによると清の時代、四川省成都の陳森富の妻、劉氏によって考案されたもので、「麻婆」とは「アバタ顔の婆さん」ということらしいが、どちらの説が正しいか興味のある人はもっと調べてみてください。

さて、その「マー婆さん」は何れにしても実在の人物で今でも四川にあるマー婆さんの店は続いているという。多分、マー婆さんはとっくに亡くなっていると思うが、麻婆豆腐発祥の店で今でも元祖の麻婆豆腐が食べられるそうだ。杉山先生はその店で食べた事があるそうだが、随分と辛いものらしい。たしかに四川の料理は基本的に辛い。一般的な日本人には、あまり好まれないかもしれない。

その昔、貧乏な若者や労働者達に、腹一杯に美味しいものを食べさせてあげたい。そう思ってマー婆さんが、あり合わせのもので作った料理だという。基本的には、ご飯の上に調理された具材がかかったものだそうで、日本人にとっては「麻婆丼」と言った方が良いかもしれない。

その夜、麻婆豆腐をつくってみた。四川の麻婆豆腐はかなり山椒が利いているという事なので、本場感を味わおうと目一杯限界と思われるぐらい山椒をいれてみた。いやぁー、シビれるぅー。まずこの味は、他人には提供できないぐらい痺れた。

しかし、自分の舌を痺れさせながら、中途半端な調味では分からない事が分かった気がした。舌が痺れて、「甘い」とか「辛い」「しょっぱい」といった味覚がわからなくなってくる。そのかわり「うまみ」みたいな味わいが妙に際立つ。普段、山椒をちょっと振りかけて「香り」だのちょっとした「辛味」だのが良い等と言われたりしているが、それでは本来の山椒の醍醐味はわからないものだ。その神髄は強烈な旨味への誘導だったのだ!「舌の感覚を麻痺させて旨味部分に舌を集中させること」だということなんじゃないか!山椒の辛味は唐辛子や胡椒とはちょっと違うことは周知のことだが、蒲焼きや焼き鳥以外に隠し味としてもっと使ってみてもよいのでは!という発見に、その日僕は多いに満足した。

ちなみに、その日の麻婆豆腐の材料は、ネギ、豆腐、ショウガ、ピーマン、豚挽肉、胡麻油、塩、胡椒、豆板醤、山椒、というもの。ピーマンは唐辛子っぽい食感を足すため、水解き片栗粉は割愛、レシピを確認せずに適当な食材を用意してみた。(麻婆豆腐 2008.6.24記述)

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2010年5月12日水曜日

ウリズン



脇町の川下さんの畑からウリズン(四角豆)とツルムラサキを頂いてきたので、早速調理してみる。味を確かめたかったので、あっさりと塩、胡椒、オリーブオイルで炒めてみる。

ウリズンはさっぱりとほのかな苦味とぱりっとした食感が良い。癖がなく何にでも合いそうだ。ツルムラサキはたべると少しぬめりがある。このぬめりを活かした食べ方がよい。多分、さっとゆでてかつお節と醤油で食べたり、納豆などと混ぜてもいいかもしれない。見た目の紫の茎がちょっとした彩りになって良いと思う。

取りあえず僕は、ウリズンをパスタと一緒に茹でたり、マヨネーズでスティック野菜のように食べたりして、見た目の変わった感じを楽しみたい気になった。四角豆とも呼ばれるこの豆は英語ではウィングドビーンズと呼ばれるらしい。確かに羽っぽい感じがして、うきうきさせて明るい感じのする野菜だ。

沖縄を中心に栽培されているこのウリズン、最近は四国でも栽培されるようになってきているという。熟して中の豆を食べたり、根の部分をイモとして食べても良いそうだ。(ウリズンとツルムラサキ 2004.9.5記述)


上ツルムラサキ、下ウリズン
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ウリズンは湯がいてさましてサラダ感覚で食べれば良い。湯がくと鮮やかな緑になる。これはクセが無く見た目が派手なので結構料理店ではウケると思うのだが、関東では滅多にお目にかかる事が無い。聞くところによると、築地には出ている事があるそうだが、そんなに人気がないそうだ。多分、普通の人がほとんど知らないためだろう。まぁまず知られたら、サヤインゲンぐらいのメジャーにはなれると思うのですが。覚えたら忘れない形だし、味も何にでも合わせられる、中華でも、和食でも、洋食でもいけるはずなのだから。私的にはお薦めな食材です。


久しく四国へは出掛ける事も無いのだが、徳島に住む佐藤氏から採れたてのウリズンとナス、そしてスダチを頂いた。個々最近調理環境の整っていない私のところではうまく料理する事がかなわないので、近くの懇意にさせて頂いている和食店へ持ち込んだ。

ちょっとウリズンは置いておいて、佐藤さんメイン栽培のナスを親方はスキ焼き風に仕立ててくれた。

写真を撮ろうと思っていたが、食い気が勝って先に箸が出てしまった。食べかけ途中でなんだが、スキヤキの旨味をナスが程よく吸って中々いい案配で美味。その後、松茸土瓶蒸しにスダチを添えていただいた。フレッシュで良し。佐藤さん、親方、ごっつぁんでした。(佐藤氏よりウリズン等頂く 2009.9.28記述)


写真は、上段が湯がく前のウリズン
中央はナスのすき焼き風、下段は松茸土瓶蒸し
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2010年5月9日日曜日

ハイチでショーン・ペン、...しかし救援体制も、環境も混沌と。

ショーンは行動力を発揮して、協力者と自費を投じてハイチで避難テント村を自ら立ち上げ、現場で活動する。日本の自衛隊PKOが活動しているのもこのテント村。彼の語りは、映画「タップス」で、ティモシー・ハットンやトム・クルーズと共に魅せた若い士官学生の熱い正義感と意志を思い出させる。ハイチの現場でも、より熱い意志と闘志をみせているが、苦闘もよりリアルなようだ。

現地での直接的な救助は目を引くが、彼は、その知名度を活かしながらも分かりやすいヒーロー的な行動よりも、その背後にある問題に憤り、問題の解決に立ち向かっている。援助をしたくても援助が出来ない、必要なところに必要なものを与えることができない、様々な組織の既得権、社会的で複雑な問題が、物資供給や医療活動などの救援を困難なものにしている。現地は衛生状況の悪化から呼吸器感染症(これはCNNのタイトルにもある通りジフテリアという奴だ)、下痢等の発生率が上昇。雨期に入り、伝染病の感染リスクもさらに高まる等、いまだ先の見えない混沌とした状況が続いている。6月に入れば、追い打ちをかけるようにハリケーンの到来予想され、救援や体制の立て直しが滞れば、さらなる事態の悪化を招くことになる。

「ハイチに迫るジフテリア流行の脅威」CNN




Added On May 8, 2010
CNN's Anderson Cooper talks with Sean Penn and Dr. Sanjay Gupta about the threat of diptheria in Haiti.

2010年5月7日金曜日

普天間基地問題_他(日記メモ)

時として何が真実なのかということを伺い知る事が非常に難しいことがある。特に情報の世界、マスメディアでは、時としてというよりも、常にほぼ真実は語られることがないのだと思っていた方が無難だともいえる。

普天間基地の移設について直接鳩山首相自らが現地へ出掛けたことについて、色々と言われるが、敗戦の過去から続く大局的で重要な意味について解き明かそうとする日本のマスメディアは全く見られない。仮にあったとしても、特にNHKのニュース報道に見られる無思考の情報伝達の圧倒性で、かき消されてしまう。なにもNHKを悪者にしようということではない。あくまで象徴的だというのである。ものをつくるということには、必ず意図がある。意図が無ければ、ものをつくること自体が不可能なのだ。だから、極端に言えば、NHKのニュースには、例えば、「なるべく恣意性を持たせない」という意図があるのである。

人間というのは単純で、嫌なものであれ、好きなものであれ、メッセージがあるものに強く反応する。メッセージとは「恣意性のある情報」ということになる。逆に、メッセージ性の低いものは当然、相対的に無関心になっていく。

だから、「事実性に努めるためにメッセージ性(恣意性)を排除する情報」とは、結果的に物事への無関心を煽る恣意性を与えることになる。

例えば、殺人事件があったとして、その報道は、会話風にするとこんな風になる。無関心を煽りながら情報を伝えるとはこんな感じの会話に近い。

「そんな大した話じゃないんだけど....いや、ほんと大した話じゃなくて、実は今日、人が殺されちゃって......あ、でも一人だけだから。沢山死んだ訳じゃないから。すぐに警察来たし。そういうこともあるんだなぁ、みたいな。そんな感じ。ごめんなさい、つまんない話しちゃって。で、でね、話し変わっちゃうんだけど、巨人優勝したの知ってたぁ?そうそう、すごくもりあがったの、それにしても明日の天気、雨だってのよ。最近、雨が多くて困るわね、ほんと。」
(何故か、林家木久蔵かオカマ的な台詞まわしになってしまった気がする............笑。)

必ず、スポーツや天気の話で話題転換するのも、無関心へ導く古典的な手段だ。

確かに、いちいち生活の中で重苦しい話題を聴きたい訳でもないし、目の前の生活に追われていればなおさらな訳だから。ご近所の会話ならそんなもので良い訳なのだが、「報道」とはなんなのか、それを考えた時、こうした無関心を思考させるような話法と提示の仕方は問題だと思わざるおえない。

また、それを聞く側、視る側も漠然と受け入れては行けないのではないかと思う。例えば、民間のメディアなら、その民間企業の利益性に基づいて、どのような意図性を持っているのかを知って、自分なりに吟味出来るようにしている事が大切だと思う。

さて、普天間の話題に戻ると、
首相、もしくはその周辺での思案があったのかどうかは分からないが、例え自民党時代の政策と変わりがない結果を得たとしても、近年のこれまでの自民党首相が全く出向かず、官僚主導で政策を進める事からすれば、現地入りして、直接の対話を試みたということは、これまでの政府のありかたと大きな違いと進展があるように思うのである。

それは、特に諸外国への対外的な日本の状況のアピールという点でのことと思う。

日本国政府の首長が、その立場からの表明をする。そして、沖縄、徳之島の首長がその立場からの表明をする。そして各々の正反対の表明によって対立する事で、ようやく米軍基地の存在が、問題として社会化されたのであり、アメリカに対して、あるいはその他の諸外国に対して、単純にアメリカ主導の国ではなく、日本という国が、様々な人間の思いによって成立しているのであるという事を知らしめ、日本との交渉を考えさせることになり、官僚を丸め込むだけでは国を動かせない、という事実を国外に突きつけることになるのだと思う。この国内の対立構造こそが、対米交渉のお膳立てである事は言うまでもない。我々は、アメリカ合衆国に極東の局所的な話だと思って交渉されては、有利な交渉は得られないのだから、国政を揺るがす大問題と捉えてもらうのが、アメリカ合衆国との交渉の上で最善なのである。

沖縄サミットが行われたのは、沖縄が日本国であるという事をプレゼンテーションするには、とても良い機会であった。ただし、これは沖縄が沖縄として日本国の一部としての事実性を成立するためのはじまりに過ぎなかったのである。

そして、今回ようやく、沖縄が請け負っている国際社会での役割がほんとうになんなのか?そして他の全ての日本国内の地域社会がこれに寄りかかている。本来、国内の全ての地域主権の担保として、誰もが目を背けることができない問題がある。その事を国内の問題として諸外国に対して、沖縄の基地問題を日本国に社会化するということである。

それが普天間の移設問題の重要なポイントであり、これを乗り越える事が沖縄を初めて日本国の一員として全ての地域社会が認め、受け入れていく事になるという事なのである。(それとも徳之島を含め内地の人間は、沖縄を日本から切り離しても良いと思っている?)

国内の話に転じてみれば、自立するのか、共同するのか、これまで不在であった対話をはじめなければならないという事を全国民に突きつけることなのである。ひとたび、沖縄が請け負えないとなれば、徳之島をはじめ、日本のどこかがその代わりの負担を背負わなければならない。

最大野党自民党谷垣氏の発言は、本来、こうしたようやく社会化された論点を進展させるための発言でなければならないはずであったが、全く国民の利益になる発言の一つもなく、ただ漠然と与党批判をするだけ。こんな党がこれまで政権を担っていたのかと思うと、これまでの政治の歩みの程度の低さを実感するばかりである。だからといって、民主党にまだ諸手を揚げられる訳でもないのだが。

ちなみに、私の家の近くには厚木飛行場、座間ベースがあり、昔、米軍機が墜落した現場が数百メートルのところにある。私自身、何十年と基地近隣で暮らしてきた。太平洋戦争の沖縄、返還までの沖縄については私自身も知る由もないが、少なくとも基地に隣接する暮らしの不利益を長年経験している私からすれば、対外的な問題、つまり地域では解決出来ない問題の詳細について、メディアも多くの日本人も表面的な扱いが多すぎると思う。

普天間が、あるいは徳之島が、あるいはいかなる日本国場所においても、敗戦から65年、戦争終結から58年、沖縄返還から38年。経済大国だの、バブルがどうの、国連常任理事国入がどうの、といったところで敗戦国の状況はまだ続いているし、かといって野に解き放たれて自立性の担保すらおぼつかない国に、真の意味での国際的な優位性等何も無いことをよく理解すべきだと思う。自信を持つ事は大事だが、現実を無視することもできないのだから。

我々はまず「日米地位協定」の見直しを国内全ての地域の人々が目を背けずに吟味しなければならない。そして、改正するようにしむけて頂きたいと思う。それが、移転問題と同時に、もっとも重要な優占されるべき懸案事項なのではないだろうか。

メディアが騒ぎ立てる話題に、漠然と耳を傾け、漠然と同調したりする前に、よく話を吟味する。それが、現代人の責任だ。自民党の問題でも、民主党の問題でも、鳩山氏の問題でもない。自分の対話の問題なのだ。


Japan's PM backtracks on US base

Yukio Hatoyama, Japan's prime minister, says it will be impossible to completely move a key US military base out of Okinawa. The decision means Hatoyama is backtracking on a key election promise, the issue continues to divide the people on the island. Rob McBride reports from Okinawa. [Published 04 May 2010 19:15]