2013年11月5日火曜日

峠越えの深山を車窓から

この時期、街から街へ移動する途中、峠を通過する度に山々が全面に紅葉している姿をみる。気温の寒暖を体で感じ短い秋、冬への移り変わりを予感しながら過ごすこの季節だが、深山(みやま)の移ろいを目にして、増々冬の到来をすぐそこに感じるのである。



自然というものは、普段の人間の都市的な生活観からは茫洋としている。少なくとも今の多くの人々の生活から出てくる自然に向けられた言葉というのものは、私にとって焦点の定まらないものを観るような言葉に聞こえる事が多い。私とて都市的な時間に追われて鈍感になっているのだと思う。
この季節の北の地方の目の覚めるような鮮やかな発色の良い紅や黄色の紅葉は、はっきりと自然がみせてくれる折り目というものなのではないだろうか。

今の時期、町中の街路樹や公園の緑ではなく、過ぎ行く車窓からでも見える自然のそれらを、何をそんなに凝視しているのかと思われるほど、目を凝らてみたい。

私たちが当たり前に思っている紅葉という現象は、落葉樹が光合成を休止して葉に含まれるアントシアニンなどからの色素が表にでてくるのだが、その紅葉の理由というものの科学的根拠は未だ解明されていないという。紅葉という当たり前に思えるこの現象、そして私たちにこんなに季節の折り目として精神的な作用を及ぼす現象の何もかもがわかっていないのだ。だから、私たちはこの現象を今のところ肌でフルに感じる事でしか、その意味を理解できないし、そうやって理解する事が如何にも大事な気がするのである。(2013.11.05 田賀記す)