2017年6月26日月曜日

道路の管理

痛ましい事故が起きた。
道路沿いの街路樹の管理は当然の事なのだが、必要な事だが何でもかんでも伐採すればいいという事ではないと思う。
街路樹とは別に、山道について周囲の山林の管理は10年ごとに行うなど、道路管理の一環として行う必要があるとおもう。

私の提案としては道路路肩から10〜15メートルの範囲で、里山管理のように道路管理がなされれば山林環境にとっても、道路の安全性にとってもよい。
是非、考えてほしいものだ。

私が関わっている道普請事業などでも、なかなかその周辺管理について理解が得られないのだが、こうした事故を機に検討する機会としてほしいとおもう。




倒木が乗用車直撃 運転の男性死亡 熊本

25日夜、熊本市内の県道で、高さ9メートル余りの木が倒れて走ってきた乗用車を直撃し、運転していた32歳の男性が死亡しました。倒れた木は古く、根元が腐っていた可能性があり、警察が原因を調べています。
25日午後7時半ごろ、熊本市東区下南部の県道で、道路脇の斜面から、高さ9メートル余りの木が倒れて、走ってきた乗用車を直撃しました。

この事故で車を運転していた熊本市東区渡鹿の介護士、小島由裕さんが(32)頭などを強く打って病院に運ばれましたが、およそ1時間半後に死亡しました。

また、小島さんの後ろを走っていた軽乗用車も倒れた木に接触し、バンパーが壊れるなどしたということです。

道路を管理する熊本市東部土木センターによりますと、倒れた木は直径がおよそ50センチあったということです。

現場では大雨による土砂崩れなどは確認されていないということで、倒れた木は古く、根元が腐っていた可能性があることから警察が原因を調べています。

2017年6月11日日曜日

基地

辺野古に限らないですが、沖縄が返還される1972年ごろまで、父の仕事の関係で進駐軍や自衛隊の基地の内側に暮らし、子供自分の目で見てきた、フェンスの内側からデモ隊やら米軍人や自衛隊員の日常の姿、フェンスに塗られた塗料やサビの匂い、刈り払われた周囲の草の萌える匂い、門兵のいる小屋、戦闘機やヘリの音、悲しいような清々しいような、悔しいような優しいような、なんとも言えぬ、混沌とした感覚はなんとも伝え難く、基地の存在がある種の自分のアイデンティティとなってしまっている、辺野古の基地に着くと熱く込み上げてくるものがありました。戦争体験者ではありませんが「さとうきび畑」という歌の、ざわわ、という響きやウチナーグチの歌詞に重ね合わせてみることができます。
自分が辺野古に唐突に行った意味はもしかしたらあまり伝わらないのかもしれません。沖縄のひとの思いとも全く違うのかもしれません。
ただ、わたしはこの国が、私たちの暮らしが、薄っぺらな政治家や権力者の手によって踏みにじられ、踏みにじられることに無感覚になっていくことが耐えられません。


(写真は、辺野古のキャンプシュワブではなく近所の厚木基地です。)

さとうきび畑 寺島尚彦
ざわわ ざわわ ざわわ 広いサトウキビ畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる 夏の陽射しのなかで
(ちゅぅんみぃゆるかじり  みどぅりぬなみがもぉいん(舞う)なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
むかし海の向こうから いくさがやってきた 夏の陽射しのなかで
(んかし海ぬかぁま(彼方)から いくさがゆしてぃちっい なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
 
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった 夏の陽射しのなかで
(あぬひぃかんぼぉぅ(艦砲)ぬあみ(雨)んかい すぃ(父)やうちゅくゎぁってぃ なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)

2017年6月9日金曜日

銀山街道の雪解け後の今年度の初踏査(2017年6月1日)

銀山街道銀山峠付近の雪解け後の今年度の初踏査(2017年6月1日)を行いました。
峠道入り口のお手製の看板には、昨年作成されてた銀山街道のロゴが焼印されて、少しずつではあるが一般の方々の利用に向けて整備が進んでいます。

昨年同様にナラ枯れの影響による立ち枯れ、倒木が多く散見された。今年度は根こそぎ倒木する状況が増えている。
今回の踏査より先に行った束松峠での踏査でも、山林はナラ枯れの状況であったが束松周辺は一時期のナラ枯れのピークは過ぎ去ったように思われ、ミズナラの枯れた後にはモミジの仲間が中低木層に多く見られ、ミズナラ林から、いずれモミジを中心とした林に遷移していくように感じられました。

今回踏査の銀山峠付近は、まだそこまでの様子は感じられず、ミズナラの実生が多く次世代として見られるように感じました。現在のように放置していると、ミズナラの立ち枯れが増えるのか、束松付近のようにモミジの林に遷移するのか、まだわかりません。

いずれにしても、山道の管理(あるいは逆に、山林を管理するための山道)を考える時、その山林保全の意味、効率性や合理性から、道のルート左右10〜15メートルずつを道の管理対象とした施策とすることが必要に思います。



山道を整備して人の手が入った道と林の境界のところには、ヒメシャガが徐々に昨年より今年と広がっています。


銀山峠道入口付近と案内記名板

スギ林の林床にはミズナラの実生が多い

一昨年からの根こそぎ倒木した状況(ミズナラ)


立ち枯れしたミズナラも昨年より増えている
今年度の倒木状況

山道の整備によってヒメシャガの群落が拡大している
人の活動が在来の花の開花というかたちで景観に顕われる

踏査のようす
 



キャンプシュワブゲート前

先日、何か自分の中で、いてもたってもいられず、弾丸で辺野古へ行きトンボ帰り。
辺野古の集落は、ベトナム戦争の時代からの残像が残る。沖縄北部集落の過疎化や地域だけでは解決しがたい中央の様々な事情によってねじ曲げられた経過を静かな海を前に感じます。そしてその海も今、中央の勝手な事情で改変されようとしている。
沖縄の人、おじいやおばあの活動はただ基地がどうしたということだけではないのだろうと実感してきました。
キャンプシュワブゲート前に行って、少額ながら活動寄付させてもらってきました。工事車両の入場口はアルソックが通常警備、工事車両の出入りの時に警察が工事車両警備に来ているようです。座り込み抗議の方々は、水曜日が毎週の活動の中心で、常時毎日何人かの方がゲート前に詰めておられます。行くと丁寧に説明くださいました。
そして、数日後、お礼のハガキを丁寧に頂いた。(2017年6月9日 田賀記)

辺野古集落風景

辺野古集落すぐ横のキャンプシュワブゲート前

座り込みの方々から頂いたハガキ