2018年9月24日月曜日

イノシシの親子に会った日

ひとり作業というのは、ペースをつかむのが難しい。会津の山間の散村の農地の通りすがり年配の方がひとりで作業をしている様子を見るといつも尊敬の眼差しになる。よく誰もいない山間でひとり淡々と作業ができるものだと。
それでも自分なりに作業そするわけだが、合間に休憩をとり適当な場所に横たわってみる。存在感を消して静かにしていると、、、自分の作業するような場所はそんなに野生でもないのだが結構いろんなのがやってくる。ヤマガラ、キジ、ホンドジカ、イノシシなど。




先日は、フゴぉ、と鼻息が聞こえたので、体を起こしてみるとイノシシとウリボウが二頭、多分母親と二頭の子なんだろう、こちらに気づかず、僕の作った道をフゴフゴと鼻を擦り付けながら何やらやっている。道は僕の横たわったところから一つ草むらを隔てているので、何を物色しているのかわからない。とにかく僕には気づかず、仲睦まじく道をうろうろしているので、あぁ、ひとだけじゃなく、獣にも利用されて、よかったなぁ、と思いながら眺めていた。「僕た作った」というのは、結構おごった言い方で、元々獣道だったところをひとも通りやすくしたという道なので、彼らが使っていた道であって、別に僕が作ったと威張れるものではないのだけれど。
じーっと、見ていたら、さすがに母親が気付いて、僕を見つけて驚いたように、フゴォ!っと、鼻息を鳴らして、一瞬緊張が走ったが、ウリボウ達を連れて逃げていった。



あとで、何を物色していたのか見に行くと、ヤマボウシの実を物色していたようだった。僕が竹ぼうきで掃いたあとに落ちたヤマボウシの実は、見つけやすかったのか?それとも、下草に覆われていた方がヤマボウシの実は食べやすいのか?
どちらだかわからないが、僕は前者のように考えて、やや満足げな気分になり、里山的な管理というのも実に良いものだと自画自賛した。
ちなみに周囲では、ぬた場にされて荒らされたり、ミミズを探して掘り返されたりして、獣害ということになっているが、僕が管理している緑地では、それはそれとして風景と呼んで(風景となるようにしつらえてあるとも言えるが)、獣害とはしていない。

イノシシよ、ありがとう。なんか君らに会えてよかったよ。

映画やドラマでの女性の入浴シーンというのは、作り手側にとっても観る側にとってもとてもエキサイティングなものだ。水戸黄門での由美かおるみたいなお色気シーンというのもあるが、古くは成瀬巳喜男監督の「浮雲」での高峰秀子と森雅之の入浴場面は人里離れた幻想的な映画でしか得られない男女の影のある甘味なイメージをあたえてくれる。
「泥の河」での藤田弓子の入浴場面は母性の持つ偉大さを最大限に観るものに与えてくれる、田村高廣のおっちゃんと対をなす重要な場面だとおもう。
そして、印象深いのは今村昌平監督の「黒い雨」。うら若き女性が被曝に冒されていることを若い美しい女性の肢体に強烈なコントラストとして見せつける。キャンディーズを引退して、女優として初めて復帰した田中好子の入浴場面ということもあり、衝撃的で実に効果的な演出だった。
興味がおありの方は、ぜひ本編をご覧ください↓。
(是非、興味のある方に観てもらいたいので、写真拝借しておりますが、問題があるようでしたらご連絡ください。)