銀山峠踏査(2023年6月26日実施)。
2023年6月28日水曜日
踏査、前年度の作業を確認して考えること。会津銀山街道銀山峠道普請から。
2023年4月10日月曜日
近自然工法でできた引地川の景色
【緑地・河川公園】引地川河畔
ここは私が学生だった頃、コンクリート貼りの三面護岸だったところだが徐々に近自然工法により整備され、上流部の水源地と周囲の樹林も自然に残す形で公園化された。
自然風護岸という括弧付きの自然でははあるが、都市化された市街の緑地としては市民の憩いの場としてそれなりにおさまっている。
最近の利用者のマナー、特にゴミの放置が問題となり、大々的な花見宴会やキャンピング的な行為は制限されてしまったようだが、弁当とお茶を持ってきてボチボチと楽しむ分には良いみたいだ。
今時期、ムラサキハナナが桜の後も河畔に咲き続けてて、楽しませてくれる。ムラサキハナナとは、紫の花の咲く菜、ということのようだ。明治以前からある帰化した植物らしいが、ここでは多分計画的に植えられたものだと思う。帰化植物だが観賞用に一応種なども販売されているようだが、「菜」というぐらいで食べられもするらしい。一度、御浸しにでもして食べてみたい。
桜の時期は短いし、人でも多いが、小さな花々も咲いていて、桜の後でも陽気の良い時期、桜の後の時期梅雨入り前までは和んで過ごせそうだ。
この辺りは水源地であったこと、厚木飛行場の騒音の為か市街化があまり進まなかった事、そんなことで貴重な首都近郊の緑地として残されている。
平野の樹林(小貝川の段丘斜面林)
【樹林形成・緑地】小貝川段丘緑地(ケヤキ、シラカシ、モウソウチク、ネザサなど)
関東平野は日本の中でも広大な平地が続く。
人は平地を耕作地に開発してきた。すっかり見渡す限り、人の暮らしに直接資する農地と市街地と道路ばかりが目立つが、よく見ると細長く続く樹林が見える。平地にあっても河川の長年の歴史によって生み出された段丘斜面があって、利用効率の悪い斜面が緑地(樹林)として残されているのがわかる。
遠目からは落葉樹と常緑樹の混交林といった雰囲気だが、実際はどんなものか。
遠目からは高さをあまり感じないが、斜面の高さは12〜15メートルはあるようだ。斜面の角度が45度だとしても緑地の幅は15メートルはあることになる。それが小貝川に沿って何キロも続いているのだから、農地と市街地が広がる土地としては貴重な樹林だと思う。
近づいてみると、真っ先に目立って見えるのはネザサと竹林なのであった。
斜面下に立つと、貴重な樹林はみっちりと隙間なくネザサや竹に覆われて、遠くにポツポツとケヤキの大木が見える程度だ。合間にはもしかしたらケヤキやカシの稚樹がいたりするのかもしれないが、明らかに旺盛なのは竹林だ。
このまま放置していれば、そのうち斜面は竹林だけになってしまうのかもしれない。
肥料も薪も必要としない現代においては、竹林だろうが賊樹林だろうがどうでもいいのだろう。
しかし、もう少し残された緑地(斜面林)の有り様を考えてみても良いのではないだろうか、と要らぬ心配をしてしまった。
大木と竹林では人がわざわざ入っていきたくはない面倒な緑地にしか見えないのかもしれない。
自然にとってはそれでいいのかもしれない。ただ、どんどんと人の暮らしの調和という感覚はどんどん薄れていくように思えてくる。
2023年4月8日土曜日
梅林と海軍道路の桜並木
【樹林形成・緑地】
横浜市の西、大和市との境あたりに「海軍道路」と呼ばれる道がある。
桜の街路樹が延々と続く道。あたりには建物らしい建物がほとんどない、首都圏近郊では珍しい場所。サクラの並木が広大な原っぱに続いているが、子供の頃と比べると並木が片側だけの区間になったり、幹線道路からの入口付近は道路拡幅や道路線形の変更が行われ並木そのものがなくなってしまったり、ソメイヨシノは管理が大変ということで伐採されて歯抜けになっているところも目立ち、徐々に桜並木の景色が失われてきている。県や市はどうやらこの桜並木を残す気は無いらしい。
明治神宮の森が今、開発の波に晒されているように、このあたりも開発の計画があるようで、開発が進めば、この桜並木もいずれなくなってしまうのだろう。
海軍道路とは
旧日本海軍の弾薬庫だった場所の敷地内道路だった。
桜並木は戦後のものではないだろうか。まだ調べていないのでわからない。
戦後、弾薬庫は進駐軍に接収され、つい最近まで米軍の通信基地となっていたが、
衛星による通信が発達しその役目が終わり、日本に返還された。こうした米軍の土地は沖縄県に次いで神奈川県が多い。私の家の近くでは厚木飛行場や座間ベースなどがある。
自分は米軍になってからの海軍道路しか知らなかったので、米軍の海軍の道ということかと思っていたが、日本の海軍の道だった。
首都圏近郊になる広大な緑地は概ね240ヘクタールほどあるという。
貴重な緑地がこれから開発の憂き目に合うという事なのだが、2023年現在の日本の景気状況では目処が立たず、あまり開発は進んでいないようである。
戦前は海軍の弾薬庫、戦後すぐには軍から地元の農家に払い下げられたが、その後進駐軍に接収されてしまった。この接収されるまでの間は戦後動乱の食糧難の時期で、払い下げられた土地は畑となり食糧生産の現場となっていたという。
その後、通信基地の規模が縮小され1ヘクタールに満たない大きさで地元農家に払い下げられたらしい。それで親の代で梅林にしたのだとここで出会った農作業をしている地元の年配の方に伺った。結局、地元の地権者は時代に翻弄されて2度土地を買わされているみたいな事になって、そして今、開発するとかなんとかで、買い上げが進められているらしいのだが、それで明け渡す際に、梅林を撤去しなければならないらしく、一部伐採したものの、不景気のためか、現在(2023年4月現在)明け渡しが伸びてしまっているそうだ。
目につくのはバックホウで造成のようなことをしている場所。もう開発の造成が入っている場所もあるのかと思ったら、都心のトンネル工事などで排出された土の置き場になっているということだった。
野良仕事をしていた老人は、土地が時代に翻弄されてきたことを経験した為か、こういう時は波に飲まれてあらぬ事になってしまうから静かにしているのが一番良い、と言っていた。
権力や世界の情勢に付き合わされて跳ね飛ばされていく人がいたのを見てきたのだろう。
梅林)
彼の農地には梅林が植えられていて、3つに区分されている。一つは草刈も剪定も漁れている管理された梅林、そして全く管理をしていない枝が密集し地面も草刈されていない梅林、そしてその合間にある畑。畑の合間には梅の根株が残っていたりしているので、最近まで全体的に梅林だったことが伺える。
先に書いた通り、梅林を処分してくれと言われて、処分し初めたのだが、結局まだ引き取ってくれないので、ネギなどを植えて畑にしているとのことだった。管理している梅林は欲しいという人がいるのでやっているらしく、管理していない梅林は売れもしないし、管理も大変なのでそのままという状態だということだった。
人の暮らしも社会に惑わされていくが、身動きの取れない植物は人の都合で植えられたり切られたりと、身勝手な人間に難儀している。それでも息吸うことすら人の生存に不可欠な植物たちは、人間の身勝手な活動をゆっくりと見守り、文明が止まれば自然の力として覆い被さってくる。だから、気にすることもないと言えば無いのだが、どちらかといえば人間にとって良好な暮らしには、植物との調和的な暮らしや個人、公共に関わらずもっと多くの適正な緑地を確保し良好な景観形成していくことが必要に思う。むしろ植物のためではなく、人間のために植物との調和的な環境が必要なのでは無いだろうか。
(文章がまとまっていないようにも感じるが、メモ書きとして、20230408田賀)
2023年2月24日金曜日
なまらないように(ある日)
お籠もりが続き足腰が弱る。マズイと思い今日は晴れていたので少し歩くことにした。
2023年2月7日火曜日
晩春に短い成虫の時を過ごすキアシドクガ
ドクガと言っても言っても毒があるわけでもない。
むしろはかなく可憐に見えてしまうのは、短い一生の時を舞うからなのだろうか。
ミズキを食相とすると言われているけれど、見ているとミズキ以外の樹木の周りにも多く見られる。2020年5月20日、神奈川県大和市泉の森にて。
2023年2月5日日曜日
シラカシの純林
あまり難しいことは書きません。雑感をダラダラと書き留めます。
たまに散歩する公園の斜面林はシラカシの純林ということで神奈川県の天然記念物に指定されているのだとか。この泉の森と言われる公園は小学生の頃、水源池、と言われていた場所で、「1人で遊びに行ってはいけません」とか「入っちゃいけませんとか」言われていましたが、今は公園として整備されています。
天然記念物と言っても、人が薪炭林などで管理していた二次林の樹林なのだと思いますが、相摸野台地という周囲に山というものが全くない場所で、樹林として残っているということがとても貴重なのかもしれません。ほとんど都市化してしまった神奈川の北部の貴重な二次的な自然と言えるのでしょう。国道246号線や東名高速道路で都心から来て初めて出会う大きな緑地帯で、大きな道からも林冠を見ることができます。
シラカシは常緑樹なので樹林自体は少し暗めです。植生的に面白いかと言われれば、もう少し多様性があってもいいかなとか、勝手に思ったりします。純林で残すのもいいけど、循環里山みたいな部分を整備、管理しても良いのではないかな、と思ったりしますが、今は管理が行き届かず、樹冠からの大枝の落枝の可能性がある場所などは通行禁止になっていたりして、なかなか管理も樹林の維持の考え方も含めて調整して市民活用というには難しい課題もありそうです。
この公園は現状の緑を残すように管理されていますが、それは大和市の水源池であることからなるべく人が開発的な活動をしないように維持されてきたことが、現代の都市化した首都圏郊外でこれだけの緑地が残された大きな要因なのだと思います。それゆえ山地じゃない場所でよく樹林が残されていて、もし水源地でなければ多分開発されて緑地など残っていなかったことでしょう。自前の水が確保されているということは、その土地の自然度を保つということ、そしてそのお陰でそこで人の暮らしが担保されていることの現れ。逆に言えば、自然度のない場所は人の暮らしが自立して成立しない土地であることは間違えがありません。
都市化した都心、そして郊外でのそれでも人の暮らしは自然と切り離せないことを象徴的に見せてくれている場所はとても貴重なのだと思います。この泉の森をはじめとした引地川に沿って連続する公園群は市民の憩いの場としてよく活用されていると思いますし、水源池ということもそれなりにPRされているとは思うのですが、それ以上に人々の生命の源泉としての水源の保全ということに必要な自然度、ということをもっと周知しても良いのではないかなと思うのでした。
2023年1月17日火曜日
2022年の仕事を振り返る(銀山峠道普請を通じて)
2010年以来ここ10年以上、奥会津の山中で作業を地元の方々としている道普請。今年の特に印象的だったのは会津銀山街道の銀山峠での道普請でした。
そんなわけで地域性が失われるように感じられる人やまた現在中心にやっている事が山の中の道と言っても、古い街道だったり里に近い場所の道だったりする事が多く、人がこれまで使っていた道が失われようとしている、しかしながらまだ使っている人がいたり、山を人の暮らしに調和的に使っていくために必要な事のための回復作業だったりするので、自然保全のための道とは意味や考え方が少し異なります。
これまでそのことを当たり前のことのように考えて作業していたのですが、ある日ある人から指摘されて自分が考えていることや道普請の作業が正しく伝わっっていないことを実感しました。このことはまた改めて記すとして、そうした活動や人からのみられ方のある中で、銀山峠の作業をご一緒した地元の年配の方から完成後に伺った感想がとても私の心に響きました。
改めて、私が描き、さまざまな方々とその地域で活動することの意味や価値を認識する事ができ、また自分の役割を確認する事ができたと思い、感謝しているところなのでした。