コシヒカリなのか、風で倒れた稲穂を収穫するのは面倒だろうなと思うと、そうでもないと言う農家もいる。倒れ具合にもよるのでしょうが、美味しい米を食べさせてもらえると思えば、どちらにしてもありがたいことだと、喜多方の田園を横目に通り過ぎる夕暮れに稲穂は赤く葉は黄金色に。
2025年11月7日金曜日
2025年11月2日日曜日
山の生き物とくらし。隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので。
隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので、見に行ってみると罠にタヌキがかかっていた。
畑にカラスが啄みにやってくるので罠を仕掛けていたそうだが、うれきったキュウリにタヌキが手をつけてかかってしまったようだ。
タヌキの捌き方は知らない。村の知っている人に聞いて捌くことも出来るかと思ったが、今回アキラさんの畑でタヌキが悪さをしたわけでもなかったし、分福茶釜みたいな恩返しもあるかもよ(分福茶釜はいわゆる単純な恩返しものの御伽話ではないと思ったが)、と言って放してやる事にした。
鍬とスキを使って噛みつかれないようにタヌキを押さえつけて罠を外した。最初は猛烈に暴れたタヌキも直ぐに観念して落ち着いたところでグッと罠のバネを外した。もう前足はちぎれそうなぐらいだったが、治療することもできなかったし、外した途端、外れた一瞬の間を置いて向こうの畑にタヌキは逃げていった。
前足が自然に治癒するとも思えなかったし、治癒してもびっこ足でどれだけ生きられるのか、畑の畝に見え隠れしながら視界から消えてゆくタヌキの背中を見守りながら、山の中で生きる彼らの厳しさをおもうと、被害に遭われた人々の悲劇を差し引いても、クマを恐れる人間の今の話題すら人間の欺瞞に思えてしまう。
それでも農作物がやられれば、コノヤロウ、と思ってしまうだろうし、実際に自分が直接クマに襲われれたら自然の摂理だと受け入れることができるわけでもない。被害と対策がどうといった話では割り切れないことを少なからず実感したのでした。
2025年9月28日日曜日
山地の日常的な生活、夕顔
本日終了(2025年9月28日)の米沢で開催されたミナミハラアートウォークにS&T(ギャラリスト上村氏の主催するギャラリー)を通じて出品させていただいた立体作品「日常的な生活、夕顔」。
ミナミハラアートウォークにご来場いただいた方は、一足先にご覧いただいているものですが、土台の部分も含めて杉の廃材で削り出し、オニグルミのインクで着彩し、ワトコオイルをコートしたものです。防腐剤などは使っていないので、ゆっくりですが少しずつ経年変化が想定されています。
山中の村で制作作業をしていると村の近所の人が農作物を持ってきてくれます。自分の作業しているものよりも余程美しいなと思えたりするところがあって、そのままその美しいところをしばらくの間、定着させたいと思うと、それまでの作業を止めて、農作物の美しいと思ったところを削り出していきます。
どの農作物の削り出しも実寸大ですが、良いなと思えたところを捉えられた時点で作業を止めるので、完全にリアルなものとして再現するわけではありません。着色も含めて捉えた時点で蜜蝋かワトコオイルを塗り完成させる、と言った具合です。
農作物も少しずつ乾燥したり変化していくのでナルハヤで作業します。
山地の雪が溶けてようやく村人が思い思いの作付けが出来る様になり収穫出来る時期は夏の一時期で、そのあと秋口には大根、はくさいぐらいの収穫になり、冬支度になるので、ある種の収穫と生の喜びに近いものが農作物に宿っているように思えたりするところが、美しいな、というところなのかもしれません。 夕顔は一般的なスーパーなどでは見かけません。
実際、大きくてわざわざ購入して持っていくのも、調理の汎用性を考えても、ちょっと躊躇します。が、その大きさや重みに気持ちが上がります。持ってきてくれた人も嬉しそうに面白そうに持ってきて、大きさや重さを話題にして、話がはずむところを同じ様にこの制作物から感じてもらえればと思ったりしたのでした。
2025年9月25日木曜日
綺麗なグリーンの特製ドライマティーニ
鹿の赤ワイン煮、鶏モモ肉のコンフィ、デザートはカボチャのカステラ。特製ドライマティーニと、久しぶりにカクテルを作って飲む。
いわゆるドライマティーニは、ジンとヴェルモットをステアして、オリーブをグラスに沈め、最後にオレンジだかレモンだかのピールの香りをグラスの上に放つらしいのですが、特製マティーニは、イチジクの葉を漬け込んだタンカレーとノイリーで割ってステアしたものです。我ながら、ジンのネズの香りとイチジクの香りが合間って絶対に鹿肉には合うだろうと思う(針葉樹のネズの木のある標高の高い山地と鹿の生息地が近くて風景まで感じさせてくれるよう)。小洒落た感じでオリーブを1つではなくて、一杯に付き3つ、4つはオリーブを入れてオリーブをカリカリしながら塩味味わいながら飲むのが吉(写真にはオリーブが1つしか見えないけど、4ついれたんだけど、食べちゃったさ)。
イチジクの生葉を漬け込んで綺麗なグリーンに染まったタンカレーが特製マティーニを爽やかにしてくれる。オリーブのグリーンとイチジク葉のグリーンの取り合わせが綺麗だなぁ。
ちなみに、鹿の赤ワイン煮も鶏もも肉のコンフィも、カボチャのカステラ(ナスのコンポート添え)も、27日の只見町のこみと屋さんでの営業の仕込みなので、食べたわけじゃないです。
(こみと屋さんインスタ→ https://www.instagram.com/komitowu/?hl=ja 、美味しいカンパーニュを販売してます。)
僕のご飯は、海苔とかつぶし、胡麻塩をかけたご飯とけんちん汁。どちらも先日営業の残り物。でも十分美味いよ。
マティーニは、最近の瓶詰めの成果を試したもの。イチジクの葉っぱは、乾燥したもの、オイル煮付けたもの、そしてお酒につけたものを作ってみた。色は綺麗なグリーンだが、豊富にポリフェノールを含み、肝障害、高血圧、血管の保護、皮膚の炎症防止に効果があるらしい。イチジクは神奈川の家の庭で出来たもの。他にビワの葉を乾燥させてビワ茶に、暑さのせいか実はかなり収穫できたのでブランデーに漬け、またビワ酢も作ってみた。ビワ茶は綺麗な赤色で、ビワの実の酢はアンニンのような独特の香りと自然な甘さが吉。
そして、只見町の布沢地区で採れる堅果になる前の未熟なオニグルミの実を煮出して熟成させて、絵を描くためのインクとお酒を作ってみた。クルミのお酒はイタリアでは作るらしい。ザラメとねっか(只見のお酒)煮出したクルミの液体を混ぜて発酵させる。黒い独特な自然なインク?の味わいは多分、消化機能を補完してディジェスティーボとして飲める感じです。
そんなわけで、緑と赤と黒と揃った感じが嬉しい。
スタンダールになぞらえれば、自然(緑)と生(赤)と死(黒)が揃った、というところか。
19世紀中期、産業革命の後、様々な階級闘争が起こり、権力と経済抗争が分化して、魑魅魍魎(自筆なら書けない漢字)が群雄割拠し、個人にしろ国家にしろ生と死を往来した時代を背景に主人公が葛藤する様が実際の事件に準えて小説化された「赤と黒」。歴史は繰り返されるように、現代もまた似たような状況に見える。19世紀は、古典主義からロマン主義が台頭し庶民のリアルを体現しようとするなか、クールベのような田舎から抵抗勢力として芸術と社会に直接関与する芸術家が現れた。ナポレオンの後、王政復古を唱えるものも後をたたず混沌とした、保守も革新も区別することが無意味な社会にあって、誰もがどう生きるかを模索しなければならないシビアな時代に、現代も当てはまるのではないか。石破総理が、国連総会で、観衆もまばらな中、なかなか立派な演説を行ったが、貶す輩も多い。良いじゃないか、良いことを公前で言えた時には、たとえダメな政党政治、与党でも評価してあげれば。マリオの格好で公前に登場したヤツより全然マシだ。国会で同じように振る舞えればと、但し書き付きだが、高市や小泉や茂木や野党の連中より、瞬間だけだったが余程マシだったとおもう。瞬間でもマシなことに次々と喝采を送る。人となりではない、人となりはどんどん変化する。それよりマシな直接的な事象の連続に喝采を送り続けることに意味があるのではないか。
ヴェンダースの頭でっかちな映画が嫌いだ。ヴェンダースの映画よりベンダースのインタビューの方が断然良い。ヴェンダースは、サム・シェパードの脚本と組み合わさって、素晴らしい映画が生まれる。サムだって、俳優としては高身長でカッコイイばかりで、ザ・アメリカみたいな役柄でしかないけど、彼の書いたものをヴェンダースが撮れば、脚本も俳優としても光ってみえる。是枝監督もそうだが、ヴェンダースは配役が良いことは確かだ。そういうセンスを頭でっかちさが邪魔をしてる。理解できない情緒が必要なんだよ。だから、ヴェンダースはパトリシア(・ハイスミス)に焦がれているのかもしれない。パットは言う
「人の願いには、失望がついて回る。それでもそれは普通のことだし、多くの人は正気を保っている。つまり人は誰しも希望を抱くけれど、仕事や結婚などに望んだものが叶う保証はないのよ・・・・・。」
素晴らしい出会いは人生を軽やかにしてくれる。ただしそれは人生の重みの欠如という意味でもある。(Patricia Highsmith)
軽やかな素晴らしい人生と人生の重みの両方を体現したがるという、大いなる矛盾に私たちは生きているのかもしれない。
慎重な悲観主義と楽観主義の行動と実効性のバランスの中に生きざるおえない、と言ったところか。
布沢では、昨年豊作だった野生かしたスモモはほとんど実をつけなかったが、昨年収穫した実が、ジャムにしたものと冷凍保存してあって、グラニテかジャムとして食べられる。ヨモギは昨年より今年、草刈りをしながら、かなり多めに収穫して乾燥粉末にして、お茶かケーキかお餅にする。ハッカも耕作放棄地で大量に収穫でき、使うたびに採りに行く。と言った具合で、歳時記的なスケジュールを組んで要領よく時期をみて活動すれば、色々と物産が得られると具体的に思えるようになった。もちろん、村の人がつくるお米や村ぐるみで育てている蕎麦もある。ただ、どれをとっても結局労働力をどう確保するかが鍵だし、収穫効率化を図れなければ経済化も難しい。趣味の程度から経済化するには、同じ田舎でも山地の田舎と平地の田舎では大きく生産性に違いが出てくる。山地の現代的な意味での生産性は、便利な田舎と比べてかなり難しい状況であると認識しなければなりません。
基本的には現代的に言えば、山地は、生産効率のかなり低い土地であることから、ほとんどの現代的な一般的な産業化の可能性が乏しく、自立的というよりは、国土保全の公益性を社会が認めなければ難しい土地柄でもあることも実感する。日本有数の積雪地であることも、生産性の低さを比較されて、現代社会からは打ち捨てられやすい土地柄であると判断されることも十分にありうる。
それでも、蕎麦の作付けをコルホーズ的に行い、共産的ではない現代の市場に対抗しうる経済化を模索しなければならない。そのへんは村の人が頑張ってくれるとして、自分の苦手な販売戦略を考えなければならないのだなぁ、、、。パッケージデザインとか、販路とか、、、。
いわゆるドライマティーニは、ジンとヴェルモットをステアして、オリーブをグラスに沈め、最後にオレンジだかレモンだかのピールの香りをグラスの上に放つらしいのですが、特製マティーニは、イチジクの葉を漬け込んだタンカレーとノイリーで割ってステアしたものです。我ながら、ジンのネズの香りとイチジクの香りが合間って絶対に鹿肉には合うだろうと思う(針葉樹のネズの木のある標高の高い山地と鹿の生息地が近くて風景まで感じさせてくれるよう)。小洒落た感じでオリーブを1つではなくて、一杯に付き3つ、4つはオリーブを入れてオリーブをカリカリしながら塩味味わいながら飲むのが吉(写真にはオリーブが1つしか見えないけど、4ついれたんだけど、食べちゃったさ)。
イチジクの生葉を漬け込んで綺麗なグリーンに染まったタンカレーが特製マティーニを爽やかにしてくれる。オリーブのグリーンとイチジク葉のグリーンの取り合わせが綺麗だなぁ。
ちなみに、鹿の赤ワイン煮も鶏もも肉のコンフィも、カボチャのカステラ(ナスのコンポート添え)も、27日の只見町のこみと屋さんでの営業の仕込みなので、食べたわけじゃないです。
(こみと屋さんインスタ→ https://www.instagram.com/komitowu/?hl=ja 、美味しいカンパーニュを販売してます。)
マティーニは、最近の瓶詰めの成果を試したもの。イチジクの葉っぱは、乾燥したもの、オイル煮付けたもの、そしてお酒につけたものを作ってみた。色は綺麗なグリーンだが、豊富にポリフェノールを含み、肝障害、高血圧、血管の保護、皮膚の炎症防止に効果があるらしい。イチジクは神奈川の家の庭で出来たもの。他にビワの葉を乾燥させてビワ茶に、暑さのせいか実はかなり収穫できたのでブランデーに漬け、またビワ酢も作ってみた。ビワ茶は綺麗な赤色で、ビワの実の酢はアンニンのような独特の香りと自然な甘さが吉。
そして、只見町の布沢地区で採れる堅果になる前の未熟なオニグルミの実を煮出して熟成させて、絵を描くためのインクとお酒を作ってみた。クルミのお酒はイタリアでは作るらしい。ザラメとねっか(只見のお酒)煮出したクルミの液体を混ぜて発酵させる。黒い独特な自然なインク?の味わいは多分、消化機能を補完してディジェスティーボとして飲める感じです。
そんなわけで、緑と赤と黒と揃った感じが嬉しい。
スタンダールになぞらえれば、自然(緑)と生(赤)と死(黒)が揃った、というところか。
19世紀中期、産業革命の後、様々な階級闘争が起こり、権力と経済抗争が分化して、魑魅魍魎(自筆なら書けない漢字)が群雄割拠し、個人にしろ国家にしろ生と死を往来した時代を背景に主人公が葛藤する様が実際の事件に準えて小説化された「赤と黒」。歴史は繰り返されるように、現代もまた似たような状況に見える。19世紀は、古典主義からロマン主義が台頭し庶民のリアルを体現しようとするなか、クールベのような田舎から抵抗勢力として芸術と社会に直接関与する芸術家が現れた。ナポレオンの後、王政復古を唱えるものも後をたたず混沌とした、保守も革新も区別することが無意味な社会にあって、誰もがどう生きるかを模索しなければならないシビアな時代に、現代も当てはまるのではないか。石破総理が、国連総会で、観衆もまばらな中、なかなか立派な演説を行ったが、貶す輩も多い。良いじゃないか、良いことを公前で言えた時には、たとえダメな政党政治、与党でも評価してあげれば。マリオの格好で公前に登場したヤツより全然マシだ。国会で同じように振る舞えればと、但し書き付きだが、高市や小泉や茂木や野党の連中より、瞬間だけだったが余程マシだったとおもう。瞬間でもマシなことに次々と喝采を送る。人となりではない、人となりはどんどん変化する。それよりマシな直接的な事象の連続に喝采を送り続けることに意味があるのではないか。
ヴェンダースの頭でっかちな映画が嫌いだ。ヴェンダースの映画よりベンダースのインタビューの方が断然良い。ヴェンダースは、サム・シェパードの脚本と組み合わさって、素晴らしい映画が生まれる。サムだって、俳優としては高身長でカッコイイばかりで、ザ・アメリカみたいな役柄でしかないけど、彼の書いたものをヴェンダースが撮れば、脚本も俳優としても光ってみえる。是枝監督もそうだが、ヴェンダースは配役が良いことは確かだ。そういうセンスを頭でっかちさが邪魔をしてる。理解できない情緒が必要なんだよ。だから、ヴェンダースはパトリシア(・ハイスミス)に焦がれているのかもしれない。パットは言う
「人の願いには、失望がついて回る。それでもそれは普通のことだし、多くの人は正気を保っている。つまり人は誰しも希望を抱くけれど、仕事や結婚などに望んだものが叶う保証はないのよ・・・・・。」
素晴らしい出会いは人生を軽やかにしてくれる。ただしそれは人生の重みの欠如という意味でもある。(Patricia Highsmith)
軽やかな素晴らしい人生と人生の重みの両方を体現したがるという、大いなる矛盾に私たちは生きているのかもしれない。
慎重な悲観主義と楽観主義の行動と実効性のバランスの中に生きざるおえない、と言ったところか。
布沢では、昨年豊作だった野生かしたスモモはほとんど実をつけなかったが、昨年収穫した実が、ジャムにしたものと冷凍保存してあって、グラニテかジャムとして食べられる。ヨモギは昨年より今年、草刈りをしながら、かなり多めに収穫して乾燥粉末にして、お茶かケーキかお餅にする。ハッカも耕作放棄地で大量に収穫でき、使うたびに採りに行く。と言った具合で、歳時記的なスケジュールを組んで要領よく時期をみて活動すれば、色々と物産が得られると具体的に思えるようになった。もちろん、村の人がつくるお米や村ぐるみで育てている蕎麦もある。ただ、どれをとっても結局労働力をどう確保するかが鍵だし、収穫効率化を図れなければ経済化も難しい。趣味の程度から経済化するには、同じ田舎でも山地の田舎と平地の田舎では大きく生産性に違いが出てくる。山地の現代的な意味での生産性は、便利な田舎と比べてかなり難しい状況であると認識しなければなりません。
基本的には現代的に言えば、山地は、生産効率のかなり低い土地であることから、ほとんどの現代的な一般的な産業化の可能性が乏しく、自立的というよりは、国土保全の公益性を社会が認めなければ難しい土地柄でもあることも実感する。日本有数の積雪地であることも、生産性の低さを比較されて、現代社会からは打ち捨てられやすい土地柄であると判断されることも十分にありうる。
それでも、蕎麦の作付けをコルホーズ的に行い、共産的ではない現代の市場に対抗しうる経済化を模索しなければならない。そのへんは村の人が頑張ってくれるとして、自分の苦手な販売戦略を考えなければならないのだなぁ、、、。パッケージデザインとか、販路とか、、、。
などと、うつらうつらと考えながら、綺麗なグリーンのマティーニを飲むのでした。ぁぁ久しぶりに飲みながら、パソコンを前にしたので、だらしなく長々と取り留めなく書いて(打ち込んで)しまった。
2023年6月28日水曜日
踏査、前年度の作業を確認して考えること。会津銀山街道銀山峠道普請から。
銀山峠踏査(2023年6月26日実施)。
作業した方々と昨年度作業した箇所を確認しました。いつも昨年度作業した箇所の確認は積雪融雪後どうなているかと、ドキドキしてますが、良好に安定状況を保持しています。
ここは他の箇所と比べ3年がかりの場所なので、規模も大きく、架構としての見応えがあります。とはいえ、自然素材のみでできていて、風化に対しても、極度の変化や崩壊にならないように計画し、また徐々に自然との調和性が形成されるように配慮しています、これから何年かすると組まれた丸太と土や草の接したところから草木が被い、丸太組の架構よりも自然との調和的な景観に変化していきます。
よく言われるのが、もっと登山道のように周辺環境の破壊を少くしてやるべきなのではないか、といったことだったりします。自然志向の方からは破壊行為的に思われたり保全性が低いと評価されがちですが、自然保全一辺倒ではなく、その場所の土地利用の状況に沿った自然との調和性に配慮することが大事だと考えています。
ある時、山小屋を経営もしている仕事の先輩から、私の道普請の作業の写真をみて、いいと思わない、と言われた事があります。その先輩は多分自然環境重視の視点からそういう見解を述べられたのだと思いますが、山道といっても登山道とは全く異なる古い道の保全整備との区別がつかなかったのだと思われ、その先輩がその事がわからないはずはなく、私の説明不足を痛感したのでした。人と山との関係はアルピニズムや観光だけでなく、もっと人の暮らしとの関係性があり、複雑で多様な調和性の現代的な検討や運用、周辺環境、ロケーションの違いがあり、それに気づいてもらえるような見せ方や説明などのプレゼンテーションも大事だなと思わされたのでした。
私がまず区別しているのは、そこが自然保全を中心とした登山道なのか、林業などの作業路のようなものなのか、里山の里道なのか、歴史街道のようなものなのか、といった人間の運用の種類によるという事と、交通量や利用頻度、管理の頻度と体制を考慮して計画しています。
ただ、基本的には化石燃料由来の素材やコンクリートといったものは使わない。
たまに土管やヒューム管、化石燃料系の管などを用いる例をみかけますが、私の考えとしては非常に精度の必要な生活インフラに関わる施設で且つ管理がしっかりされる場合、でない限りそうしたものは使いませんし、例えば観光や循環型社会を中心とした山里の里道は手作業や自力で管理しやすい工法と素材を採用します。
また、逆に自然素材を多用したり、なるべく人力で行うやり方や考え方に対して、人の労力が少なく面倒が少ない新素材を使ったりヒューム管や塩ビ管などを利用して地下埋設するようなやり方の方がいいのではないかと言った地元の方と意見の相違がある場合もあります。
それで、そこは丁寧になにを大事にしていくのか、理解と合意を育むように努力しています。とはいえ高齢の方々の時限的な焦り、ソフト志向による目前の目的重視も根強く、インフラ整備の丁寧さよりも分かりやすい成果を求められたり、事業の進捗も速いやり方のほうが称賛される事も多く、そちらの方に全体の意見がなびいて行ってしまうことも多々あります。
私の目にはそうした方角に進められたものは、人間よがりの自信過剰なやり方に感じられ、残念に感じることもあります。どちらが良いのか、分かりませんが、最低10年ぐらい経って、自然と人との関係がどうなっているか、ということなのかもしれません。そうした時、私は四国の阿波町で石積みの棚田を守ってきた年配の方が人間の手だけでやれれば、そこは人間の手だけで直せるし、必要以上に壊さなくても済む、と言った事を思い出します。
いずれにしても、環境と調和する公共性のある空間に対して、または、人の暮らしの安全性や循環型の調和環境の志向の必要なところでは私としては拙速な利便性や合理性、単純な目的性に特化した事にならないように努めています。
その意味でも、3年かけて丁寧に積み上げてきたこうした木造の架構は、私の計画というのではなく、地域の方々の丁寧で辛抱強い活動や姿勢が新たな歴史として風景となっているように思えています。地元では子供たちとのウォーキング大会があり、ここを渡ります。ただ通れるようになれば良いとか、大所から俯瞰的に自然や歴史を味わうのてなはなく、自然の美しさや歴史的な価値だけでなく、今の人の活動や認識が歴史として積み上げられ、美しさとして認識され、尊んでもらえれぱ、と願っています。
踏査の合間に喫茶時間を設けて、山の中でくつろいで過ごす時間を若いスタッフが設けてくれます。ハードの整備だけでなく、ソフトの思考で山の中での人の活動、営みを感じるには良い時間です。山での暮らしが大変だ、ということでは、誰もが山を降りていってしまいます。山の暮らしや活動が、人の心に何をもたらすのか、ということを考えれば、都市的な生活では得られない事がたくさんあり、登山観光だけでなく、人の活動には自然との関わりがいかに大切であるかという事を味わい、さまざまな形で感じる、なるべく多く人がそうした経験を増やせるようになっていければいいなと思います。
ラベル:
00_道普請・山道整備等,
04_風土の思索,
14_里山考,
奥会津,
近自然工法
2023年1月17日火曜日
2022年の仕事を振り返る(銀山峠道普請を通じて)
2010年以来ここ10年以上、奥会津の山中で作業を地元の方々としている道普請。今年の特に印象的だったのは会津銀山街道の銀山峠での道普請でした。
2年前の2020年から3年掛となっている銀山峠の崩落箇所の修復は、ようやく2022年の秋11月14日に完成を見ました。これまでの他の地域や個所での山道の修復や整備の蓄積を何かの形で記録しその手法などを継続できるようにしていく必要を感じていることもあり、どうまとめようかと思案しているところでもありました。それは、単に工法というだけではないこともあります。どこに行ってもその状況に近い対策を考えて材料や工法やを適用するのでですが、基本的なやり方の応用なので似たような構造のものになります。
そんなわけで地域性が失われるように感じられる人やまた現在中心にやっている事が山の中の道と言っても、古い街道だったり里に近い場所の道だったりする事が多く、人がこれまで使っていた道が失われようとしている、しかしながらまだ使っている人がいたり、山を人の暮らしに調和的に使っていくために必要な事のための回復作業だったりするので、自然保全のための道とは意味や考え方が少し異なります。
これまでそのことを当たり前のことのように考えて作業していたのですが、ある日ある人から指摘されて自分が考えていることや道普請の作業が正しく伝わっっていないことを実感しました。このことはまた改めて記すとして、そうした活動や人からのみられ方のある中で、銀山峠の作業をご一緒した地元の年配の方から完成後に伺った感想がとても私の心に響きました。
感想内容は以下のようなことでした。
傾斜路の修復は想像していたよりも複雑で、単純なスロープを思い描いていたものと違い、地形に沿った形になって、芸術的なもののようにも思えました。
この言葉をいただいた時に、ここで一緒に作業した人には伝わっているのだなと実感し、とても感激したのでした。
私は計画上必要な工法や資材の数量を割り出すために絵図を描き出しています。しかしながら、細かいところまではなるべく描かないようにしています。何故なら、あまり複雑でも作業する人の経験値や価値観で読み取り方が違ってきたり、また季節や地盤の状況によって計画通りに行かないことが多いのからなのです。そのお陰で逆に、それぞれの場所や関わる人の違いによって同じ工法でも地域に合った形になっていくと考えていましたし、単なる土木的な作業というだけでなく、地域に根ざした美的な価値に通じるものだと思っていたからなのでした。
上の写真は敷板に滑り止めの桟木を打ち付けているところでしたが、私の絵図では必要な間隔を示しているだけです。それを参加した人たちが各々に相談して内側を細く扇状に打ち付けたのでした。そうやって全体が出来上がった時、私が芸術的に拵えたのではなく、参加した人たちとその地域の環境によって形作られた美的なものとなったのではないかと思えるのでした。
そして、そのことが一番大事なことであるように実感し、思うのでした。
改めて、私が描き、さまざまな方々とその地域で活動することの意味や価値を認識する事ができ、また自分の役割を確認する事ができたと思い、感謝しているところなのでした。
改めて、私が描き、さまざまな方々とその地域で活動することの意味や価値を認識する事ができ、また自分の役割を確認する事ができたと思い、感謝しているところなのでした。
そして、今これからの道普請や自分のやるべきことの方向性を考える起点にもなっているところです。後の2枚の写真は6月に銀山峠の道の状況を調査したときの写真です。機会がありましたら、是非、会津銀山街道を訪ねてみてください。(2022年11月14日、銀山峠道普請)
2017年6月11日日曜日
基地
辺野古に限らないですが、沖縄が返還される1972年ごろまで、父の仕事の関係で進駐軍や自衛隊の基地の内側に暮らし、子供自分の目で見てきた、フェンスの内側からデモ隊やら米軍人や自衛隊員の日常の姿、フェンスに塗られた塗料やサビの匂い、刈り払われた周囲の草の萌える匂い、門兵のいる小屋、戦闘機やヘリの音、悲しいような清々しいような、悔しいような優しいような、なんとも言えぬ、混沌とした感覚はなんとも伝え難く、基地の存在がある種の自分のアイデンティティとなってしまっている、辺野古の基地に着くと熱く込み上げてくるものがありました。戦争体験者ではありませんが「さとうきび畑」という歌の、ざわわ、という響きやウチナーグチの歌詞に重ね合わせてみることができます。
自分が辺野古に唐突に行った意味はもしかしたらあまり伝わらないのかもしれません。沖縄のひとの思いとも全く違うのかもしれません。
ただ、わたしはこの国が、私たちの暮らしが、薄っぺらな政治家や権力者の手によって踏みにじられ、踏みにじられることに無感覚になっていくことが耐えられません。
(写真は、辺野古のキャンプシュワブではなく近所の厚木基地です。)
さとうきび畑 寺島尚彦
ざわわ ざわわ ざわわ 広いサトウキビ畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる 夏の陽射しのなかで
(ちゅぅんみぃゆるかじり みどぅりぬなみがもぉいん(舞う)なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
(ちゅぅんみぃゆるかじり みどぅりぬなみがもぉいん(舞う)なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
むかし海の向こうから いくさがやってきた 夏の陽射しのなかで
(んかし海ぬかぁま(彼方)から いくさがゆしてぃちっい なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
(んかし海ぬかぁま(彼方)から いくさがゆしてぃちっい なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった 夏の陽射しのなかで
(あぬひぃかんぼぉぅ(艦砲)ぬあみ(雨)んかい すぃ(父)やうちゅくゎぁってぃ なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
(あぬひぃかんぼぉぅ(艦砲)ぬあみ(雨)んかい すぃ(父)やうちゅくゎぁってぃ なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
2017年1月17日火曜日
明暦の大火から上山まで話をただ繋げてみた。
江戸城の天守閣は明暦の大火(明暦3年(1657年))で焼け落ち、経済性と戦のない時代の機能不要性という理由から再建されなかったというけれど、本当でしょうか?
現に新井白石らによって天守閣の計画図までは作られたというし、実際に天守閣の石積基礎まではつくられ現存しています。
江戸時代よりも機能、経済重視とされる現代でさえ、超高層ビルやら東京タワーなどのテレビ塔など、機能に託けながらも象徴的な建設がなされたりします。ましてや封建社会の真っ只中、天守閣といわないまでも、それに類する象徴が本来は必要とされたりするのではないでしょうか?
しかし、この天守閣を建設せず、という重大な決定を行ったのが、二代将軍秀忠の四男として生まれ、武田信玄の家臣信濃高遠藩主保科正光の子として育てられた保科正之であったといいます。
秀忠死後、三代将軍となった家光はこの異母兄弟の存在を知らされて殊の外可愛がったそうです。その後、保科正之は出羽山形藩を拝領、ついで陸奥会津藩主となり松平姓を賜り大名となり、家光の死後、四代家綱の補佐役となりました。
ところで会津に伺い、蕎麦を頂く機会があれば、必ず高遠蕎麦を目にします。
高遠蕎麦とは、高遠由来の辛味大根のことで、この辛味大根のやや甘みと辛味のある大根汁に醤油を垂らして、これを汁として食べる蕎麦のことです。信濃高遠藩からやってきた殿様(保科正之)が、蕎麦を食べるときに「これたかとうをもて」と言い、以来蕎麦には、この辛味大根汁が付け合わせられることになったのが由来だといいます。正之は、四代家綱以降、江戸詰がほとんどであったそうですが、後期の会津藩政の基礎を築いたといわれています。
育ての親への忠義から保科正之は松平姓を固辞したという話からは、その人柄がうかがえます。日本初の老齢年金制度を実施したといわれ、江戸城天守閣不要とし城下町の復興を主眼にした政策実行と共通する姿勢がうかがえます。
保科正之が入部するまでの会津藩は秀吉時代に蒲生氏郷が入部し、その嫡子蒲生秀行時代に関ヶ原の戦いで東軍につき功績を挙げ、また家康の三女(振姫)正清院が秀行の正室だったこともあり優遇されたといいます。
その後、秀行と振姫(正清院)の間に生まれた長男忠郷が会津藩主となり、次男忠知が出羽上山藩主となりました。忠郷が早世し蒲生家が断絶となるところ、弟忠知が家督を継ぐことを許され、伊予松山藩に減封されることとなりました。
蒲生家が退いた後の会津藩は、松山から入れ替わり加藤嘉明が入部、二代目で改易され、保科正之が入部することとなりました。
一方、次男忠知の居た上山藩は、その後、土岐氏、金森氏と藩主が安定しませんでしたが、江戸中期に松平信通が移封して藩主がようやく安定しました。
上山までなんとか無理矢理話を繋げてみました。。。。
現に新井白石らによって天守閣の計画図までは作られたというし、実際に天守閣の石積基礎まではつくられ現存しています。
江戸時代よりも機能、経済重視とされる現代でさえ、超高層ビルやら東京タワーなどのテレビ塔など、機能に託けながらも象徴的な建設がなされたりします。ましてや封建社会の真っ只中、天守閣といわないまでも、それに類する象徴が本来は必要とされたりするのではないでしょうか?
しかし、この天守閣を建設せず、という重大な決定を行ったのが、二代将軍秀忠の四男として生まれ、武田信玄の家臣信濃高遠藩主保科正光の子として育てられた保科正之であったといいます。
秀忠死後、三代将軍となった家光はこの異母兄弟の存在を知らされて殊の外可愛がったそうです。その後、保科正之は出羽山形藩を拝領、ついで陸奥会津藩主となり松平姓を賜り大名となり、家光の死後、四代家綱の補佐役となりました。
ところで会津に伺い、蕎麦を頂く機会があれば、必ず高遠蕎麦を目にします。
高遠蕎麦とは、高遠由来の辛味大根のことで、この辛味大根のやや甘みと辛味のある大根汁に醤油を垂らして、これを汁として食べる蕎麦のことです。信濃高遠藩からやってきた殿様(保科正之)が、蕎麦を食べるときに「これたかとうをもて」と言い、以来蕎麦には、この辛味大根汁が付け合わせられることになったのが由来だといいます。正之は、四代家綱以降、江戸詰がほとんどであったそうですが、後期の会津藩政の基礎を築いたといわれています。
育ての親への忠義から保科正之は松平姓を固辞したという話からは、その人柄がうかがえます。日本初の老齢年金制度を実施したといわれ、江戸城天守閣不要とし城下町の復興を主眼にした政策実行と共通する姿勢がうかがえます。
保科正之が入部するまでの会津藩は秀吉時代に蒲生氏郷が入部し、その嫡子蒲生秀行時代に関ヶ原の戦いで東軍につき功績を挙げ、また家康の三女(振姫)正清院が秀行の正室だったこともあり優遇されたといいます。
その後、秀行と振姫(正清院)の間に生まれた長男忠郷が会津藩主となり、次男忠知が出羽上山藩主となりました。忠郷が早世し蒲生家が断絶となるところ、弟忠知が家督を継ぐことを許され、伊予松山藩に減封されることとなりました。
蒲生家が退いた後の会津藩は、松山から入れ替わり加藤嘉明が入部、二代目で改易され、保科正之が入部することとなりました。
一方、次男忠知の居た上山藩は、その後、土岐氏、金森氏と藩主が安定しませんでしたが、江戸中期に松平信通が移封して藩主がようやく安定しました。
上山までなんとか無理矢理話を繋げてみました。。。。
2013年11月5日火曜日
峠越えの深山を車窓から
この時期、街から街へ移動する途中、峠を通過する度に山 々が全面に紅葉している姿をみる。気温の寒暖を体で感じ 短い秋、冬への移り変わりを予感しながら過ごすこの季節 だが、深山(みやま)の移ろいを目にして、増々冬の到来 をすぐそこに感じるのである。
自然というものは、普段の人間の都市的な生活観からは茫 洋としている。少なくとも今の多くの人々の生活から出て くる自然に向けられた言葉というのものは、私にとって焦 点の定まらないものを観るような言葉に聞こえる事が多い 。私とて都市的な時間に追われて鈍感になっているのだと 思う。
この季節の北の地方の目の覚めるような鮮やかな発色の良 い紅や黄色の紅葉は、はっきりと自然がみせてくれる折り 目というものなのではないだろうか。
今の時期、町中の街路樹や公園の緑ではなく、過ぎ行く車 窓からでも見える自然のそれらを、何をそんなに凝視している のかと思われるほど、目を凝らてみたい。
私たちが当たり前に思っている紅葉という現象は、落葉樹が光合成を休止して葉に含まれるアントシアニンなどからの色素が表にでてくるのだが、その紅葉の理由というものの科学的根拠は未だ解明されていないという。紅葉という当たり前に思えるこの現象、そして私たちにこんなに季節の折り目として精神的な作用を及ぼす現象の何もかもがわかっていないのだ。だから、私たちはこの現象を今のところ肌でフルに感じる事でしか、その意味を理解できないし、そうやって理解する事が如何にも大事な気がするのである。(2013.11.05 田賀記す)
自然というものは、普段の人間の都市的な生活観からは茫
この季節の北の地方の目の覚めるような鮮やかな発色の良
今の時期、町中の街路樹や公園の緑ではなく、過ぎ行く車
私たちが当たり前に思っている紅葉という現象は、落葉樹が光合成を休止して葉に含まれるアントシアニンなどからの色素が表にでてくるのだが、その紅葉の理由というものの科学的根拠は未だ解明されていないという。紅葉という当たり前に思えるこの現象、そして私たちにこんなに季節の折り目として精神的な作用を及ぼす現象の何もかもがわかっていないのだ。だから、私たちはこの現象を今のところ肌でフルに感じる事でしか、その意味を理解できないし、そうやって理解する事が如何にも大事な気がするのである。(2013.11.05 田賀記す)
2011年1月15日土曜日
思索01
丸山眞男が著書『日本の思想』のまえがき「日本史思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか」という項において、
<私たちの多くがたとえばフリートリヒ・ヘールの『ヨーロッパ精神史』とかチャールス・ビアードの『アメリカ精神の歴史』という表題に、極普通な学問的関心で接しうるのに対し、「日本精神の歴史」という表現には何かおさまりが悪いというか、尋常ではないものを感ずるのは彼我何というおおきなちがいであろう。こういう感じをたんに戦時の風潮への反動とみて、「あつものに懲りてなますを吹く」私達の過敏症のせいにするのは、いまだ問題の核心に触れたものではない。日本思想論や日本精神論が江戸時代の国学から今日までのあらゆるヴァリエーションで現れたにもかかわらず、日本思想史の包括的な研究が日本史いな日本文化史の研究にくらべてさえ、いちじるしく貧弱であるという、まさにそのことに日本の「思想」が歴史的に占めて来た地位とあり方が象徴されているように思われる。(岩波新書 p.3)>
と述べている。この著書では丸山眞男は日本の思想の科学的な分析の試みを一般向けにあらわしているのだが、著書の中身については、ひとまず置いておいて私の普段の生活の中で直感的に上記の文章の感覚は理解できる。私の日常の、多くの周辺の人々との対話の中で、対面する人々各々の中にあるであろう「思想」または「思想的傾向」について語り合う事はなかなか難しいし、ほぼ不可能である事が多い。それは何故か?という疑問と大いに符合する。
私は、直感的に「日本人の精神」というものが、これのみを取り出して語るには引き裂き難い地域の土地風土、ないし日本の風土気候空間が作用していて、日本人の精神を「日本の空間」、「地域の空間」と引き離して単離化してみてみようとしたときに、その精神が変質してしまうという土着的な精神性の特質を内在しているために、各々の「思想」および「思想的傾向」を、変質させる事なく相手に伝えることが難しいか、伝える技術を持ち得ず日常的に語り合う事が出来ないのではないか、と考えるのである。
現代の都市生活(近代文明生活)においては、このような思想信条といったことに捕われず、豊かで幸せな生活をおくれるかのごとく、多くの日本人が振る舞っているように見える。そして外国(特に、というかほぼアメリカ)の押し付けてくる文明や政治的意図に無関心かつ容易に受け入れてしまう。
つまり思想信条の欠落によって、ボーダレスな状況なのだが、我々は「土地性、風土性」と言ったものに捕われずに(切り離して)はたして生きていけるのだろうか?多分そう聞かれれば、多くの人は地域は大事、風土、歴史は大事だと言うだろうし、漠然とは切り離せないだろうとも思うだろう。
また、都市生活(近代文明生活)とは方法の問題であって、必ずしも人間の生き方を問題にしていないと私は考える。しかしながら、都市生活(近代文明生活)というなかにのみ生き方を見いだそうとする人は多い(それは思想信条の欠落に関係すると思われる)。
私は「生活の方法」と「生活の空間」、その実体的な組合せから、ある種の日本人の拠り所となる「日本の精神(本質的な価値観の認識)」、「地域の精神性」といったものを見つけ出し、多くの人と理解しあえることが出来るのであろうか。模索してみたい。
(覚え書き、推敲ナシ、110115)
<私たちの多くがたとえばフリートリヒ・ヘールの『ヨーロッパ精神史』とかチャールス・ビアードの『アメリカ精神の歴史』という表題に、極普通な学問的関心で接しうるのに対し、「日本精神の歴史」という表現には何かおさまりが悪いというか、尋常ではないものを感ずるのは彼我何というおおきなちがいであろう。こういう感じをたんに戦時の風潮への反動とみて、「あつものに懲りてなますを吹く」私達の過敏症のせいにするのは、いまだ問題の核心に触れたものではない。日本思想論や日本精神論が江戸時代の国学から今日までのあらゆるヴァリエーションで現れたにもかかわらず、日本思想史の包括的な研究が日本史いな日本文化史の研究にくらべてさえ、いちじるしく貧弱であるという、まさにそのことに日本の「思想」が歴史的に占めて来た地位とあり方が象徴されているように思われる。(岩波新書 p.3)>
と述べている。この著書では丸山眞男は日本の思想の科学的な分析の試みを一般向けにあらわしているのだが、著書の中身については、ひとまず置いておいて私の普段の生活の中で直感的に上記の文章の感覚は理解できる。私の日常の、多くの周辺の人々との対話の中で、対面する人々各々の中にあるであろう「思想」または「思想的傾向」について語り合う事はなかなか難しいし、ほぼ不可能である事が多い。それは何故か?という疑問と大いに符合する。
私は、直感的に「日本人の精神」というものが、これのみを取り出して語るには引き裂き難い地域の土地風土、ないし日本の風土気候空間が作用していて、日本人の精神を「日本の空間」、「地域の空間」と引き離して単離化してみてみようとしたときに、その精神が変質してしまうという土着的な精神性の特質を内在しているために、各々の「思想」および「思想的傾向」を、変質させる事なく相手に伝えることが難しいか、伝える技術を持ち得ず日常的に語り合う事が出来ないのではないか、と考えるのである。
現代の都市生活(近代文明生活)においては、このような思想信条といったことに捕われず、豊かで幸せな生活をおくれるかのごとく、多くの日本人が振る舞っているように見える。そして外国(特に、というかほぼアメリカ)の押し付けてくる文明や政治的意図に無関心かつ容易に受け入れてしまう。
つまり思想信条の欠落によって、ボーダレスな状況なのだが、我々は「土地性、風土性」と言ったものに捕われずに(切り離して)はたして生きていけるのだろうか?多分そう聞かれれば、多くの人は地域は大事、風土、歴史は大事だと言うだろうし、漠然とは切り離せないだろうとも思うだろう。
また、都市生活(近代文明生活)とは方法の問題であって、必ずしも人間の生き方を問題にしていないと私は考える。しかしながら、都市生活(近代文明生活)というなかにのみ生き方を見いだそうとする人は多い(それは思想信条の欠落に関係すると思われる)。
私は「生活の方法」と「生活の空間」、その実体的な組合せから、ある種の日本人の拠り所となる「日本の精神(本質的な価値観の認識)」、「地域の精神性」といったものを見つけ出し、多くの人と理解しあえることが出来るのであろうか。模索してみたい。
(覚え書き、推敲ナシ、110115)
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