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2025年11月7日金曜日

倒れた稲穂(喜多方の田園風景)

 コシヒカリなのか、風で倒れた稲穂を収穫するのは面倒だろうなと思うと、そうでもないと言う農家もいる。倒れ具合にもよるのでしょうが、美味しい米を食べさせてもらえると思えば、どちらにしてもありがたいことだと、喜多方の田園を横目に通り過ぎる夕暮れに稲穂は赤く葉は黄金色に。


2025年11月2日日曜日

山の生き物とくらし。隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので。

 隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので、見に行ってみると罠にタヌキがかかっていた。


畑にカラスが啄みにやってくるので罠を仕掛けていたそうだが、うれきったキュウリにタヌキが手をつけてかかってしまったようだ。
タヌキの捌き方は知らない。村の知っている人に聞いて捌くことも出来るかと思ったが、今回アキラさんの畑でタヌキが悪さをしたわけでもなかったし、分福茶釜みたいな恩返しもあるかもよ(分福茶釜はいわゆる単純な恩返しものの御伽話ではないと思ったが)、と言って放してやる事にした。
鍬とスキを使って噛みつかれないようにタヌキを押さえつけて罠を外した。最初は猛烈に暴れたタヌキも直ぐに観念して落ち着いたところでグッと罠のバネを外した。もう前足はちぎれそうなぐらいだったが、治療することもできなかったし、外した途端、外れた一瞬の間を置いて向こうの畑にタヌキは逃げていった。
前足が自然に治癒するとも思えなかったし、治癒してもびっこ足でどれだけ生きられるのか、畑の畝に見え隠れしながら視界から消えてゆくタヌキの背中を見守りながら、山の中で生きる彼らの厳しさをおもうと、被害に遭われた人々の悲劇を差し引いても、クマを恐れる人間の今の話題すら人間の欺瞞に思えてしまう。
それでも農作物がやられれば、コノヤロウ、と思ってしまうだろうし、実際に自分が直接クマに襲われれたら自然の摂理だと受け入れることができるわけでもない。被害と対策がどうといった話では割り切れないことを少なからず実感したのでした。

2023年4月10日月曜日

近自然工法でできた引地川の景色

 【緑地・河川公園】引地川河畔

ここは私が学生だった頃、コンクリート貼りの三面護岸だったところだが徐々に近自然工法により整備され、上流部の水源地と周囲の樹林も自然に残す形で公園化された。
自然風護岸という括弧付きの自然でははあるが、都市化された市街の緑地としては市民の憩いの場としてそれなりにおさまっている。


最近の利用者のマナー、特にゴミの放置が問題となり、大々的な花見宴会やキャンピング的な行為は制限されてしまったようだが、弁当とお茶を持ってきてボチボチと楽しむ分には良いみたいだ。

今時期、ムラサキハナナが桜の後も河畔に咲き続けてて、楽しませてくれる。
ムラサキハナナとは、紫の花の咲く菜、ということのようだ。明治以前からある帰化した植物らしいが、ここでは多分計画的に植えられたものだと思う。帰化植物だが観賞用に一応種なども販売されているようだが、「菜」というぐらいで食べられもするらしい。一度、御浸しにでもして食べてみたい。

桜の時期は短いし、人でも多いが、小さな花々も咲いていて、桜の後でも陽気の良い時期、桜の後の時期梅雨入り前までは和んで過ごせそうだ。


この辺りは水源地であったこと、厚木飛行場の騒音の為か市街化があまり進まなかった事、そんなことで貴重な首都近郊の緑地として残されている。








平野の樹林(小貝川の段丘斜面林)

 【樹林形成・緑地】小貝川段丘緑地(ケヤキ、シラカシ、モウソウチク、ネザサなど)
関東平野は日本の中でも広大な平地が続く。
人は平地を耕作地に
開発してきた。すっかり見渡す限り、人の暮らしに直接資する農地と市街地と道路ばかりが目立つが、よく見ると細長く続く樹林が見える。平地にあっても河川の長年の歴史によって生み出された段丘斜面があって、利用効率の悪い斜面が緑地(樹林)として残されているのがわかる。


小貝川沿いを車で通りすがる途中、近づいてみることにした。
遠目からは落葉樹と常緑樹の混交林といった雰囲気だが、実際はどんなものか。
遠目からは高さをあまり感じないが、斜面の高さは12〜15メートルはあるようだ。斜面の角度が45度だとしても緑地の幅は15メートルはあることになる。それが小貝川に沿って何キロも続いているのだから、農地と市街地が広がる土地としては貴重な樹林だと思う。


近づいてみると、真っ先に目立って見えるのはネザサと竹林なのであった。
斜面下に立つと、貴重な樹林はみっちりと隙間なくネザサや竹に覆われて、遠くにポツポツとケヤキの大木が見える程度だ。合間にはもしかしたらケヤキやカシの稚樹がいたりするのかもしれないが、明らかに旺盛なのは竹林だ。
このまま放置していれば、そのうち斜面は竹林だけになってしまうのかもしれない。
肥料も薪も必要としない現代においては、竹林だろうが賊樹林だろうがどうでもいいのだろう。
しかし、もう少し残された緑地(斜面林)の有り様を考えてみても良いのではないだろうか、と要らぬ心配をしてしまった。


大木と竹林では人がわざわざ入っていきたくはない面倒な緑地にしか見えないのかもしれない。
自然にとってはそれでいいのかもしれない。ただ、どんどんと人の暮らしの調和という感覚はどんどん薄れていくように思えてくる。

2023年2月5日日曜日

シラカシの純林

 あまり難しいことは書きません。雑感をダラダラと書き留めます。
たまに散歩する公園の斜面林はシラカシの純林ということで神奈川県の天然記念物に指定されているのだとか。この泉の森と言われる公園は小学生の頃、水源池、と言われていた場所で、「1人で遊びに行ってはいけません」とか「入っちゃいけませんとか」言われていましたが、今は公園として整備されています。


天然記念物と言っても、人が薪炭林などで管理していた二次林の樹林なのだと思いますが、相摸野台地という周囲に山というものが全くない場所で、樹林として残っているということがとても貴重なのかもしれません。ほとんど都市化してしまった神奈川の北部の貴重な二次的な自然と言えるのでしょう。国道246号線や東名高速道路で都心から来て初めて出会う大きな緑地帯で、大きな道からも林冠を見ることができます。

このシラカシの樹林の林床に生えているものを見ると、ほとんどトウネズミモチかネズミモチ、そしてマンリョウ、センリョウがちらほらといます。
シラカシは常緑樹なので樹林自体は少し暗めです。植生的に面白いかと言われれば、もう少し多様性があってもいいかなとか、勝手に思ったりします。純林で残すのもいいけど、循環里山みたいな部分を整備、管理しても良いのではないかな、と思ったりしますが、今は管理が行き届かず、樹冠からの大枝の落枝の可能性がある場所などは通行禁止になっていたりして、なかなか管理も樹林の維持の考え方も含めて調整して市民活用というには難しい課題もありそうです。

この公園は現状の緑を残すように管理されていますが、それは大和市の水源池であることからなるべく人が開発的な活動をしないように維持されてきたことが、現代の都市化した首都圏郊外でこれだけの緑地が残された大きな要因なのだと思います。それゆえ山地じゃない場所でよく樹林が残されていて、もし水源地でなければ多分開発されて緑地など残っていなかったことでしょう。自前の水が確保されているということは、その土地の自然度を保つということ、そしてそのお陰でそこで人の暮らしが担保されていることの現れ。逆に言えば、自然度のない場所は人の暮らしが自立して成立しない土地であることは間違えがありません。
都市化した都心、そして郊外でのそれでも人の暮らしは自然と切り離せないことを象徴的に見せてくれている場所はとても貴重なのだと思います。この泉の森をはじめとした引地川に沿って連続する公園群は市民の憩いの場としてよく活用されていると思いますし、水源池ということもそれなりにPRされているとは思うのですが、それ以上に人々の生命の源泉としての水源の保全ということに必要な自然度、ということをもっと周知しても良いのではないかなと思うのでした。


2023年1月17日火曜日

2022年の仕事を振り返る(銀山峠道普請を通じて)

 2010年以来ここ10年以上、奥会津の山中で作業を地元の方々としている道普請。今年の特に印象的だったのは会津銀山街道の銀山峠での道普請でした。

2年前の2020年から3年掛となっている銀山峠の崩落箇所の修復は、ようやく2022年の秋11月14日に完成を見ました。これまでの他の地域や個所での山道の修復や整備の蓄積を何かの形で記録しその手法などを継続できるようにしていく必要を感じていることもあり、どうまとめようかと思案しているところでもありました。それは、単に工法というだけではないこともあります。どこに行ってもその状況に近い対策を考えて材料や工法やを適用するのでですが、基本的なやり方の応用なので似たような構造のものになります。


そんなわけで地域性が失われるように感じられる人やまた現在中心にやっている事が山の中の道と言っても、古い街道だったり里に近い場所の道だったりする事が多く、人がこれまで使っていた道が失われようとしている、しかしながらまだ使っている人がいたり、山を人の暮らしに調和的に使っていくために必要な事のための回復作業だったりするので、自然保全のための道とは意味や考え方が少し異なります。
これまでそのことを当たり前のことのように考えて作業していたのですが、ある日ある人から指摘されて自分が考えていることや道普請の作業が正しく伝わっっていないことを実感しました。このことはまた改めて記すとして、そうした活動や人からのみられ方のある中で、銀山峠の作業をご一緒した地元の年配の方から完成後に伺った感想がとても私の心に響きました。


感想内容は以下のようなことでした。
傾斜路の修復は想像していたよりも複雑で、単純なスロープを思い描いていたものと違い、地形に沿った形になって、芸術的なもののようにも思えました。

この言葉をいただいた時に、ここで一緒に作業した人には伝わっているのだなと実感し、とても感激したのでした。
私は計画上必要な工法や資材の数量を割り出すために絵図を描き出しています。しかしながら、細かいところまではなるべく描かないようにしています。何故なら、あまり複雑でも作業する人の経験値や価値観で読み取り方が違ってきたり、また季節や地盤の状況によって計画通りに行かないことが多いのからなのです。そのお陰で逆に、それぞれの場所や関わる人の違いによって同じ工法でも地域に合った形になっていくと考えていましたし、単なる土木的な作業というだけでなく、地域に根ざした美的な価値に通じるものだと思っていたからなのでした。


上の写真は敷板に滑り止めの桟木を打ち付けているところでしたが、私の絵図では必要な間隔を示しているだけです。それを参加した人たちが各々に相談して内側を細く扇状に打ち付けたのでした。そうやって全体が出来上がった時、私が芸術的に拵えたのではなく、参加した人たちとその地域の環境によって形作られた美的なものとなったのではないかと思えるのでした。
そして、そのことが一番大事なことであるように実感し、思うのでした。
改めて、私が描き、さまざまな方々とその地域で活動することの意味や価値を認識する事ができ、また自分の役割を確認する事ができたと思い、感謝しているところなのでした。


して、今これからの道普請や自分のやるべきことの方向性を考える起点にもなっているところです。後の2枚の写真は6月に銀山峠の道の状況を調査したときの写真です。機会がありましたら、是非、会津銀山街道を訪ねてみてください。(2022年11月14日、銀山峠道普請)












2018年7月29日日曜日

ちょっと、サイン考

サインといっても色々だか、今回は山頂や峠頂上に設置される記名標識について考えてみたい。といっても掘り込むと以外と奥深すぎて収拾がつかなくなるのでちょっとだけ。

毎年訪れる美女峠道。頂上と明記されたサインのあたりでいつも小休止する。その時その時では気付かないが、写真で比べてみて初めて毎年の当たり前のことが微妙にニュアンスが異なるように思える。標識があればこそのの微妙な違いも感じるが、もし標識がなければ茫洋とした、輪郭の曖昧な自然の中であまり差異というものは感じないのかもしれない。なんの変転つもない木の板の標識だからこそ、微妙な差異を感じられる。

少しずつ、思うところをサインについてまた触れられたらと思う。

2015年9月16日

2016年5月9日

2018年6月5日




2017年6月9日金曜日

銀山街道の雪解け後の今年度の初踏査(2017年6月1日)

銀山街道銀山峠付近の雪解け後の今年度の初踏査(2017年6月1日)を行いました。
峠道入り口のお手製の看板には、昨年作成されてた銀山街道のロゴが焼印されて、少しずつではあるが一般の方々の利用に向けて整備が進んでいます。

昨年同様にナラ枯れの影響による立ち枯れ、倒木が多く散見された。今年度は根こそぎ倒木する状況が増えている。
今回の踏査より先に行った束松峠での踏査でも、山林はナラ枯れの状況であったが束松周辺は一時期のナラ枯れのピークは過ぎ去ったように思われ、ミズナラの枯れた後にはモミジの仲間が中低木層に多く見られ、ミズナラ林から、いずれモミジを中心とした林に遷移していくように感じられました。

今回踏査の銀山峠付近は、まだそこまでの様子は感じられず、ミズナラの実生が多く次世代として見られるように感じました。現在のように放置していると、ミズナラの立ち枯れが増えるのか、束松付近のようにモミジの林に遷移するのか、まだわかりません。

いずれにしても、山道の管理(あるいは逆に、山林を管理するための山道)を考える時、その山林保全の意味、効率性や合理性から、道のルート左右10〜15メートルずつを道の管理対象とした施策とすることが必要に思います。



山道を整備して人の手が入った道と林の境界のところには、ヒメシャガが徐々に昨年より今年と広がっています。


銀山峠道入口付近と案内記名板

スギ林の林床にはミズナラの実生が多い

一昨年からの根こそぎ倒木した状況(ミズナラ)


立ち枯れしたミズナラも昨年より増えている
今年度の倒木状況

山道の整備によってヒメシャガの群落が拡大している
人の活動が在来の花の開花というかたちで景観に顕われる

踏査のようす
 



2014年9月27日土曜日

益子町土祭(ひじさい) 前土祭(まえひじさい)土祭広場形成

2014年9月5日、益子町に前日夜に前乗りして、朝から10月4日に行なわれる「前土祭(まえひじさい)」の中心会場となる土祭広場(ひじさいひろば)形成作業に参加しました。

計画時に私が提案させて頂いた近自然的な工法と材料の扱いを、町民の方々と実際に現場で共同作業して試しながら、作り方や場のあり方等意見を交わしつつ、徐々に地域のための場がつくられていくプロセスを目指した最初の作業です。
9月5日から7日の3日間、東北芸術工科大学の学生有志と私、助手の渋谷が合宿を行ないながら、地域の方々、役場の方々と作業を行ったのでした。

現場は既に担当の萩原さんの手はずで、間伐した木材(スギ丸太、枝)や近くの建設残土で奇麗なものを中心に、その他町の造園屋さんから頂いたもの、大工さんから借りたもの等を中心に資材を広場に集めて頂いていて、幾つか麻袋など購入したものもあるものの、益子町由来の資材が揃えられていました。

地元の自然資材を使って丸太杭、粗朶柵と盛り土によって、広場のかたちを作っていこうと言う企画です。

作業前の土祭広場

地域から調達した資材

麻袋で土塁の基礎となる土嚢をつくる

地元の方々も集まり、作業開始の朝礼です



「タコ」をつくる



私のこれまでの経験を少々レクチャーさせて頂きながら、地域の方々と東北芸術工科大学の学生有志が恊働して作業に取り組ませていただきました。現場で土塁の基礎を作るための土を突き固める「タコ」という道具もつくりました。

最初の作業は、集めて来た資材を材料として使えるように奇麗に分解する作業です。葉、小枝、中枝、大枝、幹に分解する作業。そして、基礎をつくるための穴掘り。

穴掘りは地面が固く石も多く含まれていたので、手掘りは困難と断念し、ミニユンボを使って掘削する事になりました。そして出て来た土や石を、やはり大石、中石、小石、砂利、土に分類して資材として使えるようにしながら、作業を行っていました。
粗朶柵の下に雨水の経路をつくってそこに石を敷き詰めました。

地元の扱いの上手な方がユンボで穴掘りをおこなう

皆で枝を分解していく、作業人数がいるので思いのほか作業ははかどった

丸太は皮をむいた方がもちが良いと言う事で、皮むきをすることになった
地元の上手に皮むきをされる方が指導して、学生が挑戦。徐々に上手くなっ
て皮むき名人に。色々学生も経験させてもらいました


概ね材料が出来て来たところで、杭入れをして、粗朶を編んでいきました。今回の学生参加は2年生、3年生、4年生で既に、施工演習で粗朶編みを経験しているので、概ねの要領はわかっています。ですが、出来るだけ奇麗に地元の方々と協働してやらなければなりません。コミュニケーションを取りながら、うまく出来たでしょうか。

近くで枝打ちしていたので頂いて来た


杭入れ開始、突き固めながらしっかりと入れていく

地元の方々と共同作業

休み時間にスタッフの方がつくったブルーベリーのシロップでかき氷
暑かったのでかき氷はとても好評。シロップも手作りでとても美味しかった

お昼は近くの地区公民館で地元の方々が用意してくださった

初日は杭入れまでで終了
宿泊は中央公民館の展示室。夕食は役場のスタッフの方が
つくってくれました。注いでいるのは「ブラ汁」じゃなく
て、「ビルマ汁」というものだそうで、初めて食べました
展示室で休むのは滅多にない不思議な体験でありました



2日目からは粗朶を編んでいきました
慎重に力の加減を考えて共同して入れていきます

地元の子供達が重機を動かして作業を手伝ってくれます
嘘です!でも、作業に興味をもって参加してくれました

休み時間に出来上がりつつある粗朶柵の丸太の上でアイスを食べてます

粗朶柵は2種類試しにつくってみました


土塁も試しに一部つくってみました。地元の造園屋さんが応援に駆けつけてくれました
最後にムシロをかけて終了。様子を見てこれで良いとなったら、皆でさらに延長していきます

3日目は大塚町長も作業に参加して、最後の仕上がりを確認
今後、もっと地元の方々の参加出来る企画や場づくりになっていくこと、
そして地元の人たちにとって意味のあるものとなっていく事を願って作業を終了しました





10月4日が楽しみです。(田賀記)


※ 今回は「である」調ではなく、「ですます」調で試しに記述してみました。