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2023年4月8日土曜日

梅林と海軍道路の桜並木

 【樹林形成・緑地】

横浜市の西、大和市との境あたりに「海軍道路」と呼ばれる道がある。
桜の街路樹が延々と続く道。あたりには建物らしい建物がほとんどない、首都圏近郊では珍しい場所。サクラの並木が広大な原っぱに続いているが、子供の頃と比べると並木が片側だけの区間になったり、幹線道路からの入口付近は道路拡幅や道路線形の変更が行われ並木そのものがなくなってしまったり、ソメイヨシノは管理が大変ということで伐採されて歯抜けになっているところも目立ち、徐々に桜並木の景色が失われてきている。県や市はどうやらこの桜並木を残す気は無いらしい。
明治神宮の森が今、開発の波に晒されているように、このあたりも開発の計画があるようで、開発が進めば、この桜並木もいずれなくなってしまうのだろう。

海軍道路とは
旧日本海軍の弾薬庫だった場所の敷地内道路だった。
桜並木は戦後のものではないだろうか。まだ調べていないのでわからない。
戦後、弾薬庫は進駐軍に接収され、つい最近まで米軍の通信基地となっていたが、
衛星による通信が発達しその役目が終わり、日本に返還された。こうした米軍の土地は沖縄県に次いで神奈川県が多い。私の家の近くでは厚木飛行場や座間ベースなどがある。

自分は米軍になってからの海軍道路しか知らなかったので、米軍の海軍の道ということかと思っていたが、日本の海軍の道だった。


通信基地周辺)
首都圏近郊になる広大な緑地は概ね240ヘクタールほどあるという。
貴重な緑地がこれから開発の憂き目に合うという事なのだが、2023年現在の日本の景気状況では目処が立たず、あまり開発は進んでいないようである。
戦前は海軍の弾薬庫、戦後すぐには軍から地元の農家に払い下げられたが、その後進駐軍に接収されてしまった。この接収されるまでの間は戦後動乱の食糧難の時期で、払い下げられた土地は畑となり食糧生産の現場となっていたという。
その後、通信基地の規模が縮小され1ヘクタールに満たない大きさで地元農家に払い下げられたらしい。それで親の代で梅林にしたのだとここで出会った農作業をしている地元の年配の方に伺った。結局、地元の地権者は時代に翻弄されて2度土地を買わされているみたいな事になって、そして今、開発するとかなんとかで、買い上げが進められているらしいのだが、それで明け渡す際に、梅林を撤去しなければならないらしく、一部伐採したものの、不景気のためか、現在(2023年4月現在)明け渡しが伸びてしまっているそうだ。




植木のためのトキワマンサクの植樹が見えた、他にもいろんな庭木が植えられているところもある。畑をしているところもある、草原の状態の場所もある。
目につくのはバックホウで造成のようなことをしている場所。もう開発の造成が入っている場所もあるのかと思ったら、都心のトンネル工事などで排出された土の置き場になっているということだった。

野良仕事をしていた老人は、土地が時代に翻弄されてきたことを経験した為か、こういう時は波に飲まれてあらぬ事になってしまうから静かにしているのが一番良い、と言っていた。
権力や世界の情勢に付き合わされて跳ね飛ばされていく人がいたのを見てきたのだろう。

梅林)
彼の農地には梅林が植えられていて、3つに区分されている。一つは草刈も剪定も漁れている管理された梅林、そして全く管理をしていない枝が密集し地面も草刈されていない梅林、そしてその合間にある畑。畑の合間には梅の根株が残っていたりしているので、最近まで全体的に梅林だったことが伺える。
先に書いた通り、梅林を処分してくれと言われて、処分し初めたのだが、結局まだ引き取ってくれないので、ネギなどを植えて畑にしているとのことだった。管理している梅林は欲しいという人がいるのでやっているらしく、管理していない梅林は売れもしないし、管理も大変なのでそのままという状態だということだった。

人の暮らしも社会に惑わされていくが、身動きの取れない植物は人の都合で植えられたり切られたりと、身勝手な人間に難儀している。それでも息吸うことすら人の生存に不可欠な植物たちは、人間の身勝手な活動をゆっくりと見守り、文明が止まれば自然の力として覆い被さってくる。だから、気にすることもないと言えば無いのだが、どちらかといえば人間にとって良好な暮らしには、植物との調和的な暮らしや個人、公共に関わらずもっと多くの適正な緑地を確保し良好な景観形成していくことが必要に思う。むしろ植物のためではなく、人間のために植物との調和的な環境が必要なのでは無いだろうか。
(文章がまとまっていないようにも感じるが、メモ書きとして、20230408田賀)

管理された梅林

放置された梅林

梅林を伐採して畑となった場所。
切り倒した梅の幹が転がっていた。












2011年1月15日土曜日

思索01

丸山眞男が著書『日本の思想』のまえがき「日本史思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか」という項において、

<私たちの多くがたとえばフリートリヒ・ヘールの『ヨーロッパ精神史』とかチャールス・ビアードの『アメリカ精神の歴史』という表題に、極普通な学問的関心で接しうるのに対し、「日本精神の歴史」という表現には何かおさまりが悪いというか、尋常ではないものを感ずるのは彼我何というおおきなちがいであろう。こういう感じをたんに戦時の風潮への反動とみて、「あつものに懲りてなますを吹く」私達の過敏症のせいにするのは、いまだ問題の核心に触れたものではない。日本思想論や日本精神論が江戸時代の国学から今日までのあらゆるヴァリエーションで現れたにもかかわらず、日本思想史の包括的な研究が日本史いな日本文化史の研究にくらべてさえ、いちじるしく貧弱であるという、まさにそのことに日本の「思想」が歴史的に占めて来た地位とあり方が象徴されているように思われる。(岩波新書 p.3)>

と述べている。この著書では丸山眞男は日本の思想の科学的な分析の試みを一般向けにあらわしているのだが、著書の中身については、ひとまず置いておいて私の普段の生活の中で直感的に上記の文章の感覚は理解できる。私の日常の、多くの周辺の人々との対話の中で、対面する人々各々の中にあるであろう「思想」または「思想的傾向」について語り合う事はなかなか難しいし、ほぼ不可能である事が多い。それは何故か?という疑問と大いに符合する。

私は、直感的に「日本人の精神」というものが、これのみを取り出して語るには引き裂き難い地域の土地風土、ないし日本の風土気候空間が作用していて、日本人の精神を「日本の空間」、「地域の空間」と引き離して単離化してみてみようとしたときに、その精神が変質してしまうという土着的な精神性の特質を内在しているために、各々の「思想」および「思想的傾向」を、変質させる事なく相手に伝えることが難しいか、伝える技術を持ち得ず日常的に語り合う事が出来ないのではないか、と考えるのである。

現代の都市生活(近代文明生活)においては、このような思想信条といったことに捕われず、豊かで幸せな生活をおくれるかのごとく、多くの日本人が振る舞っているように見える。そして外国(特に、というかほぼアメリカ)の押し付けてくる文明や政治的意図に無関心かつ容易に受け入れてしまう。

つまり思想信条の欠落によって、ボーダレスな状況なのだが、我々は「土地性、風土性」と言ったものに捕われずに(切り離して)はたして生きていけるのだろうか?多分そう聞かれれば、多くの人は地域は大事、風土、歴史は大事だと言うだろうし、漠然とは切り離せないだろうとも思うだろう。

また、都市生活(近代文明生活)とは方法の問題であって、必ずしも人間の生き方を問題にしていないと私は考える。しかしながら、都市生活(近代文明生活)というなかにのみ生き方を見いだそうとする人は多い(それは思想信条の欠落に関係すると思われる)。

私は「生活の方法」と「生活の空間」、その実体的な組合せから、ある種の日本人の拠り所となる「日本の精神(本質的な価値観の認識)」、「地域の精神性」といったものを見つけ出し、多くの人と理解しあえることが出来るのであろうか。模索してみたい。

(覚え書き、推敲ナシ、110115)

2010年9月22日水曜日

2004年のイラクの紛争に関して提言/再録

2004年4月、私はイラクの紛争に関して提言書を日本政府関係機関に送った。国際政治と言う我々には分かりにくいこともあるが、人を含む環境の悪化に理を示しておきたいと考えたわけだ。幸いに36名の様々な方からの賛同も得ることができ、感謝の意も含め最もわたしが大切にしたいと考える文書の部分とこれに賛同頂いた方のお名前をここに挙げておきたい。


ーー記ーー
 「私たちは日常的に抱えている様々な出来事の延長線上で解決しなければならない問題として、イラクに対する日本の態度を今一度考え直す必要があると感じています。

日本人にとっも、イラク人にとっても、自分、家族や友人、住み良い暮らしのため、今ある暮らしを築き上げてきた歴史や文化、そして望むべき未来のための行動として、私たちのイラクへの「人道復興支援」もあるはずです。

私たちは、豊かな地域環境をお互いに享受しあい、地球環境を共に分かち合いながら平穏な生活を営んでいくための一環として、つまりは人の視点と(誰でも同じように平和であってよいという)生活の視点からこのことを確認し、確実にしていきたいのであります。」

4月27日付けで、
書簡郵送で、
内閣官房宛 内閣総理大臣 小泉純一郎殿
外務省宛 外務大臣 川口順子殿
環境省宛 環境大臣 小池百合子殿

電子メールにて
防衛庁宛 防衛庁長官 石破茂殿
国土交通省宛 国土交通大臣 石原伸晃殿

※なお、この文書は、環境デザイナーの廣瀬氏に構成をおこなってもらった。
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<賛同者(敬称略)>
青柳裕美(東京農工大学大学院農学教育部共生持続社会学専攻所属/東京)
上川大助(千葉)
上川真弓(千葉)
植本俊介(建築家/植本計画デザイン代表/東京)
岡田充弘(海癒/高知)
河野太志(会社員/東京)
加藤純(建築家/一級建築士事務所 作人/大阪)
川人美洋子(徳島)
岸田明義(東京)
岸田章子(東京)
木場エド(DJ/千葉)
栗田融(空間デザイナー/メルティングポットデザインショップ代表/東京)
斉藤さゆり(衣裳作家・建築家/東京)
斉藤浩彦(グラフィックデザイナー/竹内デザイン/東京)
佐藤光輝(農業/徳島)
酢谷奈緒子(森アーツセンター/東京)
十代田泰子(青年海外協力隊OV・建築家/東京)
田賀陽介(環境デザイナー/田賀デザイン事務所代表/東京)
高橋美展(青年海外協力隊OG/兵庫)
高山和孝(千葉)
竹内美穂(建築家/一級建築士事務所 作人/大阪)
立花かつこ(パッケージデザイナー/デザインオフィス・アーツ/徳島)
田中研一(建築設計/山形)
仁田あかね(学生/お茶の水女子大学大学院/東京)
仁田さやか(会社員/東京)
春田ゆかり(グラフィックデザイナー/春田デザイン室代表/東京)
平林英二(フリーランス/東京)
廣瀬俊介(環境デザイナー/東北芸術工科大学環境デザイン学科助教授/山形)
福永麻里(東京)
藤井哲次郎(建設コンサルタント/ジオグリーンテック/東京)
藤田茂樹(農業/徳島)
二羽高次(ミュージシャン/BREATH MARK/東京)
前田博史(会社員/大阪)
松原美恵(建築家/Studio In's Factory/大阪)
両角美由紀(映像プロデューサー/アンスールピクチャーズ代表/東京)
横田茂永(東京)
以上36名

spcial thanks
ギスリ・スナイル・エリンソン(映画監督・アイスランド)

 取りまとめ役
田賀陽介
以上。

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 結局は、十二分に日本は参加してしまった。
 多くの人々が、日本が太平洋戦争後にはじめて参加したこの戦争について、参戦したとはおもっていないだろうが、「参戦」である事実には間違いがない。
 しかし、私は署名してくれた方々とともに、政治性等とは切り離し、生きる意志の方向性を確認することが出来たことを一つの希望ととらえ、このことをよく肝に銘じておきたいと思う。
 この時の様々な人の反応と911の時の人々の反応は、私の人生の中で非常に印象深く残ることとなったことである。
2010.09.22記、田賀