ラベル 07_食べること の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 07_食べること の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年11月2日日曜日

山の生き物とくらし。隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので。

 隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので、見に行ってみると罠にタヌキがかかっていた。


畑にカラスが啄みにやってくるので罠を仕掛けていたそうだが、うれきったキュウリにタヌキが手をつけてかかってしまったようだ。
タヌキの捌き方は知らない。村の知っている人に聞いて捌くことも出来るかと思ったが、今回アキラさんの畑でタヌキが悪さをしたわけでもなかったし、分福茶釜みたいな恩返しもあるかもよ(分福茶釜はいわゆる単純な恩返しものの御伽話ではないと思ったが)、と言って放してやる事にした。
鍬とスキを使って噛みつかれないようにタヌキを押さえつけて罠を外した。最初は猛烈に暴れたタヌキも直ぐに観念して落ち着いたところでグッと罠のバネを外した。もう前足はちぎれそうなぐらいだったが、治療することもできなかったし、外した途端、外れた一瞬の間を置いて向こうの畑にタヌキは逃げていった。
前足が自然に治癒するとも思えなかったし、治癒してもびっこ足でどれだけ生きられるのか、畑の畝に見え隠れしながら視界から消えてゆくタヌキの背中を見守りながら、山の中で生きる彼らの厳しさをおもうと、被害に遭われた人々の悲劇を差し引いても、クマを恐れる人間の今の話題すら人間の欺瞞に思えてしまう。
それでも農作物がやられれば、コノヤロウ、と思ってしまうだろうし、実際に自分が直接クマに襲われれたら自然の摂理だと受け入れることができるわけでもない。被害と対策がどうといった話では割り切れないことを少なからず実感したのでした。

2025年9月25日木曜日

綺麗なグリーンの特製ドライマティーニ

鹿の赤ワイン煮、鶏モモ肉のコンフィ、デザートはカボチャのカステラ。特製ドライマティーニと、久しぶりにカクテルを作って飲む。
いわゆるドライマティーニは、ジンとヴェルモットをステアして、オリーブをグラスに沈め、最後にオレンジだかレモンだかのピールの香りをグラスの上に放つらしいのですが、特製マティーニは、イチジクの葉を漬け込んだタンカレーとノイリーで割ってステアしたものです。我ながら、ジンのネズの香りとイチジクの香りが合間って絶対に鹿肉には合うだろうと思う(針葉樹のネズの木のある標高の高い山地と鹿の生息地が近くて風景まで感じさせてくれるよう)。小洒落た感じでオリーブを1つではなくて、一杯に付き3つ、4つはオリーブを入れてオリーブをカリカリしながら塩味味わいながら飲むのが吉(写真にはオリーブが1つしか見えないけど、4ついれたんだけど、食べちゃったさ)。
イチジクの生葉を漬け込んで綺麗なグリーンに染まったタンカレーが特製マティーニを爽やかにしてくれる。オリーブのグリーンとイチジク葉のグリーンの取り合わせが綺麗だなぁ。
ちなみに、鹿の赤ワイン煮も鶏もも肉のコンフィも、カボチャのカステラ(ナスのコンポート添え)も、27日の只見町のこみと屋さんでの営業の仕込みなので、食べたわけじゃないです。
(こみと屋さんインスタ→ https://www.instagram.com/komitowu/?hl=ja 、美味しいカンパーニュを販売してます。)

僕のご飯は、海苔とかつぶし、胡麻塩をかけたご飯とけんちん汁。どちらも先日営業の残り物。でも十分美味いよ。

マティーニは、最近の瓶詰めの成果を試したもの。イチジクの葉っぱは、乾燥したもの、オイル煮付けたもの、そしてお酒につけたものを作ってみた。色は綺麗なグリーンだが、豊富にポリフェノールを含み、肝障害、高血圧、血管の保護、皮膚の炎症防止に効果があるらしい。イチジクは神奈川の家の庭で出来たもの。他にビワの葉を乾燥させてビワ茶に、暑さのせいか実はかなり収穫できたのでブランデーに漬け、またビワ酢も作ってみた。ビワ茶は綺麗な赤色で、ビワの実の酢はアンニンのような独特の香りと自然な甘さが吉。
そして、只見町の布沢地区で採れる堅果になる前の未熟なオニグルミの実を煮出して熟成させて、絵を描くためのインクとお酒を作ってみた。クルミのお酒はイタリアでは作るらしい。ザラメとねっか(只見のお酒)煮出したクルミの液体を混ぜて発酵させる。黒い独特な自然なインク?の味わいは多分、消化機能を補完してディジェスティーボとして飲める感じです。
そんなわけで、緑と赤と黒と揃った感じが嬉しい。
スタンダールになぞらえれば、自然(緑)と生(赤)と死(黒)が揃った、というところか。
19世紀中期、産業革命の後、様々な階級闘争が起こり、権力と経済抗争が分化して、魑魅魍魎(自筆なら書けない漢字)が群雄割拠し、個人にしろ国家にしろ生と死を往来した時代を背景に主人公が葛藤する様が実際の事件に準えて小説化された「赤と黒」。歴史は繰り返されるように、現代もまた似たような状況に見える。19世紀は、古典主義からロマン主義が台頭し庶民のリアルを体現しようとするなか、クールベのような田舎から抵抗勢力として芸術と社会に直接関与する芸術家が現れた。ナポレオンの後、王政復古を唱えるものも後をたたず混沌とした、保守も革新も区別することが無意味な社会にあって、誰もがどう生きるかを模索しなければならないシビアな時代に、現代も当てはまるのではないか。石破総理が、国連総会で、観衆もまばらな中、なかなか立派な演説を行ったが、貶す輩も多い。良いじゃないか、良いことを公前で言えた時には、たとえダメな政党政治、与党でも評価してあげれば。マリオの格好で公前に登場したヤツより全然マシだ。国会で同じように振る舞えればと、但し書き付きだが、高市や小泉や茂木や野党の連中より、瞬間だけだったが余程マシだったとおもう。瞬間でもマシなことに次々と喝采を送る。人となりではない、人となりはどんどん変化する。それよりマシな直接的な事象の連続に喝采を送り続けることに意味があるのではないか。
ヴェンダースの頭でっかちな映画が嫌いだ。ヴェンダースの映画よりベンダースのインタビューの方が断然良い。ヴェンダースは、サム・シェパードの脚本と組み合わさって、素晴らしい映画が生まれる。サムだって、俳優としては高身長でカッコイイばかりで、ザ・アメリカみたいな役柄でしかないけど、彼の書いたものをヴェンダースが撮れば、脚本も俳優としても光ってみえる。是枝監督もそうだが、ヴェンダースは配役が良いことは確かだ。そういうセンスを頭でっかちさが邪魔をしてる。理解できない情緒が必要なんだよ。だから、ヴェンダースはパトリシア(・ハイスミス)に焦がれているのかもしれない。パットは言う
「人の願いには、失望がついて回る。それでもそれは普通のことだし、多くの人は正気を保っている。つまり人は誰しも希望を抱くけれど、仕事や結婚などに望んだものが叶う保証はないのよ・・・・・。」
素晴らしい出会いは人生を軽やかにしてくれる。ただしそれは人生の重みの欠如という意味でもある。(Patricia Highsmith)

軽やかな素晴らしい人生と人生の重みの両方を体現したがるという、大いなる矛盾に私たちは生きているのかもしれない。
慎重な悲観主義と楽観主義の行動と実効性のバランスの中に生きざるおえない、と言ったところか。

布沢では、昨年豊作だった野生かしたスモモはほとんど実をつけなかったが、昨年収穫した実が、ジャムにしたものと冷凍保存してあって、グラニテかジャムとして食べられる。ヨモギは昨年より今年、草刈りをしながら、かなり多めに収穫して乾燥粉末にして、お茶かケーキかお餅にする。ハッカも耕作放棄地で大量に収穫でき、使うたびに採りに行く。と言った具合で、歳時記的なスケジュールを組んで要領よく時期をみて活動すれば、色々と物産が得られると具体的に思えるようになった。もちろん、村の人がつくるお米や村ぐるみで育てている蕎麦もある。ただ、どれをとっても結局労働力をどう確保するかが鍵だし、収穫効率化を図れなければ経済化も難しい。趣味の程度から経済化するには、同じ田舎でも山地の田舎と平地の田舎では大きく生産性に違いが出てくる。山地の現代的な意味での生産性は、便利な田舎と比べてかなり難しい状況であると認識しなければなりません。
基本的には現代的に言えば、山地は、
生産効率のかなり低い土地であることから、ほとんどの現代的な一般的な産業化の可能性が乏しく、自立的というよりは、国土保全の公益性を社会が認めなければ難しい土地柄でもあることも実感する。日本有数の積雪地であることも、生産性の低さを比較されて、現代社会からは打ち捨てられやすい土地柄であると判断されることも十分にありうる。
それでも、蕎麦の作付けをコルホーズ的に行い、共産的ではない現代の市場に対抗しうる経済化を模索しなければならない。そのへんは村の人が頑張ってくれるとして、自分の苦手な販売戦略を考えなければならないのだなぁ、、、。パッケージデザインとか、販路とか、、、。

などと、うつらうつらと考えながら、綺麗なグリーンのマティーニを飲むのでした。ぁぁ久しぶりに飲みながら、パソコンを前にしたので、だらしなく長々と取り留めなく書いて(打ち込んで)しまった。 


2021年6月13日日曜日

 ウコギ(箱根にて)

5葉の掌状複葉、ヤマウコギは花が葉の影につくらしい。これは花が葉より上についているので、ヤマウコギではなくミヤマウコギのようだ。

ちなみに、米沢などで生垣にされているのは中国産のヒメウコギ(ウコギ)で、上山や山形市内の生垣でも見かけたりする。いつもよく見かけるウコギといえば、このヒメウコギで枝にはよく発達した棘があり葉の輪郭も少し異なる。
山でミヤマウコギを見かけても、同じように葉が展開すると掌状複葉するコシアブラかなとすぐに思ってしまう。うーん、でもコシアブラじゃないなぁ、と思いながら、掌状複葉する低木は山の中でそんなに色々ってわけでもないはずだがと、自分の植物の知識不足を反省する。 どうも調べると、ウコギも色々あって、エゾウコギ ケヤマウコギ ミヤマウコギ ウラジロウコギ オカウコギ ウラゲウコギなどなど。ただ普段に町や近くの山でまあまあ出会うものはヒメウコギ、ヤマウコギぐらいなのではないだろうか。写真のミヤマウコギは標高790m付近なので、近くの山というところでもないと思う。
ヒメウコギは、上杉鷹山公が救荒植物として奨励したというが、まだそれを調理して食したことがない。調理の方法でよく聞くのがウコギ飯。多分、軽く塩漬けして細かく刻んで炊きたての白米に混ぜて楽しむのだろう。湯通しすると香りが逃げてしまうから、炊きたての白飯でむす程度が良いのではないだろうか。もっとも、救荒植物といわれるぐらいだから、そうした食べ方は現代の美食的な感覚なのかもしれない。
それで思い出したのが、白米のこと。
新米が食べられるのは、現代では贅沢な感覚があるけれど、昔は古米を食べられるほど備蓄能力があるという意味でもあったという。新米しかたべられないのは、すぐに食べてしまうぐらい備蓄できないという意味で貧農の境遇をあらわす感覚でもあったようだ。だから、新米を炊いてウコギを混ぜて食してみるのは、貧農の時代のニュアンスにはあっているのかもしれない。
はなしを戻して、ミヤマウコギはあまり食べられる感じでもない。時期も新芽の時期は過ぎているし、葉はそう柔らかそうでもない。ただこうして、山中で人知れず地味な花を咲かせている健気なところを愛でてみるばかりだ。
2021年6月10日 箱根温泉荘付近

2014年9月28日日曜日

2014年度 奥会津銀山街道美女峠道普請作業(福島県大沼郡三島町間方付近、2014.09.09)

奥会津銀山街道は会津若松市内から南会津只見町小林に続く72キロメートルに及ぶ道です。近世から明治にかけては、柳津町にある軽井沢銀山を中心に往来があり、また奥会津地方を会津若松へ最短で結ぶ道として活用されていた。

明治29年(1896年)に銀山は閉山するとともに往来は衰微したが、それでも山間の暮らしの重要な道であった。

間方地区から美女峠へ向かう道
(銀山街道・福島県大沼郡三島町間方)


太平洋戦争後、戦後の只見川流域の電源開発に関連して只見川沿いの道路が整備され山間の道は廃れていったのであった。
今にして考えれば、もし山間の往来が続き、道が近代化されていれば生活の利便性は高まったのもの、今残されている地域の自然とその関わりは薄れたであろうし、景観の豊かさは失われていただろう。かといって社会全体の過疎化は道路の利便性だけでは食い止められなかったのではないだろうか。

道普請に集まった人々
地域の人々と県職員、東北芸術工科大学田賀研究室有志学生の面々
そして、今回の美女峠の道普請には福島県に震災以降応援で配属さ
れている東京、島根、岐阜、沖縄等の県庁職員が参加した。

今、山間の暮らしは住みづらく不便なもののように思える。しかし、何よりも残された山間の原資は、都市生活とは替えがたい価値がある事も事実である。これまでの高度成長的な価値観から離れて、山間の暮らしを新たな価値観で見つめ直し、伝統的な自然との調和的な暮らしに学び、現代の都市的な暮らしの快適さを節度をもって取り入れながら、未来へ繋がる新たな自然との調和的な地域生活を形成していくことが求められている。

目の前の小さな自然に目を凝らし、自分の暮らしとそれがどう関わり合っているのだろうかと、想像を膨らまし、それをゆくりと丹念に写し取り描き出してみる事である。表現する事は芸術家やデザイナーの特権ではない。生活者それぞれがもっている生きる礎となる不可欠な行動原理なのだ。

今回はぬかるんだ所で山からの水が集まってくる場所を中心に
3カ所に山側に土側溝を形成し、それぞれに横断側溝を設置した。


私的に言えば個々の人間の「生きる」は、「生産」という言葉に置き換えられる。厳密に言えば「生産と消費の連続性」でなのだが、
振り返って、一般に言われる「生産」とはどういうことなのだろうか。個々の暮らしの質に関わる人間の尺度(ヒューマンスケール)の生産を、現代人はどれだけ行なっているだろうか。

そう言う意味で今、その人の自分の目の前にある暮らしの質に関わる「生産」と言うものは、農家や職人と呼ばれる人々の手仕事の手の内に残されているものの、農家や職人の存在は今や現代日本において斜陽な存在となってしまっている。
苦しくとも生きる実感を与えてくれる暮らしの「生産」は、その苦しさから逃れたいという気持ちを利用され、大量生産のなかでの「労働」というものに置き換えられている。そして、多くの現代人は「生産」という権利を失い、給料をもらい、大量生産大量消費の社会性のなかで「消費」のために生かされる存在になり、一人一人の暮らしの質はそのなかで打ち捨てられていった。

昼食は地元の食材を使った弁当が用意された。


そして今や、拡大再生産の原理に支えられた大量生産の時代は終焉を迎えつつある。
これから我々は、量産の時代から離れて、もう一度適正な規模の人の暮らしをつくっていく必要がある。その知恵は伝統的な地域の暮らしのなかに、そして地域周辺の自然のなかに眠っている。

我々はそれを掘り起こす作業から丹念にはじめなければならない。丹念に観察し、考察し、少しずつその暮らしのあり方を改善していく。それが我々が我々本来の人間の適正な尺度の暮らしを獲得するための最短の道のりなのだとおもう。

横断側溝の形成。横断部分を掘り、水の経路を確保する。水経路の脇を県産材の
丸太で土留めして、現場発生した土を入れた土嚢を敷き詰めて床固めする。
水経路の土嚢袋は自然にかえる麻などの自然素材のものがベストだが、今回は一
的に工事で利用されている土嚢袋を使用した。また、本来は砕石敷にして水路
の床固めを行なうのが標準的な工法としているが、車の入れない場所では現場の
土を使って整備をおこなう。運搬労力を考えれば、資材は現地調達が原則的に効
率がよく、このような排水施設を設置する事よりも、管理の仕組みをしっかりと
もち、継続的に現場での維持管理が出来るようにしていく事がもっとも望ましい
いずれ、管理を続けていくうちに改良されていくことでしょう。


この銀山街道に沿って多くの山間の小さな集落の存在がある。そうした集落の存在は今や空前の灯火といった風にみえるが、そこで暮らし続ける人たちの明らかな実体があり、その存在の有様をしっかりと認める事は大事なことである。それは量産時代に打ち捨てた人々の心の襞や生活の質を取り戻すための人の意識の再確認である。

山間に暮らす人々のほとんどは高齢者ではあるが、都会生活を満喫する多くの人々と比べて、暮らしの不便さがあるにも関わらず、ある種の精神的な自由度があるように思える事がある。

この「精神的な自由度」ということについて、もう少し場を改めて述べてみたいと思うが、目の前の小さな自然と向き合う小さな地域の小さな集落の暮らしがあって、その小さな集落の暮らしと繋がる小さな人の関わりがあって、人の関わりは町や都市の隙間に暮らす人々にも繋がっているはずである。人間尺度(ヒューマンスケール)の実際的な結びつきを少しずつつくっていかなければ、日本人の暮らしの自由は獲得できないのではないだろうか。古い道や棚田の景色には、いにしえの先人が獲得して来た生きる事の礎があるように思える。

「ローマは一日にしてならず」というが、ローマじゃなくたって、一つの家庭すら一日にしてならず、なのは誰もが理解出来る自明な事であり、ましてやその外側ならなおさらなである。おごらず、侮らず、悲観せず、悲観的に観察考察し、楽観的に決断し、地道に実行する。

地元の方が資材搬送のために使用している背当ての使い方を教えてくれた。
地元の野山で採取出来るヒロロという植物を素材にしてつくられたものである。
藁で出来た背当てを見た事があるが、ヒロロでつくられたものは丈夫だという。

これがヒロロ。日本名はミヤマカンスゲ。大量に群生しているわけではなく
ひとつの背当てやミノをつくるにはかなりの量が必要である。

際の部分には布があてられて編み込まれているが、これは飾りではなく
ヒロロの端を保護する役目のもので、編み込まれたヒロロを長持ちさせる。



現実的に言えば、貨幣経済の経済活動との連携について考えていく事も非常に大事な事である。しかし、山の暮らしに銭が役に立つのかというと、極端に行ってしまえばチェーンソーや車のガソリン代を除けば、ほぼ皆無である。人の力が如何程のものか、自然に対してかなりか弱いところもあるが、現代人が思うよりも人の力と知恵は計り知れないところもある。かといってなければ大いに困るのであるから、どちらも知ってその適正バランスを考える必要がある。我々は道普請を通して、その地域に関わり、古い伝統的な暮らしの作法に学びながら、その地域で暮らすことの意味を丹念に導きだすことが出来ればと思う。

銀山街道道普請の実施にあたって、東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科田賀研究室および田賀意匠事務所が計画、施工に関するアドバイスをさせて頂いている。計画、施工というハード面にとどまらず、地域の方々との交流や地域の民俗、歴史、地理的な調査、銀山街道ウォーキングトレイルに関する作業を地元のNPOワクワク奥会津ドットコム、若松測量設計株式会社、会津若松建設事務所と連携しながら行なっている。

 
予定の作業を無事終了した。一カ所はぬかるみが酷く排水経路を確保して、
少し乾いたところで再度土嚢を敷く事とした。

現場を離れ、アスファルト道路に出たところで、解散。
近くにはむかしは棚田だったワラビ畑が広がっていた。
ワラビ畑の向こうに見えるのはキリの木。


作業終了後、間方地区の方々が慰労会を開いてくださった。
今回は道普請だけでなく、翌日の美女峠ウォーキングトレイルもあり、参加者も多数で、盛大に地元の方々にもてなして頂いた。
この地区に伝わる「高姫」の紙芝居を地元の菅家壽一氏が披露してくださった。美女峠には「高姫清水」という湧き水をはじめ、高姫にまつわる場所が色々とある。
大人達に紙芝居と言うのも一風変わった催しであったが、はなしは和歌に詠まれて続き、その情緒と地元の酒とともに大いに盛り上がったのでした。

 
地元の公民館にて慰労会

沖縄県の職員の方の感想挨拶

もてなしの料理の説明を間方奥さんから

間方の蕎麦は一風変わっている。出汁は日本海から鰹節、
具材は大根と牛蒡のみ、麺はそば切りではなく、パスタ製麺機で製麺されたもの
かなりむかしに集落の誰かが持ち込んだそうだが、食感はかなりかわっている。
酒は清酒と濁り酒、地元には造り酒屋はないが地元の米を使いつくられている。

大根菜飯。大根菜は三島町でよくつくられているようだ。

「高姫清水」の伝説の紙芝居が披露された。

ゼンマイの煮物

コゴミの煮物

ワラビの煮物

翌日の美女峠ウォーキングに備えて、早々に一本締めで終了。泊まりは宮下温泉にて。

我々、東北芸術工科大学田賀研究室の面々は、翌日はウォーキングトレイルではなく、ルートの踏査という作業があり、宿泊地に戻ってミーティングをしてその日を終えた。


また、今回の美女峠踏査およびウォーキングトレイルについては別途お伝えする事としたい。


参考:
http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/32632.pdf













2012年3月2日金曜日

twitter 2012.03.02 放射線防護文化形成記 03

3月2日あさ、曇りに霧のような雨。朝食
愛媛産いよかんを半分。ワッフルを一枚。青汁1杯。ハーブ珈琲。
(デコポンの方が美味しい。霧のような雨に付帯して放射性物質がついていると考えると本日は外出にはマスクを確実につけておいた方が良い。マスクをしていれば乾燥して舞ってしまうより、マスクを交換すればこう言う日の方が余程安心かも知れない。)

3月2日昼、結局、雨になった。昼食。
今朝の残りのいよかん半分。愛知産キャベツの千切りとツナ缶のサラダ、熊本産トマト(エゴマ塩)とバジルポテト(一昨日からの残り少々)、トースト1枚、メグスリノキ茶。オーガニック煙草(手巻き)1プク。
(サラダのドレッシングの基本は、塩、胡椒、ビネガー、オリープオイルを振りかけるだけ。311以前は、ビネガーの代わりに米酢を使っていたが、汚染されていない上等な米酢は貴重なので、サラダには使わなくなった。汚染を避けながら日本の自給率を上げる事は難しい。)

2012年3月1日木曜日

twitter 2012.03.01 放射線防護文化形成記 02

3月1日朝朝食。デコポンを半分。昨日残りのバジルポテト、トースト一枚、ハーブ珈琲(丁字、オレンジの皮、紅茶、タンポポ、アニス、コリアンダー、カルダモン等を珈琲に入れたもの)。

3月1日昼食。デコポン半分。バナナ1本。トースト1枚。ラーメン(油蕎麦)。
 (トースト一枚で足りず、近所の油蕎麦屋で一杯食べた。チャーシュー抜き、醤油、辣油、酢で多分麺は国産ではないだろう。ネギが少々入っていた、これは千葉県産のものかも知れない。)

3月1日夕食。バナナ1本。菓子パン2コ。
(仕事の流れで、夕食らしきものをとれず。)


放射線防護食文化の形成
1)汚染食物を極力避ける。
・汚染源から遠い生産地の生産物。
・汚染数値表示があるものを選び、数値を確認する。
・数値は低ければ低い程良い。出来れば上限を40Bq/kgとしたい。
2)新陳代謝を良くするものを食べる。(まず生の果物をとるのが良いとか。。デコポン)
3)新陳代謝を良くする食事の仕方をする。
4)免疫力をつける。
5)最低限の健康維持出来る量に食事量を減らし、不必要な摂取をひかえる。
6)嗜好品は精神性を損なわない為に少量摂取する。
7)放射性物質を吸着し排除する食物繊維の多い食物を摂取する。

2010年5月16日日曜日

ヤマカンピョウ(ヤマクラゲ)


先日、九州産業大学で教えている栗田氏が、長野出張のみやげをくれた。これまでいろいろお土産を持ってきてくれてありがたい。先月は、壇太郎氏からもらったと、イチゴを山ほど持ってきてくれた。これ大振りで小ぶりの美味しいものと比べると、やはりちょっと味が落ちるような気もしたが、一般的にみたらすこぶる美味しかった。逆に形がしっかりしてるから、砂糖控えめで十分形が残るように煮て冷やして食べたら最高。美味しい食べ方考えられるのがいいね。あとはクレープ、ムースなどにして美味しく食べさせてもらった。イチゴのリゾットもしたかったが考えてるうちに食べちまいました。壇さんは、昔麹町でルッフィーノって店を手伝ってた時に、一度、奥さんと食べにきてくれたことがあったな、栗田さん、壇さんによろしくお伝え下さい。

さて、それで今回、栗田氏が持ってきてくれたお土産の中でもっとも美味しい土産に類するものだった。それがヤマカンピョウ。

 img20060420_1.jpg


これです。もとは何かと言うと、オオバギボウシ。僕がこのオオバギボウシを食べたのは、飛騨古川で民家に暮らす、塚本夫妻のお宅にお邪魔した時だけれど、さっと湯がいて食べる茎の歯触りが美味しかった。その後、都会暮しでは、なかなかオオバギボウシを食べる機会に恵まれないが、これが乾物になっているとは知らなかった。通称「山くらげ」とも呼ばれるそうだ。乾物だけれど、この青々しい感じがとても清々しい印象をあたえる。水戻しも2時間ぐらいで戻るので、使い勝手もいい食材だ。

早速調理してみたが、今回はとりあえずきんぴら。

 img20060420_2.jpg

醤油と胡麻、唐辛子、そしてごま油がなかったので、ピーナッツのペーストをちょっと足して炒めてみましたが、旨い!白いご飯、酒のつまみに最高です。食べたときの歯触りがパリパリと、牛蒡のきんぴらとはひと味違った美味しさです。土産でくれたものは、有機栽培されたもので、乾物としての鮮度感もあり、もの自体もなかなかいいものだったんじゃないかな。
長野に行く機会があったら、僕も買ってこよう。栗田さんありがとうご馳走さま。(2006.4.20記述)

2010年5月15日土曜日

大豆


醤油や味噌、豆腐、最近では豆乳など、日本の食生活に欠かせない大豆。煮豆や、大豆の水煮を素揚げしてちりめんじゃこと混ぜるご飯なんてすごく美味しい。

ただし、乾物の大豆は保存可能な作物だが、水でえますのと、煮る時間が結構ながい。おかげでなかなか家庭調理の現場では、余裕のある専業家事業を営んでいなきゃ、なかなか使いづらい食材だ。勢いメーカー任せな食材でもあり、最近は水煮のパックや缶詰なんかも売っている。そうなると豆という食材のバリエーションが狭くなっているような気がする。醤油、味噌もいいけれど、もっと最近の食生活に合う食べ方も、他に探してみたい。


大豆を煮て、塩、胡椒、パセリ、バター、そして今回少々パルミジャーノを加え、フードプロセッサーでグィーンとパテに。バター、パルミジャーノは控えめに、付け合わせに使い、保存性のあるものとして、塩を少々強めで(そのまま食べるのなら控えめで)つくってみました。今回はセロリの付け合わせで、他の野菜スティックやクラッカーやパンにつけても良いです。味はまあまあです。塩を控えて肉料理の付け合わせにするのもよさそうです。調理も簡単だし僕的には丸。塩加減とちょっと寝かせて塩が馴染みが大切のようです。

img20060420_1.jpg

環境によい有機的な畑作農業として、豆類の栽培は土を良くする重要な農作物と考えられ、味噌、醤油以外にも、国内生産と流通がある程度可能な保存性、そして多様な近代食生活の中で利便性のある食材としての加工を考えてもいいのではないかな、と思うわけです。

先日、薫製の豆腐をいただきましたが、味付けをしすぎ。ただそれを食べるだけのちょっとつまらないものになっていました。豆腐の薫製という考えはいいと思う。なにせ、豆腐は加工食品の割に腐るのも早い。豆腐は美味しくて大好きですが、美味しさにかまけて、ライフサイクルにおける食材としては、かなりの嗜好品です。庶民的な食べ物は安全で保存性の高い食材を考えていく必要が有ると思います。薫製にして保存性が高くなるそれはいいことだと思います。でも今の食生活のあり方を考え食文化となりうる加工を考えて欲しいものです。商売に色気を出した土産品にしてしまわず、自分達の食生活に根付いていきそうな食材を開発していって欲しいものです。

またグリセリンの入った豆腐を食べるぐらいなら、豆腐じゃない食べ方を考えた方がよいとも思うのです。そして、たま~においしい豆腐食べる。醤油も本当に美味しくて良いものを使う。皿に残ってしまうぐらいバシャバシャとは使わない。残さないで大事に使うぐらいのものでなきゃ、本当の日本の食文化とは言えない食材となってしまいます。なぜ食文化が大事かというと、正しい食文化は、生産環境を良くし、国土の環境を保全してくれます。熟成も必要だし醤油ってのも、結構手間暇かかる高価なものですからね。しかも、原料の大豆は国内生産よりも輸入の方が多いっていうじゃないですか、大豆との付き合いは、よくよく見直した方がいいと思うこのごろです。(2006.4.20記述)

2010年5月14日金曜日

黒はんぺんとピーマンのきんぴら風


とんと最近外食が多く、料理はご無沙汰になっている。

img20061023.jpg
母は女学校の同窓会があるとかで、郷里である静岡へ出かけた。出かけついでに、安物でいいから静岡名物の黒はんぺんを送ってくれるように頼んだ。すると、母の出かけた日だったか、従姉妹から電話があり、黒はんぺんを送ってくれる旨を伝えてくれた。

従姉妹は電話口で、安物でいいというけれど、叔母の家でいつも買っている美味しいはんぺんじゃダメなのか?と聞いてきた。もちろん、ダメな訳ではないのだ。僕が母に伝えたのは、味付けされてやたらと高級感のあるものではなくて、もともとの素朴な素材でつくられたシンプルなものという意味のことだったのだが、額面通り、母は安物の黒はんぺんと、伝えたのであろう。元々、母は他人のいう微妙なニュアンスを解する人でではないし、僕も説明不足だったのかもしれない。こう言う事を言っていると、私ほどデリカシーのある人間はいないと怒りだすから、話しはややこしくなる。とにかく、事のついでにお願いした話で、事がややこしくなるのを避けるべく、詳細を濁し、なんでもいいから安い静岡の黒はんぺんを頼んだ訳なのだが、その後丁寧にも叔母の家では、僕の要求する黒はんぺんを話題にして、確認の電話までよこしてくれたのだった。

従姉妹には、良いようにお任せ願うと、叔母が普段買い求める蒲鉾屋の美味しい黒はんぺんを送ってくれた。宅急便で、こちらに届くや否や、頼んだ当初からイメージしていたものをこしらえた。良い食材が手に入ると、多少忙しくても調理しようという気持ちになるものである。ということで、久々の調理をした訳だ。

黒はんぺんとは、簡単に言えばつみれの平たくなった形状のものだが、表面積が大きいのでほかの出汁が無くてもそれを入れて煮れば美味しい汁がたくさん出てくる。よく里芋などと甘辛く煮込んだりするのを見かけるが、折角の出汁が甘辛くなってしまい煮汁はあまり飲む気がしない。折角の出汁のエキスは捨ててしまう事になるのでもったいない。

そこで、僕は少量の水で薄味で煮る事にする。生で十分に食べられる素材だが煮るのは食感がよくほっくりとさせるためである。沸騰したら八つに裂いたピーマンを入れ、出汁をしみ込ませる。汁気が少ないので蓋をして少し蒸し煮するように調理する。調味料はほとんど使わないが、ご飯との食べ合わせを考えて少々味付けをする。自然塩を少々、甘みを引き出す程度に蜂蜜をほんの少し、そして香りづけに美味しい醤油を数滴たらす。

ピーマンはほとんど煮ずに出汁の香りが少々ついて、鮮やかな緑が出た程度で引き上げる。あくまで湯がくつもり程度だ。そして、残った黒はんぺんは煮えたなぁ、と思うところまで煮て火を止める。

フライパンにピーマン、醤油少々、黒はんぺんの出汁少々、みりんまたは蜂蜜少々、唐辛子少々、を絡めるように汁気が無くなるように煮る。適度にピーマンの歯ごたえが残るようにする。味ははんぺんとの食べ合わせを考えてあまり辛すぎないように。

そして、黒はんぺんとピーマンを一緒に盛りつけて出来上がり。

 img20061022.jpg

ピーマンの苦みと甘みが黒はんぺんとよく合う。
ピーマンはそれだけできんぴらのようにしてもうまいが、黒はんぺんの汁が少し染みるこの合わせ方が味に奥行きが出ていいと思う。

先日、飛騨古川の米をもらったのでそれを炊いて一緒に食べた。久しぶりの自炊は甘かった。ごちそうさま。
静岡の黒はんぺんは、フライにしても美味しい。従姉妹がその食べ方を薦めてくれた。たしかに、母は静岡に帰郷するたびに黒はんぺんを買ってきては時折フライにして夕食に出していた。しかしながら、今はひとりでいるので、揚げ物は後片付けも面倒でさすがにやる気にはなれない。また、いつかどこかでご相伴に預かりたいものである。(2006.10.22記述)

後記)
昨年(2010年)、お世話になった人にこの黒はんぺんを送ろうとしたら、従兄弟に「黒はんぺんなんて、貧しい食い物だったんだから、こんなの送るなんて相手に失礼だよ。」と言われた。特に反論もしなかったが、貧しき中にその土地の暮らしの知恵や気持ちがあって、便利な世の中、裕福な世の中になっても、そういうことを大事にしていかなければ、いつか風土自然から痛い思いをさせられると、いつも私は考えている。清貧と言わないまでも、そうした心持ちが大事だと思うのだか........2011年3月11日、大震災で多くの人の命が奪われた、そして福島第一原発は被災中である。1ヶ月が経ち、人々は原発のことを他人事のように思いはじめている人も大勢いいることだろう。マスメディアに騙されたい人が多くいるような気がしてならない。人間とは愚かだ。..........人間の清貧さの方が、今や絵に描いた餅なのかもしれない。多くの人間(日本人)は享楽の麻薬の海に溺れ、死を感じずに死ぬることを選んでいるのか?

2010年5月13日木曜日

麻婆豆腐


森のボランティアに参加して、時々大磯で山の手入れをしているのだが、先日、一緒に草刈りをしている杉山先生から麻婆豆腐の所以を聞いた。杉山先生を「先生」と呼ぶのは、大学でアジア文化を専門とする先生らしいからだが、詳しい事は伺った事がない。
汗をかきかき草刈りをしながら雑談で麻婆豆腐の話しになったわけだ。

「麻婆豆腐」というのは、もともと「馬婆豆腐」だったのだという。つまり、「馬(マー)婆さんの豆腐」ということだ。それが、何時の頃からか「麻(マー)=辛いもの」という字に置き換わったのだそうだ。ウィディペキアによると清の時代、四川省成都の陳森富の妻、劉氏によって考案されたもので、「麻婆」とは「アバタ顔の婆さん」ということらしいが、どちらの説が正しいか興味のある人はもっと調べてみてください。

さて、その「マー婆さん」は何れにしても実在の人物で今でも四川にあるマー婆さんの店は続いているという。多分、マー婆さんはとっくに亡くなっていると思うが、麻婆豆腐発祥の店で今でも元祖の麻婆豆腐が食べられるそうだ。杉山先生はその店で食べた事があるそうだが、随分と辛いものらしい。たしかに四川の料理は基本的に辛い。一般的な日本人には、あまり好まれないかもしれない。

その昔、貧乏な若者や労働者達に、腹一杯に美味しいものを食べさせてあげたい。そう思ってマー婆さんが、あり合わせのもので作った料理だという。基本的には、ご飯の上に調理された具材がかかったものだそうで、日本人にとっては「麻婆丼」と言った方が良いかもしれない。

その夜、麻婆豆腐をつくってみた。四川の麻婆豆腐はかなり山椒が利いているという事なので、本場感を味わおうと目一杯限界と思われるぐらい山椒をいれてみた。いやぁー、シビれるぅー。まずこの味は、他人には提供できないぐらい痺れた。

しかし、自分の舌を痺れさせながら、中途半端な調味では分からない事が分かった気がした。舌が痺れて、「甘い」とか「辛い」「しょっぱい」といった味覚がわからなくなってくる。そのかわり「うまみ」みたいな味わいが妙に際立つ。普段、山椒をちょっと振りかけて「香り」だのちょっとした「辛味」だのが良い等と言われたりしているが、それでは本来の山椒の醍醐味はわからないものだ。その神髄は強烈な旨味への誘導だったのだ!「舌の感覚を麻痺させて旨味部分に舌を集中させること」だということなんじゃないか!山椒の辛味は唐辛子や胡椒とはちょっと違うことは周知のことだが、蒲焼きや焼き鳥以外に隠し味としてもっと使ってみてもよいのでは!という発見に、その日僕は多いに満足した。

ちなみに、その日の麻婆豆腐の材料は、ネギ、豆腐、ショウガ、ピーマン、豚挽肉、胡麻油、塩、胡椒、豆板醤、山椒、というもの。ピーマンは唐辛子っぽい食感を足すため、水解き片栗粉は割愛、レシピを確認せずに適当な食材を用意してみた。(麻婆豆腐 2008.6.24記述)

img20080624.jpg

2010年5月12日水曜日

ウリズン



脇町の川下さんの畑からウリズン(四角豆)とツルムラサキを頂いてきたので、早速調理してみる。味を確かめたかったので、あっさりと塩、胡椒、オリーブオイルで炒めてみる。

ウリズンはさっぱりとほのかな苦味とぱりっとした食感が良い。癖がなく何にでも合いそうだ。ツルムラサキはたべると少しぬめりがある。このぬめりを活かした食べ方がよい。多分、さっとゆでてかつお節と醤油で食べたり、納豆などと混ぜてもいいかもしれない。見た目の紫の茎がちょっとした彩りになって良いと思う。

取りあえず僕は、ウリズンをパスタと一緒に茹でたり、マヨネーズでスティック野菜のように食べたりして、見た目の変わった感じを楽しみたい気になった。四角豆とも呼ばれるこの豆は英語ではウィングドビーンズと呼ばれるらしい。確かに羽っぽい感じがして、うきうきさせて明るい感じのする野菜だ。

沖縄を中心に栽培されているこのウリズン、最近は四国でも栽培されるようになってきているという。熟して中の豆を食べたり、根の部分をイモとして食べても良いそうだ。(ウリズンとツルムラサキ 2004.9.5記述)


上ツルムラサキ、下ウリズン
2af0fu46.JPG

ウリズンは湯がいてさましてサラダ感覚で食べれば良い。湯がくと鮮やかな緑になる。これはクセが無く見た目が派手なので結構料理店ではウケると思うのだが、関東では滅多にお目にかかる事が無い。聞くところによると、築地には出ている事があるそうだが、そんなに人気がないそうだ。多分、普通の人がほとんど知らないためだろう。まぁまず知られたら、サヤインゲンぐらいのメジャーにはなれると思うのですが。覚えたら忘れない形だし、味も何にでも合わせられる、中華でも、和食でも、洋食でもいけるはずなのだから。私的にはお薦めな食材です。


久しく四国へは出掛ける事も無いのだが、徳島に住む佐藤氏から採れたてのウリズンとナス、そしてスダチを頂いた。個々最近調理環境の整っていない私のところではうまく料理する事がかなわないので、近くの懇意にさせて頂いている和食店へ持ち込んだ。

ちょっとウリズンは置いておいて、佐藤さんメイン栽培のナスを親方はスキ焼き風に仕立ててくれた。

写真を撮ろうと思っていたが、食い気が勝って先に箸が出てしまった。食べかけ途中でなんだが、スキヤキの旨味をナスが程よく吸って中々いい案配で美味。その後、松茸土瓶蒸しにスダチを添えていただいた。フレッシュで良し。佐藤さん、親方、ごっつぁんでした。(佐藤氏よりウリズン等頂く 2009.9.28記述)


写真は、上段が湯がく前のウリズン
中央はナスのすき焼き風、下段は松茸土瓶蒸し
img20090928.jpg

2010年4月21日水曜日

エリンギ

エリンギ
[2005年06月03日(金)記述]


最近出回っているエリンギというキノコ。
なかなか、歯ごたえもあって、味もあり美味しい。もとはイタリアのキノコという。

エリンギ / 田賀陽介筆


イタリアのキノコの多くは北イタリアが中心だそうだが、エリンギはイタリアの南部で自生するキノコだそうである。もちろん日本で市販されているものは自生ものではなくて栽培ものであるが、もともと野生のものはプーリアとかバジリカータとかの南部の山々一体に若葉がふきはじめる春先木立の足下、枯葉の合間からニョキニョキと生えてくるものらしい。

向こうではカルダレッロとかカルドンチェッロとよばれる。イタリア料理人の田中氏に聞いたら、カルドと呼ばれるキク科アザミ属の植物があって、そのカルドが枯れたあとに出回るキノコということでカルドンチェッロという名前がついているらしい。エリンギは学名。

最近はどうか知らないが、ヨーロッパでは日本ほどキノコを食べなかったそうだ。その中でイタリアだけはローマ時代から食されていたらしい。このエリンギも古代ローマから食されていた伝統の食材ということだ。

ちなみにカルドはその茎を食べる。野生のアザミを品種改良したもので茎の部分はちょっとセロリに似ている。アザミといえばゴボウである。そう、ゴボウは日本で食べるアザミ属の代表的植物である。野生のものはモリアザミ(牛蒡薊)、ハマアザミなど根を食用にする。ノアザミなどは根を乾燥させて神経痛や利尿の民間薬にしたり、若い根生葉は煮て水にさらし和え物、浸し物にする。日本でもなじみの深い植物種である。山に入るとヤマゴボウと呼ばれる植物があるがこちらは毒なので間違わないように、我々が普段食卓で口にしているのは「ゴボウ」とよばれるアザミなのである。

話は、エリンギにもどり、日本ではいくつかに刻んでバター炒めなどにするのが一般的なような気もするが、やはりイタリア南部原産のエリンギ茸はぜひとも、まるのままもしくは大きいものは半割にして、オリーブオイル、パン粉、ニンニク、パセリを混ぜたものを、エリンギ茸にかけてオーブン焼きして、塩、胡椒で食べてみたい。

南部イタリアではバターをほとんど使わないから、現地に近い食べ方といえる。現地に行って食べるのが一番いいが、たまに原産地の食べ方で味わってみるのもいいと思う。(文責:田賀陽介)

2010年4月20日火曜日

麻婆豆腐

麻婆豆腐
[2008年06月24日(火)記述]

森のボランティアに参加して、時々大磯で山の手入れをしているのだが、先日、一緒に草刈りをしている杉山先生から麻婆豆腐の所以を聞いた。杉山先生を「先生」と呼ぶのは、大学でアジア文化を専門とする先生らしいからだが、詳しい事は伺った事がない。
汗をかきかき草刈りをしながら雑談で麻婆豆腐の話しになったわけだ。

「麻婆豆腐」というのは、もともと「馬婆豆腐」だったのだという。つまり、「馬(マー)婆さんの豆腐」ということだ。それが、何時の頃からか「麻(マー)=辛いもの」という字に置き換わったのだそうだ。ウィディペキアによると清の時代、四川省成都の陳森富の妻、劉氏によって考案されたもので、「麻婆」とは「アバタ顔の婆さん」ということらしいが、どちらの説が正しいか興味のある人はもっと調べてみてください。

さて、その「マー婆さん」は何れにしても実在の人物で今でも四川にあるマー婆さんの店は続いているという。多分、マー婆さんはとっくに亡くなっていると思うが、麻婆豆腐発祥の店で今でも元祖の麻婆豆腐が食べられるそうだ。杉山先生はその店で食べた事があるそうだが、随分と辛いものらしい。たしかに四川の料理は基本的に辛い。一般的な日本人には、あまり好まれないかもしれない。

その昔、貧乏な若者や労働者達に、腹一杯に美味しいものを食べさせてあげたい。そう思ってマー婆さんが、あり合わせのもので作った料理だという。基本的には、ご飯の上に調理された具材がかかったものだそうで、日本人にとっては「麻婆丼」と言った方が良いかもしれない。

その夜、麻婆豆腐をつくってみた。四川の麻婆豆腐はかなり山椒が利いているという事なので、本場感を味わおうと目一杯限界と思われるぐらい山椒をいれてみた。いやぁー、シビれるぅー。まずこの味は、他人には提供できないぐらい痺れた。

しかし、自分の舌を痺れさせながら、中途半端な調味では分からない事が分かった気がした。舌が痺れて、「甘い」とか「辛い」「しょっぱい」といった味覚がわからなくなってくる。そのかわり「うまみ」みたいな味わいが妙に際立つ。普段、山椒をちょっと振りかけて「香り」だのちょっとした「辛味」だのが良い等と言われたりしているが、それでは本来の山椒の醍醐味はわからないものだ。その神髄は強烈な旨味への誘導だったのだ!「舌の感覚を麻痺させて旨味部分に舌を集中させること」だということなんじゃないか!山椒の辛味は唐辛子や胡椒とはちょっと違うことは周知のことだが、蒲焼きや焼き鳥以外に隠し味としてもっと使ってみてもよいのでは!という発見に、その日僕は多いに満足した。

ちなみに、その日の麻婆豆腐の材料は、ネギ、豆腐、ショウガ、ピーマン、豚挽肉、胡麻油、塩、胡椒、豆板醤、山椒、というもの。ピーマンは唐辛子っぽい食感を足すため、水解き片栗粉は割愛、レシピを確認せずに適当な食材を用意してみた。(文責:田賀陽介)