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2025年11月7日金曜日

倒れた稲穂(喜多方の田園風景)

 コシヒカリなのか、風で倒れた稲穂を収穫するのは面倒だろうなと思うと、そうでもないと言う農家もいる。倒れ具合にもよるのでしょうが、美味しい米を食べさせてもらえると思えば、どちらにしてもありがたいことだと、喜多方の田園を横目に通り過ぎる夕暮れに稲穂は赤く葉は黄金色に。


2025年11月2日日曜日

山の生き物とくらし。隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので。

 隣の家のアキラさんがタヌキ欲しいか?とやってきたので、見に行ってみると罠にタヌキがかかっていた。


畑にカラスが啄みにやってくるので罠を仕掛けていたそうだが、うれきったキュウリにタヌキが手をつけてかかってしまったようだ。
タヌキの捌き方は知らない。村の知っている人に聞いて捌くことも出来るかと思ったが、今回アキラさんの畑でタヌキが悪さをしたわけでもなかったし、分福茶釜みたいな恩返しもあるかもよ(分福茶釜はいわゆる単純な恩返しものの御伽話ではないと思ったが)、と言って放してやる事にした。
鍬とスキを使って噛みつかれないようにタヌキを押さえつけて罠を外した。最初は猛烈に暴れたタヌキも直ぐに観念して落ち着いたところでグッと罠のバネを外した。もう前足はちぎれそうなぐらいだったが、治療することもできなかったし、外した途端、外れた一瞬の間を置いて向こうの畑にタヌキは逃げていった。
前足が自然に治癒するとも思えなかったし、治癒してもびっこ足でどれだけ生きられるのか、畑の畝に見え隠れしながら視界から消えてゆくタヌキの背中を見守りながら、山の中で生きる彼らの厳しさをおもうと、被害に遭われた人々の悲劇を差し引いても、クマを恐れる人間の今の話題すら人間の欺瞞に思えてしまう。
それでも農作物がやられれば、コノヤロウ、と思ってしまうだろうし、実際に自分が直接クマに襲われれたら自然の摂理だと受け入れることができるわけでもない。被害と対策がどうといった話では割り切れないことを少なからず実感したのでした。

2025年9月28日日曜日

山地の日常的な生活、夕顔

 本日終了(2025年9月28日)の米沢で開催されたミナミハラアートウォークにS&T(ギャラリスト上村氏の主催するギャラリー)を通じて出品させていただいた立体作品「日常的な生活、夕顔」。


ミナミハラアートウォークにご来場いただいた方は、一足先にご覧いただいているものですが、土台の部分も含めて杉の廃材で削り出し、オニグルミのインクで着彩し、ワトコオイルをコートしたものです。防腐剤などは使っていないので、ゆっくりですが少しずつ経年変化が想定されています。
山中の村で制作作業をしていると村の近所の人が農作物を持ってきてくれます。自分の作業しているものよりも余程美しいなと思えたりするところがあって、そのままその美しいところをしばらくの間、定着させたいと思うと、それまでの作業を止めて、農作物の美しいと思ったところを削り出していきます。
どの農作物の削り出しも実寸大ですが、良いなと思えたところを捉えられた時点で作業を止めるので、完全にリアルなものとして再現するわけではありません。着色も含めて捉えた時点で蜜蝋かワトコオイルを塗り完成させる、と言った具合です。
農作物も少しずつ乾燥したり変化していくのでナルハヤで作業します。
山地の雪が溶けてようやく村人が思い思いの作付けが出来る様になり収穫出来る時期は夏の一時期で、そのあと秋口には大根、はくさいぐらいの収穫になり、冬支度になるので、ある種の収穫と生の喜びに近いものが農作物に宿っているように思えたりするところが、美しいな、というところなのかもしれません。 夕顔は一般的なスーパーなどでは見かけません。
実際、大きくてわざわざ購入して持っていくのも、調理の汎用性を考えても、ちょっと躊躇します。が、その大きさや重みに気持ちが上がります。持ってきてくれた人も嬉しそうに面白そうに持ってきて、大きさや重さを話題にして、話がはずむところを同じ様にこの制作物から感じてもらえればと思ったりしたのでした。

2023年4月10日月曜日

平野の樹林(小貝川の段丘斜面林)

 【樹林形成・緑地】小貝川段丘緑地(ケヤキ、シラカシ、モウソウチク、ネザサなど)
関東平野は日本の中でも広大な平地が続く。
人は平地を耕作地に
開発してきた。すっかり見渡す限り、人の暮らしに直接資する農地と市街地と道路ばかりが目立つが、よく見ると細長く続く樹林が見える。平地にあっても河川の長年の歴史によって生み出された段丘斜面があって、利用効率の悪い斜面が緑地(樹林)として残されているのがわかる。


小貝川沿いを車で通りすがる途中、近づいてみることにした。
遠目からは落葉樹と常緑樹の混交林といった雰囲気だが、実際はどんなものか。
遠目からは高さをあまり感じないが、斜面の高さは12〜15メートルはあるようだ。斜面の角度が45度だとしても緑地の幅は15メートルはあることになる。それが小貝川に沿って何キロも続いているのだから、農地と市街地が広がる土地としては貴重な樹林だと思う。


近づいてみると、真っ先に目立って見えるのはネザサと竹林なのであった。
斜面下に立つと、貴重な樹林はみっちりと隙間なくネザサや竹に覆われて、遠くにポツポツとケヤキの大木が見える程度だ。合間にはもしかしたらケヤキやカシの稚樹がいたりするのかもしれないが、明らかに旺盛なのは竹林だ。
このまま放置していれば、そのうち斜面は竹林だけになってしまうのかもしれない。
肥料も薪も必要としない現代においては、竹林だろうが賊樹林だろうがどうでもいいのだろう。
しかし、もう少し残された緑地(斜面林)の有り様を考えてみても良いのではないだろうか、と要らぬ心配をしてしまった。


大木と竹林では人がわざわざ入っていきたくはない面倒な緑地にしか見えないのかもしれない。
自然にとってはそれでいいのかもしれない。ただ、どんどんと人の暮らしの調和という感覚はどんどん薄れていくように思えてくる。

2023年4月8日土曜日

梅林と海軍道路の桜並木

 【樹林形成・緑地】

横浜市の西、大和市との境あたりに「海軍道路」と呼ばれる道がある。
桜の街路樹が延々と続く道。あたりには建物らしい建物がほとんどない、首都圏近郊では珍しい場所。サクラの並木が広大な原っぱに続いているが、子供の頃と比べると並木が片側だけの区間になったり、幹線道路からの入口付近は道路拡幅や道路線形の変更が行われ並木そのものがなくなってしまったり、ソメイヨシノは管理が大変ということで伐採されて歯抜けになっているところも目立ち、徐々に桜並木の景色が失われてきている。県や市はどうやらこの桜並木を残す気は無いらしい。
明治神宮の森が今、開発の波に晒されているように、このあたりも開発の計画があるようで、開発が進めば、この桜並木もいずれなくなってしまうのだろう。

海軍道路とは
旧日本海軍の弾薬庫だった場所の敷地内道路だった。
桜並木は戦後のものではないだろうか。まだ調べていないのでわからない。
戦後、弾薬庫は進駐軍に接収され、つい最近まで米軍の通信基地となっていたが、
衛星による通信が発達しその役目が終わり、日本に返還された。こうした米軍の土地は沖縄県に次いで神奈川県が多い。私の家の近くでは厚木飛行場や座間ベースなどがある。

自分は米軍になってからの海軍道路しか知らなかったので、米軍の海軍の道ということかと思っていたが、日本の海軍の道だった。


通信基地周辺)
首都圏近郊になる広大な緑地は概ね240ヘクタールほどあるという。
貴重な緑地がこれから開発の憂き目に合うという事なのだが、2023年現在の日本の景気状況では目処が立たず、あまり開発は進んでいないようである。
戦前は海軍の弾薬庫、戦後すぐには軍から地元の農家に払い下げられたが、その後進駐軍に接収されてしまった。この接収されるまでの間は戦後動乱の食糧難の時期で、払い下げられた土地は畑となり食糧生産の現場となっていたという。
その後、通信基地の規模が縮小され1ヘクタールに満たない大きさで地元農家に払い下げられたらしい。それで親の代で梅林にしたのだとここで出会った農作業をしている地元の年配の方に伺った。結局、地元の地権者は時代に翻弄されて2度土地を買わされているみたいな事になって、そして今、開発するとかなんとかで、買い上げが進められているらしいのだが、それで明け渡す際に、梅林を撤去しなければならないらしく、一部伐採したものの、不景気のためか、現在(2023年4月現在)明け渡しが伸びてしまっているそうだ。




植木のためのトキワマンサクの植樹が見えた、他にもいろんな庭木が植えられているところもある。畑をしているところもある、草原の状態の場所もある。
目につくのはバックホウで造成のようなことをしている場所。もう開発の造成が入っている場所もあるのかと思ったら、都心のトンネル工事などで排出された土の置き場になっているということだった。

野良仕事をしていた老人は、土地が時代に翻弄されてきたことを経験した為か、こういう時は波に飲まれてあらぬ事になってしまうから静かにしているのが一番良い、と言っていた。
権力や世界の情勢に付き合わされて跳ね飛ばされていく人がいたのを見てきたのだろう。

梅林)
彼の農地には梅林が植えられていて、3つに区分されている。一つは草刈も剪定も漁れている管理された梅林、そして全く管理をしていない枝が密集し地面も草刈されていない梅林、そしてその合間にある畑。畑の合間には梅の根株が残っていたりしているので、最近まで全体的に梅林だったことが伺える。
先に書いた通り、梅林を処分してくれと言われて、処分し初めたのだが、結局まだ引き取ってくれないので、ネギなどを植えて畑にしているとのことだった。管理している梅林は欲しいという人がいるのでやっているらしく、管理していない梅林は売れもしないし、管理も大変なのでそのままという状態だということだった。

人の暮らしも社会に惑わされていくが、身動きの取れない植物は人の都合で植えられたり切られたりと、身勝手な人間に難儀している。それでも息吸うことすら人の生存に不可欠な植物たちは、人間の身勝手な活動をゆっくりと見守り、文明が止まれば自然の力として覆い被さってくる。だから、気にすることもないと言えば無いのだが、どちらかといえば人間にとって良好な暮らしには、植物との調和的な暮らしや個人、公共に関わらずもっと多くの適正な緑地を確保し良好な景観形成していくことが必要に思う。むしろ植物のためではなく、人間のために植物との調和的な環境が必要なのでは無いだろうか。
(文章がまとまっていないようにも感じるが、メモ書きとして、20230408田賀)

管理された梅林

放置された梅林

梅林を伐採して畑となった場所。
切り倒した梅の幹が転がっていた。












2023年2月24日金曜日

なまらないように(ある日)

 お籠もりが続き足腰が弱る。マズイと思い今日は晴れていたので少し歩くことにした。

家を出て若宮八幡に向かう途中村の人が出掛けようとしているところに出会う。スノーモービルを積んでいたので、何処に乗りに行くのか聞くと、イノシシ狩りに行くと。
獲れたら分けてくれると言って出ていった。
それから若宮八幡へ向かい橋を渡ったけど、神社まではカンジキでも履いていないと無理そうだったので、途中の雪の上に腰を下ろし、雪景色を眺めながら携帯してきた湯をすする。
お茶にすれば良かったか、腰に敷くマットがあれば良かったかなど考えながら、まだ陽が上がったばかりの冷えた空気の静かな景色を眺める。気分はいいがさすがにそう長居は出来ないなと腰を上げ、それに体を動かそうと出て来たのだからと、毘沙沢の方に向かってみることにする。途中、沢の入り口で何人かの村人に会い挨拶をして、ゆるい坂を登っていく。圧雪されてはいるが車の通れない道を歩く。時折、キジのような鳥の声がする。詳しくないので同定はできない。
圧雪された道は少し足を取られるものの、思いの外硬く閉まった雪でカンジキなしでも歩きやすく上の方まで歩けるような気がして、歩みが進んだ。結局集落まで辿り着き、ちょっと挨拶と思ったが、お茶とお菓子を頂き、長話をしてしまった。
30年前の様子や色々な話を伺い、沢を降りた。
来た時より気温が上がり手袋をしないでもそんなに悴まない。素手で空気を感じながら歩くゆるい下り坂は快適だった。
家に戻り、昼過ぎに朝約束した肉を持って来てくれた。
今日は収穫はなかったそうだが、代わりに以前に獲ったシカとイノシシの肉を届けてくれた。刺身にすると美味いというシカの部位もつけてくれた。コイツはラッキーだ。さていつ料理するかな。 (2023.02.23)


2023年2月7日火曜日

晩春に短い成虫の時を過ごすキアシドクガ

ドクガと言っても言っても毒があるわけでもない。
むしろはかなく可憐に見えてしまうのは、短い一生の時を舞うからなのだろうか。
ミズキを食相とすると言われているけれど、見ているとミズキ以外の樹木の周りにも多く見られる。2020年5月20日、神奈川県大和市泉の森にて。








 

旅するチョウ_アサギマダラ

 2021年9年9日、箱根仙石原で撮影。




2023年2月5日日曜日

シラカシの純林

 あまり難しいことは書きません。雑感をダラダラと書き留めます。
たまに散歩する公園の斜面林はシラカシの純林ということで神奈川県の天然記念物に指定されているのだとか。この泉の森と言われる公園は小学生の頃、水源池、と言われていた場所で、「1人で遊びに行ってはいけません」とか「入っちゃいけませんとか」言われていましたが、今は公園として整備されています。


天然記念物と言っても、人が薪炭林などで管理していた二次林の樹林なのだと思いますが、相摸野台地という周囲に山というものが全くない場所で、樹林として残っているということがとても貴重なのかもしれません。ほとんど都市化してしまった神奈川の北部の貴重な二次的な自然と言えるのでしょう。国道246号線や東名高速道路で都心から来て初めて出会う大きな緑地帯で、大きな道からも林冠を見ることができます。

このシラカシの樹林の林床に生えているものを見ると、ほとんどトウネズミモチかネズミモチ、そしてマンリョウ、センリョウがちらほらといます。
シラカシは常緑樹なので樹林自体は少し暗めです。植生的に面白いかと言われれば、もう少し多様性があってもいいかなとか、勝手に思ったりします。純林で残すのもいいけど、循環里山みたいな部分を整備、管理しても良いのではないかな、と思ったりしますが、今は管理が行き届かず、樹冠からの大枝の落枝の可能性がある場所などは通行禁止になっていたりして、なかなか管理も樹林の維持の考え方も含めて調整して市民活用というには難しい課題もありそうです。

この公園は現状の緑を残すように管理されていますが、それは大和市の水源池であることからなるべく人が開発的な活動をしないように維持されてきたことが、現代の都市化した首都圏郊外でこれだけの緑地が残された大きな要因なのだと思います。それゆえ山地じゃない場所でよく樹林が残されていて、もし水源地でなければ多分開発されて緑地など残っていなかったことでしょう。自前の水が確保されているということは、その土地の自然度を保つということ、そしてそのお陰でそこで人の暮らしが担保されていることの現れ。逆に言えば、自然度のない場所は人の暮らしが自立して成立しない土地であることは間違えがありません。
都市化した都心、そして郊外でのそれでも人の暮らしは自然と切り離せないことを象徴的に見せてくれている場所はとても貴重なのだと思います。この泉の森をはじめとした引地川に沿って連続する公園群は市民の憩いの場としてよく活用されていると思いますし、水源池ということもそれなりにPRされているとは思うのですが、それ以上に人々の生命の源泉としての水源の保全ということに必要な自然度、ということをもっと周知しても良いのではないかなと思うのでした。


2018年9月24日月曜日

イノシシの親子に会った日

ひとり作業というのは、ペースをつかむのが難しい。会津の山間の散村の農地の通りすがり年配の方がひとりで作業をしている様子を見るといつも尊敬の眼差しになる。よく誰もいない山間でひとり淡々と作業ができるものだと。
それでも自分なりに作業そするわけだが、合間に休憩をとり適当な場所に横たわってみる。存在感を消して静かにしていると、、、自分の作業するような場所はそんなに野生でもないのだが結構いろんなのがやってくる。ヤマガラ、キジ、ホンドジカ、イノシシなど。




先日は、フゴぉ、と鼻息が聞こえたので、体を起こしてみるとイノシシとウリボウが二頭、多分母親と二頭の子なんだろう、こちらに気づかず、僕の作った道をフゴフゴと鼻を擦り付けながら何やらやっている。道は僕の横たわったところから一つ草むらを隔てているので、何を物色しているのかわからない。とにかく僕には気づかず、仲睦まじく道をうろうろしているので、あぁ、ひとだけじゃなく、獣にも利用されて、よかったなぁ、と思いながら眺めていた。「僕た作った」というのは、結構おごった言い方で、元々獣道だったところをひとも通りやすくしたという道なので、彼らが使っていた道であって、別に僕が作ったと威張れるものではないのだけれど。
じーっと、見ていたら、さすがに母親が気付いて、僕を見つけて驚いたように、フゴォ!っと、鼻息を鳴らして、一瞬緊張が走ったが、ウリボウ達を連れて逃げていった。



あとで、何を物色していたのか見に行くと、ヤマボウシの実を物色していたようだった。僕が竹ぼうきで掃いたあとに落ちたヤマボウシの実は、見つけやすかったのか?それとも、下草に覆われていた方がヤマボウシの実は食べやすいのか?
どちらだかわからないが、僕は前者のように考えて、やや満足げな気分になり、里山的な管理というのも実に良いものだと自画自賛した。
ちなみに周囲では、ぬた場にされて荒らされたり、ミミズを探して掘り返されたりして、獣害ということになっているが、僕が管理している緑地では、それはそれとして風景と呼んで(風景となるようにしつらえてあるとも言えるが)、獣害とはしていない。

イノシシよ、ありがとう。なんか君らに会えてよかったよ。

映画やドラマでの女性の入浴シーンというのは、作り手側にとっても観る側にとってもとてもエキサイティングなものだ。水戸黄門での由美かおるみたいなお色気シーンというのもあるが、古くは成瀬巳喜男監督の「浮雲」での高峰秀子と森雅之の入浴場面は人里離れた幻想的な映画でしか得られない男女の影のある甘味なイメージをあたえてくれる。
「泥の河」での藤田弓子の入浴場面は母性の持つ偉大さを最大限に観るものに与えてくれる、田村高廣のおっちゃんと対をなす重要な場面だとおもう。
そして、印象深いのは今村昌平監督の「黒い雨」。うら若き女性が被曝に冒されていることを若い美しい女性の肢体に強烈なコントラストとして見せつける。キャンディーズを引退して、女優として初めて復帰した田中好子の入浴場面ということもあり、衝撃的で実に効果的な演出だった。
興味がおありの方は、ぜひ本編をご覧ください↓。
(是非、興味のある方に観てもらいたいので、写真拝借しておりますが、問題があるようでしたらご連絡ください。)

2018年7月29日日曜日

ちょっと、サイン考

サインといっても色々だか、今回は山頂や峠頂上に設置される記名標識について考えてみたい。といっても掘り込むと以外と奥深すぎて収拾がつかなくなるのでちょっとだけ。

毎年訪れる美女峠道。頂上と明記されたサインのあたりでいつも小休止する。その時その時では気付かないが、写真で比べてみて初めて毎年の当たり前のことが微妙にニュアンスが異なるように思える。標識があればこそのの微妙な違いも感じるが、もし標識がなければ茫洋とした、輪郭の曖昧な自然の中であまり差異というものは感じないのかもしれない。なんの変転つもない木の板の標識だからこそ、微妙な差異を感じられる。

少しずつ、思うところをサインについてまた触れられたらと思う。

2015年9月16日

2016年5月9日

2018年6月5日




台風の日、安らかに。

2018年7月27日
会津と関わりのある高遠藩の城下町、伊那。
従兄弟とモロちゃんの一周忌に行きました。
奇しくも台風の日でしたが、高遠は台風のおかげて連日の暑さから解放されて過ごしやすい日和でした。高遠の満光寺に納骨と法要でしばし集まった人たちと歓談して故人となったモロちゃんを惜しむ。
歓談といっても、やはりあれこれと今更無駄と分かっていても、生前してあげられることがあったのではないかと色々な場面を思い出す。こんな穏やかな日和だから物静かに思い出しているのかもしれない。安らかに。




2017年8月5日土曜日

懐かしき銀座の風景

懐かしき銀座の風景
銀座コリドー街のにぎわい。
バブル終盤のコリドー街は随分と薄暗い印象だったが、一頃から比べると人で賑わっているのだ。そしてコリドー街の店はことごとく刷新されている。昔見慣れていた看板はほとんどなく、自分が少々馴染みにした店もほとんどない。馴染みにした店といっても、銀座でそれっぽく飲み食いしたいい感じの話ではなく、例えばコリドー街に面した角のスターバックスは昔、モスバーガーだった。
当時、僕はクーラーの効きの悪い勝どきのマンションに暮らしていて、最寄りの商店街というともんじゃで有名な月島商店街か銀座しかなく、月島商店街は夜が早く、銀座もそんなに遅くまで店はやっていないのだが、大体普段に通える店も僕の経済事情では難しく、リーズナブルで深夜営業している店はモスバーガーぐらいしかなかった。バブル崩壊後、コリドー街やそこから銀座通りにかけてのビルの谷間の路地には空き店舗も目立っていた。そのうちワンショット300円ぐらいで飲めるリーズナブルな店が増えていったりして人が少しずつ戻ってきたが、とにかく当時は閑散とした感じで、東京の中心というよりも一地方の場末の街のような感じであった。
夜な夜な涼みに仕事道具を持ってモスバーガーに陣取り、時折通りかかかるホステスさんやサラリーマンの姿を窓越しに眺めながら、金にならない仕事をのらりくらりとやっていた。銀座周辺に暮らしていながら、結構しみったれた生活を送っていたが、最近のにぎわいを目の当たりにして、それも懐かしい思い出になってしまった。
年に一度が、二度ぐらいもんじゃ屋に行き、駄菓子のようにコーラーとプレーンなもんじゃを突き、勝どきの立ち飲み屋へ行く、トリスのハイボールと季節の料理を二、三品。アルコールがほどほど酔い回ったところで、酔い覚ましと涼みに勝鬨橋をわたり晴海通りを銀座へ向かう、交詢社ビル近くの鳥繁でドライカレーを先に頼んでから、適当な串焼きを数本と日本酒の冷を頼みもう一回り酔ってみる。
けれど、月島商店街ももんじゃ屋がやけに増えて随分と雰囲気が変わっていた。馴染みの銭湯もほとんどなくなってしまっていたし、久しぶりに鳥繁に入ってみると、昔のようなサラリーマン客層よりも年配のリタイヤ組や女性の姿がとても目立つ店になっていた。昔通った店を懐かしんだ年配がご夫婦で来店しているような雰囲気だ。
それも時代の趨勢であるのだろう、高齢化社会の良い銀座の雰囲気がつくられていってほしいものだと、年配夫婦の客姿を眺めながら、店の片隅で串を2本、酒は飲まず烏龍茶、締めのドライカレーを頂きながら店を出た。
鳥繁のあと、最後の締めは、近所のバーか帝国ホテルまで足を伸ばしオールドインペリアルバーでボーモアのスペシャルエディションかポートエレンをストレートでワンショットか気分のいい時は二杯目をいただき、キリッと帰る。それがたまの楽しみの飲み歩きであった。
だが、通りすがりで久しぶりにちょっと銀座を回ってみると、どれもこれも懐かしみの中にあることにややたじろいだ。
懐かしみをネガティブあるいはただの懐かしみにするのではなく、このノスタルジーから今の暮らしのリアリティの礎となる価値を見出していくことが大事なのだと思っているのだけれど、そう思う自分ですら、たじろいだ。自分が思う以上に日本社会全体の高齢化が進んでいて、そのこととは別に今の歓楽街に見る表層的な活気をリアルだと思って(思い込んで)活動している状況があって、一歩霞ヶ関に足を伸ばせばデモが行われていたりする。歓楽街もデモもどちらもチラ見で通りすがるしかできていない自分もいる。
勝どきの立ち飲み屋は、その頃暮らしていたマンションの近所ということもあって、2、3週間にいっぺんぐらい行っていたかな。時折、そこの常連だった杉浦日向子さんと遭遇することもあった。隣で一言二言会話を交わしたりしたのだが、神戸の三宮でバッタリイタリア料理店で居合わせた時には驚いた。それから一ヶ月ほどだろうか、彼女の訃報をきいた。
彼女の描いた「合葬」に随分と感じ入っていた。江戸という幻想の世界としか感じられなかった時代を漫画を通じて、幻想でありながらに現代の現実の感覚に繋げ、時代を連続性として顕在化して見せてくれた、その時間軸を縦横無尽に行き来させる感覚に魅せられて、ノスタルジーというものに希望ということと同等の価値を与えて、今の暮らしに落とし込んで物事を考えたいという発意を自分に与えてくれた人だった。亡くなるちょっと前に引き合わせてくれた何かの縁を感じずにはいられない。はなしは逸れたが、今一度、振り返って過去を積極的に見つめて今の、これからの暮らしを考えてみたいと思わせられた通りすがりの銀座の夜だった。
そのうちもう少し杉浦さんのことを書いてみたいのだが、ただ今は、江戸風俗の研究者としての彼女より、ひとり飲み屋にやってきてニコニコと呑んでいた姿を思い出すに留めて

2017年6月26日月曜日

道路の管理

痛ましい事故が起きた。
道路沿いの街路樹の管理は当然の事なのだが、必要な事だが何でもかんでも伐採すればいいという事ではないと思う。
街路樹とは別に、山道について周囲の山林の管理は10年ごとに行うなど、道路管理の一環として行う必要があるとおもう。

私の提案としては道路路肩から10〜15メートルの範囲で、里山管理のように道路管理がなされれば山林環境にとっても、道路の安全性にとってもよい。
是非、考えてほしいものだ。

私が関わっている道普請事業などでも、なかなかその周辺管理について理解が得られないのだが、こうした事故を機に検討する機会としてほしいとおもう。




倒木が乗用車直撃 運転の男性死亡 熊本

25日夜、熊本市内の県道で、高さ9メートル余りの木が倒れて走ってきた乗用車を直撃し、運転していた32歳の男性が死亡しました。倒れた木は古く、根元が腐っていた可能性があり、警察が原因を調べています。
25日午後7時半ごろ、熊本市東区下南部の県道で、道路脇の斜面から、高さ9メートル余りの木が倒れて、走ってきた乗用車を直撃しました。

この事故で車を運転していた熊本市東区渡鹿の介護士、小島由裕さんが(32)頭などを強く打って病院に運ばれましたが、およそ1時間半後に死亡しました。

また、小島さんの後ろを走っていた軽乗用車も倒れた木に接触し、バンパーが壊れるなどしたということです。

道路を管理する熊本市東部土木センターによりますと、倒れた木は直径がおよそ50センチあったということです。

現場では大雨による土砂崩れなどは確認されていないということで、倒れた木は古く、根元が腐っていた可能性があることから警察が原因を調べています。

2017年6月11日日曜日

基地

辺野古に限らないですが、沖縄が返還される1972年ごろまで、父の仕事の関係で進駐軍や自衛隊の基地の内側に暮らし、子供自分の目で見てきた、フェンスの内側からデモ隊やら米軍人や自衛隊員の日常の姿、フェンスに塗られた塗料やサビの匂い、刈り払われた周囲の草の萌える匂い、門兵のいる小屋、戦闘機やヘリの音、悲しいような清々しいような、悔しいような優しいような、なんとも言えぬ、混沌とした感覚はなんとも伝え難く、基地の存在がある種の自分のアイデンティティとなってしまっている、辺野古の基地に着くと熱く込み上げてくるものがありました。戦争体験者ではありませんが「さとうきび畑」という歌の、ざわわ、という響きやウチナーグチの歌詞に重ね合わせてみることができます。
自分が辺野古に唐突に行った意味はもしかしたらあまり伝わらないのかもしれません。沖縄のひとの思いとも全く違うのかもしれません。
ただ、わたしはこの国が、私たちの暮らしが、薄っぺらな政治家や権力者の手によって踏みにじられ、踏みにじられることに無感覚になっていくことが耐えられません。


(写真は、辺野古のキャンプシュワブではなく近所の厚木基地です。)

さとうきび畑 寺島尚彦
ざわわ ざわわ ざわわ 広いサトウキビ畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる 夏の陽射しのなかで
(ちゅぅんみぃゆるかじり  みどぅりぬなみがもぉいん(舞う)なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
むかし海の向こうから いくさがやってきた 夏の陽射しのなかで
(んかし海ぬかぁま(彼方)から いくさがゆしてぃちっい なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
 
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった 夏の陽射しのなかで
(あぬひぃかんぼぉぅ(艦砲)ぬあみ(雨)んかい すぃ(父)やうちゅくゎぁってぃ なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)

2017年6月9日金曜日

キャンプシュワブゲート前

先日、何か自分の中で、いてもたってもいられず、弾丸で辺野古へ行きトンボ帰り。
辺野古の集落は、ベトナム戦争の時代からの残像が残る。沖縄北部集落の過疎化や地域だけでは解決しがたい中央の様々な事情によってねじ曲げられた経過を静かな海を前に感じます。そしてその海も今、中央の勝手な事情で改変されようとしている。
沖縄の人、おじいやおばあの活動はただ基地がどうしたということだけではないのだろうと実感してきました。
キャンプシュワブゲート前に行って、少額ながら活動寄付させてもらってきました。工事車両の入場口はアルソックが通常警備、工事車両の出入りの時に警察が工事車両警備に来ているようです。座り込み抗議の方々は、水曜日が毎週の活動の中心で、常時毎日何人かの方がゲート前に詰めておられます。行くと丁寧に説明くださいました。
そして、数日後、お礼のハガキを丁寧に頂いた。(2017年6月9日 田賀記)

辺野古集落風景

辺野古集落すぐ横のキャンプシュワブゲート前

座り込みの方々から頂いたハガキ