2021年6月13日日曜日

 ウコギ(箱根にて)

5葉の掌状複葉、ヤマウコギは花が葉の影につくらしい。これは花が葉より上についているので、ヤマウコギではなくミヤマウコギのようだ。

ちなみに、米沢などで生垣にされているのは中国産のヒメウコギ(ウコギ)で、上山や山形市内の生垣でも見かけたりする。いつもよく見かけるウコギといえば、このヒメウコギで枝にはよく発達した棘があり葉の輪郭も少し異なる。
山でミヤマウコギを見かけても、同じように葉が展開すると掌状複葉するコシアブラかなとすぐに思ってしまう。うーん、でもコシアブラじゃないなぁ、と思いながら、掌状複葉する低木は山の中でそんなに色々ってわけでもないはずだがと、自分の植物の知識不足を反省する。 どうも調べると、ウコギも色々あって、エゾウコギ ケヤマウコギ ミヤマウコギ ウラジロウコギ オカウコギ ウラゲウコギなどなど。ただ普段に町や近くの山でまあまあ出会うものはヒメウコギ、ヤマウコギぐらいなのではないだろうか。写真のミヤマウコギは標高790m付近なので、近くの山というところでもないと思う。
ヒメウコギは、上杉鷹山公が救荒植物として奨励したというが、まだそれを調理して食したことがない。調理の方法でよく聞くのがウコギ飯。多分、軽く塩漬けして細かく刻んで炊きたての白米に混ぜて楽しむのだろう。湯通しすると香りが逃げてしまうから、炊きたての白飯でむす程度が良いのではないだろうか。もっとも、救荒植物といわれるぐらいだから、そうした食べ方は現代の美食的な感覚なのかもしれない。
それで思い出したのが、白米のこと。
新米が食べられるのは、現代では贅沢な感覚があるけれど、昔は古米を食べられるほど備蓄能力があるという意味でもあったという。新米しかたべられないのは、すぐに食べてしまうぐらい備蓄できないという意味で貧農の境遇をあらわす感覚でもあったようだ。だから、新米を炊いてウコギを混ぜて食してみるのは、貧農の時代のニュアンスにはあっているのかもしれない。
はなしを戻して、ミヤマウコギはあまり食べられる感じでもない。時期も新芽の時期は過ぎているし、葉はそう柔らかそうでもない。ただこうして、山中で人知れず地味な花を咲かせている健気なところを愛でてみるばかりだ。
2021年6月10日 箱根温泉荘付近