論考資料1

(工事中)

・地理自然環境的視点(活動の基盤、環境の役割)
・時間的視点(年中行事、一日の活動、活動の時間)
・歴史的視点(地域史、交通交換、世代継続の時間)
・土地利用的視点(資本財、空間)
・風土民俗的視点(資本財の運用、バとモノ)
・意識


私たち個々の暮らしについて考えると、家屋の中で起きる事柄や空間という事に焦点をあててしまいがちですが、暮らしの感覚や記憶については建​築以上に大きい影響を与える部分が外部にあります。
我々の居住環境を補完する建築の外側、都市環境、集住環境、そして周囲の山林、野原、田畑、自然環境の役割は非常に大きいものだと考えても​差し支えないでしょう。こうしたことは頭の中では、そうだろうと思い描けていても、実際の生活で、今の都市社会で実感し続けることは難しように思えます。
我々の身近な周辺の集住環境(都市環境)事柄と集住環境を取り巻く周囲の環境(地域環境)、そして都市環境と地域環境をつないでいる時間と地理気候と暮らしの歴史(風土)について、常に意識できる。心地よく意識できることがとても重要なことなのではないかと思います。
・都市空間(都市環境)
・地域環境(地域づくり)
・風土形成

かのゴードン・カレンが言うように「人の心はコントラストや事物
​の間の相違点に敏感に反応し生気が与えられる(※3)」と言っています。
しかしながら、例​え良質な建築であったとしても現代の民主的社会はある程度の量産経済に支​えられているために居住環境はある種の単調さを伴っています。ましてや現代の一般的な居住環境の中心となる住宅建築やその他の建築は、大量生産によるものであるために、極度の単調さや無味乾燥としたものとなっていると考えられます。

日本都市郊外の戸建住宅団地(東京都日の出町)

日本の郊外型住宅によく見られる戸建住宅団地。居住者の
生活情景よりも、量産、添加物によって生産の論理に
いた形態や工法の印象が強い。            
初めて会津金山町の大塩地区の集落を訪れた時、それは晩秋のもうそろそろと集落の家々と周囲の山々の輪郭が消え、薄暮に溶けかけた夕暮れだったために、幻想的に見えたからなのか、積み重ねられた生活の風景というものが実に美しいと思いました。
福島県大沼郡金山町大塩地区(2013年秋)
福島県大沼郡金山町大塩地区(2015年秋)
シバの道が柔らかく美しい。そしてシバの道に面して、
人の活動の機能に準じて植栽や地面の起伏が決定されている。


塀や柵はなく、緩やかな盛土と植栽により内部と外部が隔てられている

小さな水路や背の低い生垣、微地形の起伏が、空間の連続性と文節を形成している
暮らす人々の対話と活動によって




特に道のような道でないような、家と家との境界が少々曖昧な 
後日、ゼミの学生から教えられた

※1)コンラット・ローレンツ(「ソロモンの指環」p5, L7〜)
「私 は自然科学者であって、芸術家ではない。だから私にはまったくなんの自由も「様式化」も許されない。しかし、動物がいかにすばらしいものであるかを読者に 物語ろうとするとき、このような自由はすこしも必要ではない。むしろ、動物の話を書くときにも、厳密な科学論文の場合と同様に、ひたすら事実に忠実である ほうが、適切でさえあると思う。なぜなら、生ある自然の真実はつねに愛すべき、畏敬に満ちた美しさをもっており、人がその個々の具体的なものを奥深くきわ めればきわめるほど、その美はますます深まってゆくものだからだ。もし、研究の客観性、理解、自然の連繫の知識というものが、自然の驚異への喜びをそこな うなどと考えたとしたら、これほどばかげたことはない。むしろその逆なのだ。自然について知れば知るほど、人間は自然の生きた事実にたいしてより深く、よ り永続的な感動を覚えるようになる。

※2)ゴードン・カレン(「都市の景観」SD選書 p13, L11〜)
科学的な解決は、平均値から導かれる最適解に過ぎない。人間行動の平均値、気象の平均値、安全率ーーーこうした平均値は、特定の問題に必然的な結末を与えるものではない。いわば平均値は不確定の事実で、一致することもあればしないこともある。むしろ後者の場合の方が多い。

※3)ゴードン・カレン(「都市の景観」SD選書 p15, L13〜)
人 間の心は、コントラストや事物の間の相違点に敏感に反応する。街路と中庭の二つの映像が同時に心のなかに浮かぶとき、私たちは生き生きとしたコントラスト を感じとり、年をいっそう深く理解することができる。年は、並置のドラマによって生気を与えられる。さも無ければ、年は特徴のない不活性なものになって、 私たちの意識をすり抜けてしまうだろう。
(環境が人間の意志を超えて、情緒面に反応を呼び起こす力があるとしたら、考えられる3つの筋道のひとつ「1.視覚に関して」)

※4)ゴードン・カレン(「都市の景観」SD選書 p13, L11〜)
環 境の創造者にとって何よりも大切な事は、民衆の心を捉える努力を欠かさないことである。それは民主的というより情緒的なものだろう。かつてマックス・ミ ラーが夕暮れの演壇から呼びかけたように、「私はあなた方がそこにいるのを知っている。私にはあなた方の息づかいが伝わってくる」。(私はここでいう「創 造者」は環境形成のための調査と報告、これに基ずく計画の企画者として解釈している。マックス・ミラーMAX MILLER は英国の喜劇役者)

※5)和辻哲郎(「風土」岩波文庫 p106, L8〜)
自分はかつて津田青楓画伯が初心者に素描を教える言葉を聞いたことがある。画伯は石膏の首を指しながら言った、諸君はあれを描くのだなどと思うと大間違いだぞ、観るのだ、見つめるのだ。見つめている内にいろんな物が見えて来る。こんな微妙な影があったかと自分で驚くほど、いくらでも新しいものが見えて来る。それをあくまでも見入って行くうちに手がおのずから動き出して来るのだ ---------この言葉は恐らく画伯自身が理解していたよりもいっそう重大な意味を含んでいるであろう。「観る」とはすでに一定しているものを写すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。