2023年1月17日火曜日

2022年の仕事を振り返る(銀山峠道普請を通じて)

 2010年以来ここ10年以上、奥会津の山中で作業を地元の方々としている道普請。今年の特に印象的だったのは会津銀山街道の銀山峠での道普請でした。

2年前の2020年から3年掛となっている銀山峠の崩落箇所の修復は、ようやく2022年の秋11月14日に完成を見ました。これまでの他の地域や個所での山道の修復や整備の蓄積を何かの形で記録しその手法などを継続できるようにしていく必要を感じていることもあり、どうまとめようかと思案しているところでもありました。それは、単に工法というだけではないこともあります。どこに行ってもその状況に近い対策を考えて材料や工法やを適用するのでですが、基本的なやり方の応用なので似たような構造のものになります。


そんなわけで地域性が失われるように感じられる人やまた現在中心にやっている事が山の中の道と言っても、古い街道だったり里に近い場所の道だったりする事が多く、人がこれまで使っていた道が失われようとしている、しかしながらまだ使っている人がいたり、山を人の暮らしに調和的に使っていくために必要な事のための回復作業だったりするので、自然保全のための道とは意味や考え方が少し異なります。
これまでそのことを当たり前のことのように考えて作業していたのですが、ある日ある人から指摘されて自分が考えていることや道普請の作業が正しく伝わっっていないことを実感しました。このことはまた改めて記すとして、そうした活動や人からのみられ方のある中で、銀山峠の作業をご一緒した地元の年配の方から完成後に伺った感想がとても私の心に響きました。


感想内容は以下のようなことでした。
傾斜路の修復は想像していたよりも複雑で、単純なスロープを思い描いていたものと違い、地形に沿った形になって、芸術的なもののようにも思えました。

この言葉をいただいた時に、ここで一緒に作業した人には伝わっているのだなと実感し、とても感激したのでした。
私は計画上必要な工法や資材の数量を割り出すために絵図を描き出しています。しかしながら、細かいところまではなるべく描かないようにしています。何故なら、あまり複雑でも作業する人の経験値や価値観で読み取り方が違ってきたり、また季節や地盤の状況によって計画通りに行かないことが多いのからなのです。そのお陰で逆に、それぞれの場所や関わる人の違いによって同じ工法でも地域に合った形になっていくと考えていましたし、単なる土木的な作業というだけでなく、地域に根ざした美的な価値に通じるものだと思っていたからなのでした。


上の写真は敷板に滑り止めの桟木を打ち付けているところでしたが、私の絵図では必要な間隔を示しているだけです。それを参加した人たちが各々に相談して内側を細く扇状に打ち付けたのでした。そうやって全体が出来上がった時、私が芸術的に拵えたのではなく、参加した人たちとその地域の環境によって形作られた美的なものとなったのではないかと思えるのでした。
そして、そのことが一番大事なことであるように実感し、思うのでした。
改めて、私が描き、さまざまな方々とその地域で活動することの意味や価値を認識する事ができ、また自分の役割を確認する事ができたと思い、感謝しているところなのでした。


して、今これからの道普請や自分のやるべきことの方向性を考える起点にもなっているところです。後の2枚の写真は6月に銀山峠の道の状況を調査したときの写真です。機会がありましたら、是非、会津銀山街道を訪ねてみてください。(2022年11月14日、銀山峠道普請)