2023年4月10日月曜日

近自然工法でできた引地川の景色

 【緑地・河川公園】引地川河畔

ここは私が学生だった頃、コンクリート貼りの三面護岸だったところだが徐々に近自然工法により整備され、上流部の水源地と周囲の樹林も自然に残す形で公園化された。
自然風護岸という括弧付きの自然でははあるが、都市化された市街の緑地としては市民の憩いの場としてそれなりにおさまっている。


最近の利用者のマナー、特にゴミの放置が問題となり、大々的な花見宴会やキャンピング的な行為は制限されてしまったようだが、弁当とお茶を持ってきてボチボチと楽しむ分には良いみたいだ。

今時期、ムラサキハナナが桜の後も河畔に咲き続けてて、楽しませてくれる。
ムラサキハナナとは、紫の花の咲く菜、ということのようだ。明治以前からある帰化した植物らしいが、ここでは多分計画的に植えられたものだと思う。帰化植物だが観賞用に一応種なども販売されているようだが、「菜」というぐらいで食べられもするらしい。一度、御浸しにでもして食べてみたい。

桜の時期は短いし、人でも多いが、小さな花々も咲いていて、桜の後でも陽気の良い時期、桜の後の時期梅雨入り前までは和んで過ごせそうだ。


この辺りは水源地であったこと、厚木飛行場の騒音の為か市街化があまり進まなかった事、そんなことで貴重な首都近郊の緑地として残されている。








平野の樹林(小貝川の段丘斜面林)

 【樹林形成・緑地】小貝川段丘緑地(ケヤキ、シラカシ、モウソウチク、ネザサなど)
関東平野は日本の中でも広大な平地が続く。
人は平地を耕作地に
開発してきた。すっかり見渡す限り、人の暮らしに直接資する農地と市街地と道路ばかりが目立つが、よく見ると細長く続く樹林が見える。平地にあっても河川の長年の歴史によって生み出された段丘斜面があって、利用効率の悪い斜面が緑地(樹林)として残されているのがわかる。


小貝川沿いを車で通りすがる途中、近づいてみることにした。
遠目からは落葉樹と常緑樹の混交林といった雰囲気だが、実際はどんなものか。
遠目からは高さをあまり感じないが、斜面の高さは12〜15メートルはあるようだ。斜面の角度が45度だとしても緑地の幅は15メートルはあることになる。それが小貝川に沿って何キロも続いているのだから、農地と市街地が広がる土地としては貴重な樹林だと思う。


近づいてみると、真っ先に目立って見えるのはネザサと竹林なのであった。
斜面下に立つと、貴重な樹林はみっちりと隙間なくネザサや竹に覆われて、遠くにポツポツとケヤキの大木が見える程度だ。合間にはもしかしたらケヤキやカシの稚樹がいたりするのかもしれないが、明らかに旺盛なのは竹林だ。
このまま放置していれば、そのうち斜面は竹林だけになってしまうのかもしれない。
肥料も薪も必要としない現代においては、竹林だろうが賊樹林だろうがどうでもいいのだろう。
しかし、もう少し残された緑地(斜面林)の有り様を考えてみても良いのではないだろうか、と要らぬ心配をしてしまった。


大木と竹林では人がわざわざ入っていきたくはない面倒な緑地にしか見えないのかもしれない。
自然にとってはそれでいいのかもしれない。ただ、どんどんと人の暮らしの調和という感覚はどんどん薄れていくように思えてくる。

2023年4月8日土曜日

梅林と海軍道路の桜並木

 【樹林形成・緑地】

横浜市の西、大和市との境あたりに「海軍道路」と呼ばれる道がある。
桜の街路樹が延々と続く道。あたりには建物らしい建物がほとんどない、首都圏近郊では珍しい場所。サクラの並木が広大な原っぱに続いているが、子供の頃と比べると並木が片側だけの区間になったり、幹線道路からの入口付近は道路拡幅や道路線形の変更が行われ並木そのものがなくなってしまったり、ソメイヨシノは管理が大変ということで伐採されて歯抜けになっているところも目立ち、徐々に桜並木の景色が失われてきている。県や市はどうやらこの桜並木を残す気は無いらしい。
明治神宮の森が今、開発の波に晒されているように、このあたりも開発の計画があるようで、開発が進めば、この桜並木もいずれなくなってしまうのだろう。

海軍道路とは
旧日本海軍の弾薬庫だった場所の敷地内道路だった。
桜並木は戦後のものではないだろうか。まだ調べていないのでわからない。
戦後、弾薬庫は進駐軍に接収され、つい最近まで米軍の通信基地となっていたが、
衛星による通信が発達しその役目が終わり、日本に返還された。こうした米軍の土地は沖縄県に次いで神奈川県が多い。私の家の近くでは厚木飛行場や座間ベースなどがある。

自分は米軍になってからの海軍道路しか知らなかったので、米軍の海軍の道ということかと思っていたが、日本の海軍の道だった。


通信基地周辺)
首都圏近郊になる広大な緑地は概ね240ヘクタールほどあるという。
貴重な緑地がこれから開発の憂き目に合うという事なのだが、2023年現在の日本の景気状況では目処が立たず、あまり開発は進んでいないようである。
戦前は海軍の弾薬庫、戦後すぐには軍から地元の農家に払い下げられたが、その後進駐軍に接収されてしまった。この接収されるまでの間は戦後動乱の食糧難の時期で、払い下げられた土地は畑となり食糧生産の現場となっていたという。
その後、通信基地の規模が縮小され1ヘクタールに満たない大きさで地元農家に払い下げられたらしい。それで親の代で梅林にしたのだとここで出会った農作業をしている地元の年配の方に伺った。結局、地元の地権者は時代に翻弄されて2度土地を買わされているみたいな事になって、そして今、開発するとかなんとかで、買い上げが進められているらしいのだが、それで明け渡す際に、梅林を撤去しなければならないらしく、一部伐採したものの、不景気のためか、現在(2023年4月現在)明け渡しが伸びてしまっているそうだ。




植木のためのトキワマンサクの植樹が見えた、他にもいろんな庭木が植えられているところもある。畑をしているところもある、草原の状態の場所もある。
目につくのはバックホウで造成のようなことをしている場所。もう開発の造成が入っている場所もあるのかと思ったら、都心のトンネル工事などで排出された土の置き場になっているということだった。

野良仕事をしていた老人は、土地が時代に翻弄されてきたことを経験した為か、こういう時は波に飲まれてあらぬ事になってしまうから静かにしているのが一番良い、と言っていた。
権力や世界の情勢に付き合わされて跳ね飛ばされていく人がいたのを見てきたのだろう。

梅林)
彼の農地には梅林が植えられていて、3つに区分されている。一つは草刈も剪定も漁れている管理された梅林、そして全く管理をしていない枝が密集し地面も草刈されていない梅林、そしてその合間にある畑。畑の合間には梅の根株が残っていたりしているので、最近まで全体的に梅林だったことが伺える。
先に書いた通り、梅林を処分してくれと言われて、処分し初めたのだが、結局まだ引き取ってくれないので、ネギなどを植えて畑にしているとのことだった。管理している梅林は欲しいという人がいるのでやっているらしく、管理していない梅林は売れもしないし、管理も大変なのでそのままという状態だということだった。

人の暮らしも社会に惑わされていくが、身動きの取れない植物は人の都合で植えられたり切られたりと、身勝手な人間に難儀している。それでも息吸うことすら人の生存に不可欠な植物たちは、人間の身勝手な活動をゆっくりと見守り、文明が止まれば自然の力として覆い被さってくる。だから、気にすることもないと言えば無いのだが、どちらかといえば人間にとって良好な暮らしには、植物との調和的な暮らしや個人、公共に関わらずもっと多くの適正な緑地を確保し良好な景観形成していくことが必要に思う。むしろ植物のためではなく、人間のために植物との調和的な環境が必要なのでは無いだろうか。
(文章がまとまっていないようにも感じるが、メモ書きとして、20230408田賀)

管理された梅林

放置された梅林

梅林を伐採して畑となった場所。
切り倒した梅の幹が転がっていた。