2018年10月15日月曜日

廃村の変化と環境整備(道普請)、奥会津旧吉尾集落

奥会津只見町吉尾(よしゅう)峠付近、主要な道普請2日間、残作業2日間、都合4日(2018.10.11〜10.14)の工程で吉尾峠下の中丿沢と川張沢区間の道路周辺の環境形成を行いました(先の記事でもアップしていますが)、また昨年形成した吉尾集落中心部の水路を補修しました。
道具を担いて山道を徒歩で作業現場となる吉尾集落跡へ向かう

水路は、直角に開削した部分と法面(45度程度)形成をしている部分とで、一年後の状況は違っていました。法面形成した部分は草が根付き護岸が保護されていましたが、直角に切り立った水路は土が見えたままでした。また、水路床は洗堀が進んでいます。丸太で護岸した部分のほうが、より洗堀が進み護岸丸太の底部に側方侵食が進んでいました。
そうした一年後の状況から、

1)水路は基本的に法面形成し、これを(地被類を繁殖させ草刈りをおこなう)護岸とする。
2)護岸は水路床を固めない限り、底部側部ともにより侵食が進む為丸太護岸はしない。
3)底部に横木丸太をダムのように設置して、上流から運搬される石を受けてこれを底部保護とする。
ということで、計画から状況確認による計画変更をおこない、作業を実施しました。
水路の法面形成

水路の勾配を形成

横木の設置

現地調達の丸太を杭加工する


現地で工作した楔で太い丸太を割る

水路保守の作業完了

昭和44年に集落は解散して、以来放置された集落跡、耕作地跡にはヨシ、ヤナギの木が水田を中心に低地部にが生い茂っています。切り倒したヤナギの木からヤナギが根付いてから42年程度の年月を経ていることが確認できます。年輪層の厚さの違いから20数年前頃から水田の光環境が変化し、日当たりが悪くなったことがわかります。

今回、古い山村の景観を一部復元するために除伐をおこない水田周辺の地型を顕在化し、作業やトレイルのための歩行する道路環境を整えました。雨の影響で道路面形成まではできませんでしたが、水田付近の除伐のほか、道路山側の土側溝形成、道路に隣接する山の斜面の下草刈り(見通しのよい環境と光環境を整える)を行うことができました。
作業開始状況

作業完了状況

作業前状況

作業中

作業完了状況

さらに後日、切り立った箇所の粗朶柵による保護

小さな谷部の粗朶柵

斜面下部には粗朶を受ける杭を設置。さらに後日切り立った斜面法尻部には粗朶柵を設置して路頭面の保護をおこないました。斜面崩壊によって形成された小さな谷部にも粗朶を設置。
全ての材料を現地調達により行っています。粗朶柵に関しては、十分に杭を打ち込みできなかった箇所もあり、来季の融雪後の状況を見て、対処していきます。吉尾集落の水路と同様、一年経ってから、見えてくる状況も多く、拙速な判断より順応的な管理がとても重要です。
お弁当を山まで届けてもらいます





参考)永幡さんの伐採に関するFB記事





2018年9月24日月曜日

イノシシの親子に会った日

ひとり作業というのは、ペースをつかむのが難しい。会津の山間の散村の農地の通りすがり年配の方がひとりで作業をしている様子を見るといつも尊敬の眼差しになる。よく誰もいない山間でひとり淡々と作業ができるものだと。
それでも自分なりに作業そするわけだが、合間に休憩をとり適当な場所に横たわってみる。存在感を消して静かにしていると、、、自分の作業するような場所はそんなに野生でもないのだが結構いろんなのがやってくる。ヤマガラ、キジ、ホンドジカ、イノシシなど。




先日は、フゴぉ、と鼻息が聞こえたので、体を起こしてみるとイノシシとウリボウが二頭、多分母親と二頭の子なんだろう、こちらに気づかず、僕の作った道をフゴフゴと鼻を擦り付けながら何やらやっている。道は僕の横たわったところから一つ草むらを隔てているので、何を物色しているのかわからない。とにかく僕には気づかず、仲睦まじく道をうろうろしているので、あぁ、ひとだけじゃなく、獣にも利用されて、よかったなぁ、と思いながら眺めていた。「僕た作った」というのは、結構おごった言い方で、元々獣道だったところをひとも通りやすくしたという道なので、彼らが使っていた道であって、別に僕が作ったと威張れるものではないのだけれど。
じーっと、見ていたら、さすがに母親が気付いて、僕を見つけて驚いたように、フゴォ!っと、鼻息を鳴らして、一瞬緊張が走ったが、ウリボウ達を連れて逃げていった。



あとで、何を物色していたのか見に行くと、ヤマボウシの実を物色していたようだった。僕が竹ぼうきで掃いたあとに落ちたヤマボウシの実は、見つけやすかったのか?それとも、下草に覆われていた方がヤマボウシの実は食べやすいのか?
どちらだかわからないが、僕は前者のように考えて、やや満足げな気分になり、里山的な管理というのも実に良いものだと自画自賛した。
ちなみに周囲では、ぬた場にされて荒らされたり、ミミズを探して掘り返されたりして、獣害ということになっているが、僕が管理している緑地では、それはそれとして風景と呼んで(風景となるようにしつらえてあるとも言えるが)、獣害とはしていない。

イノシシよ、ありがとう。なんか君らに会えてよかったよ。

映画やドラマでの女性の入浴シーンというのは、作り手側にとっても観る側にとってもとてもエキサイティングなものだ。水戸黄門での由美かおるみたいなお色気シーンというのもあるが、古くは成瀬巳喜男監督の「浮雲」での高峰秀子と森雅之の入浴場面は人里離れた幻想的な映画でしか得られない男女の影のある甘味なイメージをあたえてくれる。
「泥の河」での藤田弓子の入浴場面は母性の持つ偉大さを最大限に観るものに与えてくれる、田村高廣のおっちゃんと対をなす重要な場面だとおもう。
そして、印象深いのは今村昌平監督の「黒い雨」。うら若き女性が被曝に冒されていることを若い美しい女性の肢体に強烈なコントラストとして見せつける。キャンディーズを引退して、女優として初めて復帰した田中好子の入浴場面ということもあり、衝撃的で実に効果的な演出だった。
興味がおありの方は、ぜひ本編をご覧ください↓。
(是非、興味のある方に観てもらいたいので、写真拝借しておりますが、問題があるようでしたらご連絡ください。)

2018年7月29日日曜日

ちょっと、サイン考

サインといっても色々だか、今回は山頂や峠頂上に設置される記名標識について考えてみたい。といっても掘り込むと以外と奥深すぎて収拾がつかなくなるのでちょっとだけ。

毎年訪れる美女峠道。頂上と明記されたサインのあたりでいつも小休止する。その時その時では気付かないが、写真で比べてみて初めて毎年の当たり前のことが微妙にニュアンスが異なるように思える。標識があればこそのの微妙な違いも感じるが、もし標識がなければ茫洋とした、輪郭の曖昧な自然の中であまり差異というものは感じないのかもしれない。なんの変転つもない木の板の標識だからこそ、微妙な差異を感じられる。

少しずつ、思うところをサインについてまた触れられたらと思う。

2015年9月16日

2016年5月9日

2018年6月5日




台風の日、安らかに。

2018年7月27日
会津と関わりのある高遠藩の城下町、伊那。
従兄弟とモロちゃんの一周忌に行きました。
奇しくも台風の日でしたが、高遠は台風のおかげて連日の暑さから解放されて過ごしやすい日和でした。高遠の満光寺に納骨と法要でしばし集まった人たちと歓談して故人となったモロちゃんを惜しむ。
歓談といっても、やはりあれこれと今更無駄と分かっていても、生前してあげられることがあったのではないかと色々な場面を思い出す。こんな穏やかな日和だから物静かに思い出しているのかもしれない。安らかに。