2023年2月24日金曜日

なまらないように(ある日)

 お籠もりが続き足腰が弱る。マズイと思い今日は晴れていたので少し歩くことにした。

家を出て若宮八幡に向かう途中村の人が出掛けようとしているところに出会う。スノーモービルを積んでいたので、何処に乗りに行くのか聞くと、イノシシ狩りに行くと。
獲れたら分けてくれると言って出ていった。
それから若宮八幡へ向かい橋を渡ったけど、神社まではカンジキでも履いていないと無理そうだったので、途中の雪の上に腰を下ろし、雪景色を眺めながら携帯してきた湯をすする。
お茶にすれば良かったか、腰に敷くマットがあれば良かったかなど考えながら、まだ陽が上がったばかりの冷えた空気の静かな景色を眺める。気分はいいがさすがにそう長居は出来ないなと腰を上げ、それに体を動かそうと出て来たのだからと、毘沙沢の方に向かってみることにする。途中、沢の入り口で何人かの村人に会い挨拶をして、ゆるい坂を登っていく。圧雪されてはいるが車の通れない道を歩く。時折、キジのような鳥の声がする。詳しくないので同定はできない。
圧雪された道は少し足を取られるものの、思いの外硬く閉まった雪でカンジキなしでも歩きやすく上の方まで歩けるような気がして、歩みが進んだ。結局集落まで辿り着き、ちょっと挨拶と思ったが、お茶とお菓子を頂き、長話をしてしまった。
30年前の様子や色々な話を伺い、沢を降りた。
来た時より気温が上がり手袋をしないでもそんなに悴まない。素手で空気を感じながら歩くゆるい下り坂は快適だった。
家に戻り、昼過ぎに朝約束した肉を持って来てくれた。
今日は収穫はなかったそうだが、代わりに以前に獲ったシカとイノシシの肉を届けてくれた。刺身にすると美味いというシカの部位もつけてくれた。コイツはラッキーだ。さていつ料理するかな。 (2023.02.23)


2023年2月7日火曜日

晩春に短い成虫の時を過ごすキアシドクガ

ドクガと言っても言っても毒があるわけでもない。
むしろはかなく可憐に見えてしまうのは、短い一生の時を舞うからなのだろうか。
ミズキを食相とすると言われているけれど、見ているとミズキ以外の樹木の周りにも多く見られる。2020年5月20日、神奈川県大和市泉の森にて。








 

旅するチョウ_アサギマダラ

 2021年9年9日、箱根仙石原で撮影。




2023年2月5日日曜日

シラカシの純林

 あまり難しいことは書きません。雑感をダラダラと書き留めます。
たまに散歩する公園の斜面林はシラカシの純林ということで神奈川県の天然記念物に指定されているのだとか。この泉の森と言われる公園は小学生の頃、水源池、と言われていた場所で、「1人で遊びに行ってはいけません」とか「入っちゃいけませんとか」言われていましたが、今は公園として整備されています。


天然記念物と言っても、人が薪炭林などで管理していた二次林の樹林なのだと思いますが、相摸野台地という周囲に山というものが全くない場所で、樹林として残っているということがとても貴重なのかもしれません。ほとんど都市化してしまった神奈川の北部の貴重な二次的な自然と言えるのでしょう。国道246号線や東名高速道路で都心から来て初めて出会う大きな緑地帯で、大きな道からも林冠を見ることができます。

このシラカシの樹林の林床に生えているものを見ると、ほとんどトウネズミモチかネズミモチ、そしてマンリョウ、センリョウがちらほらといます。
シラカシは常緑樹なので樹林自体は少し暗めです。植生的に面白いかと言われれば、もう少し多様性があってもいいかなとか、勝手に思ったりします。純林で残すのもいいけど、循環里山みたいな部分を整備、管理しても良いのではないかな、と思ったりしますが、今は管理が行き届かず、樹冠からの大枝の落枝の可能性がある場所などは通行禁止になっていたりして、なかなか管理も樹林の維持の考え方も含めて調整して市民活用というには難しい課題もありそうです。

この公園は現状の緑を残すように管理されていますが、それは大和市の水源池であることからなるべく人が開発的な活動をしないように維持されてきたことが、現代の都市化した首都圏郊外でこれだけの緑地が残された大きな要因なのだと思います。それゆえ山地じゃない場所でよく樹林が残されていて、もし水源地でなければ多分開発されて緑地など残っていなかったことでしょう。自前の水が確保されているということは、その土地の自然度を保つということ、そしてそのお陰でそこで人の暮らしが担保されていることの現れ。逆に言えば、自然度のない場所は人の暮らしが自立して成立しない土地であることは間違えがありません。
都市化した都心、そして郊外でのそれでも人の暮らしは自然と切り離せないことを象徴的に見せてくれている場所はとても貴重なのだと思います。この泉の森をはじめとした引地川に沿って連続する公園群は市民の憩いの場としてよく活用されていると思いますし、水源池ということもそれなりにPRされているとは思うのですが、それ以上に人々の生命の源泉としての水源の保全ということに必要な自然度、ということをもっと周知しても良いのではないかなと思うのでした。