2010年11月20日土曜日

業務事例11:福島県三島町早戸地区散策路修景

奥会津地方三島町早戸温泉の只見川沿いの散策路の空石積工およびソダ柵工による修景を東北芸術工科大学廣瀬研究室、渡部研究室の実習を兼ねて行った。
当該事業は地元住民により補助事業として既に実施されていた事業であったが、廣瀬准教授の発意に基づき、地元の事業主体者である佐久間氏との合意と福島県の仲介によって、地域活性と景観形成、学生の社会参加および技術習得、地域交流を目的として行われた。これに伴い田賀意匠事務所として、事業のサポートと指導に協力、実際に事業実施に立ち会い、実際の作業をおこなった。

4月初旬、事前踏査をおこなう廣瀬准教授と渡部講師、会津若松建設事務所の瀧本氏

雪景色の只見川

早戸温泉「つるの湯」の窓から只見川がみえる



当該事業は修景事業といっても、地域の自然環境と風土に対して、必要最低限の土留め、雨水の排水の経路の確保、間伐、伐採木の整理、散策路と緑地との結界の形成を空石積工とソダ柵工によって行い、華美な意味での修景は行っていない。


早戸地区を流れる只見川の風景、元々は深い渓谷だったが電源ダ
として戦後に開発されゆっくりとした水面の河川となっている。


散策路のソダ柵工(渡部氏撮影)

現地から産出された石材で土留を空石積みでおこなう

空石積みを地元の人(秦さん)に教えてもらいながら実習する学生たち


この只見川沿いの散策路は住民の意向と計画によって整備が進められ、地元早戸集落の人々の手によって放棄生産林の間伐、地域の山野草の育成などを行っている。現在、少し明るくなった只見川河畔の林床ではショウジョウバカマ、エンレイソウ、オウレンの類、カタクリなど様々な里の植物が見られるようになってきている。

なお、この事業の様子については、以下の東北芸術工科大学のブログにも廣瀬氏によって記述されています。参照ください↓。

2010年11月10日水曜日

朝市のために(脇町)

脇町ではじめた朝市では、それぞれがつくってきた農作物を売るだけでなく、色々な人たちが集まってきて、情報交換をしたり、新しいことが学べたりと、楽しんで参加できるようなものにしていきたいと考えている。それは僕がそう思っているだけではなく、参加している個人の農家の人たちもそう感じているようだ。

考えてみれば、農業というのは毎日9時から5時までが仕事、月曜日から金曜日が仕事、と決まっているわけではない。春夏秋冬があり、時期によって日の当たる時間も、気温も違う。晴れの日があり、雨の日があり、風の日がある。それを自分で決めるわけにも行かず、それを色々やりくりしながら、農作物をつくっている。

仕事も、家事も、農作業も、休みや団欒も一緒になって色々組み合わせて成り立っている。ここからここまでと割り切ってできるものでもない。だから、生産も消費も、すべてが旨く組み合わさって、心地よく生活できることが大切なのだ。

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朝市も、ただ売るだけ買うだけ、ではなくて、生活の行為として心地よくできることが大切だ。そうやって生活するために多少のお金も必要であるということに過ぎない。お金を稼ぐために、生活がつまらなくなってはいけないのだ。

経済的に成り立つことを勿論大切なので、真剣さもある。しかし、生きている事の大切さや、意味を失わないように、バランスを取りながら皆前向きにとりくんでいる。

写真は2月18日に、金垣さんのパン工房で、皆がつくった作物で、簡単な料理をつくり会食をしているところです。農業も都会で考えるよりはるかに近代化されてきています。良いこともありますが、コミュニティが薄れてきているところもあります。地域の現代生活にあった新しいコミュニティをつくっていったり、自分達の地域の環境を勉強出来る場が必要になっているように思えます。

そんななか、このように皆が楽しんでより集まってこれるような場や関係ができていく事はとても大切で貴重なことなのだと思います。

これまでにも、売り場に農作物を出す時の表示の仕方、お米の表示の仕方、新しい農作物の品種、自家採種についてなど、朝市の事前ミーティングを通して、話題に出たことを、食料事務所(現農政事務所)の職員や徳島県脇町農業改良普及センターの職員を招いて、勉強会などをしています。僕も会のスパーバイザーとして参加させてもらっています。考え方や企画を皆さんと一緒に考えて、まとめていくことが僕の役割です。集まっていらっしゃる皆さんから勉強させてもらう事も沢山あります。(2004.06.28記す)


後日、
朝市ではどんなものを売るのか、どうしたら良いものが提供できるのか、どうしたらもっと楽しくなるのか、皆で考えながらやっている。

バックアップしてくれている徳島県の農業改良普及センターの担当者が林さんから新しい方に変わった。近藤さん、多様化の時代、貿易自由化の時代によろしくお願いします(2004.07.06記す)。

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(2004年5月28日撮影)

氾濫原に住むということ

現代日本人の多く住んでいる場所は、沖積層の上にある。取り分け河川の氾濫原といわれる低地の下流部に集中している。河川の性質からすると洪水のおこりやすい場所に住んでいるといえる。洪水のおこりやすい場所というのは、山から豊かな栄養素やミネラルが供給され、肥沃な土地であるともいえる。だから、先人たちは洪水との折り合いをつけながら生活を豊にし、経済を活発にしていこうと、時代を経て氾濫原に移り住むようになってきたのである。(図は南アルプス市の狭西遺跡群にみられる立地の時代的な変遷を示している。一昨年前の南アルプス市の調査業務の際に郷土史より見つけたものを見やすく修正した図である。だんだんと低地部の氾濫原近くに移り住んできたことが事例としてよくわかる。多かれ少なかれ、どこの地域でも似たような傾向があると思う。)

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しかしながら、低地部の氾濫原はもともと洪水のおこりやすい場所であることには変わりはないし、現代日本人の多く住んでいる場所は、沖積層の上にある。取り分け河川の氾濫原といわれる低地の下流部に集中している。河川の性質からすると洪水のおこりやすい場所に住んでいるといえる。洪水のおこりやすい場所というのは、山から豊かな栄養素やミネラルが供給され、肥沃な土地であるともいえる。だから、先人たちは洪水との折り合いをつけながら生活を豊にし、経済を活発にしていこうと、時代を経て氾濫原に移り住むようになってきたのである。(図は南アルプス市の狭西遺跡群にみられる立地の時代的な変遷を示している。一昨年前の南アルプス市の調査業務の際に郷土史より見つけたものを見やすく修正した図である。だんだんと低地部の氾濫原近くに移り住んできたことが事例としてよくわかる。多かれ少なかれ、どこの地域でも似たような傾向があると思う。)



しかしながら、低地部の氾濫原はもともと洪水のおこりやすい場所であることには変わりはないし、河川にとっては、氾濫を起こすことが自然の摂理であることには違いがない。そのことをだんだん人は忘れてしまったり、分からなくなってしまっていたりする。そして、ある日突然、川が氾濫を起こした時に慌てふためく。

私たちはいつの時代にも、日常の豊かさとの引き換えに、どのようなリスクを背負っているのかある程度意識している必要がある。洪水のときの排水路として川をコンクリートで固めたり、運動公園などにしてしまう前に、ほどよい川とのつきあい方をよく考えるべきだ。そして、日常的に近くの川の姿を眺め、川にふれることが必要なのだと思う。洪水時には凶器となる川の流れも、土地を肥やしてくれる大事な摂理だし、ふだんは我々の心や体を癒してくれる大切な空間なのだから・・・・。

そんなことを考えていたら、環境分析学の専門家であるジョン・エリクソンの文章をみつけた。参考程度に一文を抜き出しておこう。

「洪水というのは本質的に人災であるといってよい。洪水は自然現象であり、繰り返し生起するものである。氾濫原に人が住み着くとき、それは災害と呼ばれることとなる。氾濫原というのは洪水時に余分な水を通過させるためのものであり、人がそのことを深く理解しないために、氾濫原に無計画に開発行為を行い、その結果として水害の増大を招来するのである。氾濫原は平坦な地面、肥沃な土地、交通や水の便を提供するものの、経済性の観点が優先するとき洪水の危険を十分に考慮することなく開発が進行する。このことの帰結の一つは、政府が介入し、洪水の被害救済の責任を負うという事態である。アメリカでは、1936年以来90億ドル以上の費用を洪水防止に投じている。

こうした治水計画の進展にもかかわらず、平均的には年々洪水被害は増加している。それというのも、治水の進展の速度以上に人々が洪水被害を受けやすい地域に移り住もうとしているからである。すなわち、被害の増大は洪水そのものが激しくなったせいではなくて、人々が氾濫原に進出することの結果としてもたらされているのである。人口が増加すれば、不用意に氾濫原を開発しようとする社会的圧力が増大する。そして、ひとたび人々の財産が亡失すると、政府が救ってくれることを願うのである。」
(「海洋の神秘」ジョン・エリクソン著 大隅多加志訳 オーム社出版 p163より)

2004.12.31記す

ツルシキミ

11月10日、仕事で箱根に調査に出掛けた。
調査した付近の雑木林の林床にヤブコウジに似た赤い実をつける常緑の葉がちらほらと見えた。

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葉の縁に鋸歯(ギザギザ)がないのでヤブコウジではない。ほかに地に近く赤い実をつける植物というとセンリョウ、マンリョウなどがあるが、いずれも鋸歯があるのでこれも違う。
葉を一枚もぎ採り、葉を透かしてみると油点がみえる。

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油点はミカン科の植物の特徴だ。クシャクシャと葉を揉んで匂いを嗅ぐと、柑橘系から化粧香にグラデーションする。あきらかにミヤマシキミかツルシキミに違いない。
枝は直立せず地面を這っている。そして、あまり枝分かれしていないところをみるとツルシキミとみて間違いない。仏前や墓前に備える植物としてサカキやシキミがよく供えられるが、本種ツルシキミまたはミヤマシキミを尊ぶところもあるという。たしかに香りならサカキやシキミよりも本種を選ぶということもなんとなく頷ける。

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箱根ではちらりほらりと見かけるだけであったが、四国、阿讃山脈(讃岐山脈)山頂付近ではシデの林内にツルシキミが群生する。(下の写真は群生するツルシキミ、040602大滝山・高松市)

(2006.11.19記す)

セリ

せり なずな
おぎょう はこべら ほとけのざ
すずな すずしろ これぞ七草

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ちょっと、春の七草の季節はおわりという気もするが・・・・。
七草のなかでも、好きなのはセリ。癖の強いものが苦手な人には向かないかもしれないが、その香りがたまらない。春の香りというか、すがすがしいというか。やはりスーパーで売っているものよりも、山取りしたものが、香がたかく格別である。たんぼの畦や小川のほとりなどに生えている。しかし、間違ってもドクゼリには手を出さないように。ドクゼリは根茎が特徴で、太くて節のあるヤマイモのようなかたちをしている。猛毒性分をもっているので、よく調べてから食べないとどうなっても知りません。どんな山菜でもよく調べて、判別に自信のないものは食べるのをやめましょう。(2005.05記す)

ミズカンナ

連休、人並みに休日を過ごしたいと思いながら、前夜にありがたいことに、次回の仕事の資料をいただき、それとは別に連休開け提出の仕事をいただいた。
前半は仕事の準備、後半は仕事ということで、連休中は静かな都心環境で仕事をする。
ということに相成りました。初日ぐらいはゆっくりとということで、近所の小石川植物園に行き、久しぶりに自由な植物観察をしてきた。

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小石川植物園の池に浮かぶ水性植物、ミズカンナという。
アメリカ原産の大型の常緑の水生植物だ。常緑なので他の植物園のものをみると青青としているが、ここのはいつ見ても枯れ茎と枯葉にまみれている。そこはかと、緑の葉と茎がみえる。僕としては、枯れたところと青青としたところが混在しているこの植物園のミズカンナに趣を感じる。生と死、若さと老いが同居しているミズカンナの様が何か真実を語っているようにみえるのである。

今、小石川植物園はツツジとフジが満開でそれを見にくる来訪者が多い。花の咲く時期しかその植物をみれない、あるいは見ないというのも、なんだかいいような悪いような。
秋の紅葉のみならず、老いがれの自然をみる情緒というものも、ぜひとも大切にしてもらいたいものだ。それこそ自然の姿に他ならない。

昔の日本画なんかには結構枯れ朽ちる植物を描いたものがあったりする。僕もミズカンナのスケッチをしてみた。職上柄からいえば、風景(空間)と描く植物が何か分かるように描かなければいけないような気もするのだが、技量がないので、風景として描いて出来上がりにした。水面に浮かぶミズカンナ、合間から青い葉が見えかくれする。手前はたぶんキショウブだと思う。奥の岸には若葉をたわわにしたイロハモジの枝がずいぶんと降り下がり、たなびいていた。(2005.05.01記す)

ゲンゲ

この時期田植え前の農地でみかける中国原産のマメ科の植物です。
花はミツバチの蜜源でもあるが、昔ほど田圃を赤紫に染める姿をみることはなくなったそうだ。僕の思い出は、ゲンゲよりもシロツメクサやムラサキツメクサが咲き乱れる風景の方が馴染みがある。小学校の時にバッタなどを田植え前の水田や草原の中でとって遊んだりした思い出がある。

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ゲンゲは中国原産で、水田の緑肥として栽培されていたが、化学肥料が普及してその姿を見かけなくなった。ゲンゲをはじめとするマメ科の植物は空中窒素を固定する。耕転して土中にすき込むことで、水田に窒素養分を貯え、稲の栽培に役立つのである。窒素肥料分は稲に吸収され窒素化合物として、つまりタンバク質として稲の全草の構成要素となる。高度成長期を通じて化学肥料が普及し、近代農業は窒素養分もこうした化学肥料で賄うようになった。窒素養分は、重要な要素ではあるが、窒素過多となると、タンバク質分の多い米となり、栄養化は高くなるものの、食味のあまり良くない米となってしまう。一般にタンバク質分が少ない米が美味いということらしい。

葉はマメ科の植物によく見られる楕円形の小葉が7~11枚程度からなる奇数羽状複葉。

山菜採りの事故・ギボウシとバイケイソウ

ニュース(2005年5月6日)で山菜採りの事故のニュースがあった。
山へ山菜採りに出かけ、帰りに焼肉屋へ立ち寄り、そこで採ってきたオオバギボウシを焼いて食べて中毒になり亡くなったそうだ。どうやらそれはオオバギボウシではなかったらしい。

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確かにオオバギボウシとバイケイソウの葉の感じはよく似ている。特に今頃の若葉の頃は特に見分けるのが難しいかもしれない。

写真左はオオバギボウシで、写真右はバイケイソウだ。ちがいはギボウシ類には葉柄があり、バイケイソウ類には柄がない。だから若葉の頃は葉柄が未熟で見分けにくいわけだが、成長してくるとオオバギボウシやギボウシは葉柄が伸びでくるのですぐにそれとわかる。

どちらも湿気のある冷涼な場所に生えていて生息地も似ているので、間違えやすいということもあるようだが、バイケイソウの方がやや高所で冷涼なところで見かけるように思う。(似たものでコバイケイソウという毒草もあるがこれは完全に高所に分布するらしい。それを僕は見たことがない。)それに比べてオオバギボウシはあまり日当たりの良過ぎない湿りけのある土地であれば然程冷々としたところでなくてもまぁみかける。それにギボウシの仲間は品種改良されて庭園芸としても利用されているので、バイケイソウより分布域には幅があると思う。だから冷涼な湿度のある山谷が生活圏の近くにある中部地方や東北方面では分布域が近しいので見誤ってしまう事故もあるかとも思うが、西の地方ではあまりそういう間違いはなさそうな気がする。

それにしても焼肉屋で焼いて食べたというが、若葉を焼いて食べたのだろうか?若葉も美味しいらしいが、食べたことはない。葉柄があるかないかで、毒か毒でないかわかるのだから、とにかく葉柄のないものは食べないのが安全だ。

山菜採りは楽しいが、食用できるものと毒になるもので、見た目が似ている種類があったりするので気をつけなければいけない。そして大体山菜採りは毎年あそこにはあれがあって、こっちにはこれがあってと当たりをつけていくように、つまり知った山で採るようにしたほうがよい。

それでは食べる方のオオバギボウシというと・・・・・。葉柄の部分を湯がいて水にさらし、マヨネーズをつけて食べる。少しぬめりがあって美味しい。僕はこれを岐阜の古川という町に暮らす塚本さんのお宅ではじめていただいた。癖のない甘みとぬめりと歯触りでとても美味しくいただいた。翌日には、チシマザサを採りに行きその場で新鮮なものを食べさせてもらい、とても楽しい山菜の時を過ごさせていただいたのである。

採り過ぎれば環境破壊になる、知らなければ事故になる。山のことを大切にする、大切にするためには山のことを理解する。そうすれば自ずと美味しいものを山が教えてくれるのだと思って心しよう。

写真左:オオバギボウシ(2002年高尾にて) 写真右:バイケイソウ(2003年丹沢にて)

2005.05.07記す