2011年7月16日土曜日

被災地支援02/11.06.20

被災地である雄勝町での支援は、まず立浜地区の龍澤寺(りゅうたくじ)であった。事前に寺に伺い支援に伺う日を決めて概ね10人程度のメンバーで現地入りした。龍澤寺住職の指示に従って、山門に安置されている仏像を外に出す。地震によって横向きになってしまった仏像、後ろ向きになってしまった仏像、一体どう飛び跳ねたのか。



 外に出した仏像をよく絞った布巾で埃などを拭き取り、損傷箇所などを調べた。幸い損傷している仏像は多くなかった。そして安置されていた山門も掃除をして仏像を元の配置に直した。

そうした作業をしていると野良猫が作業しているメンバーのところにやってきて、懐いて来た。作業している近くに腰を下ろし後ろ足を舐めて身繕いをしていた。 
この猫も被災したという事なのだろうか。
 はたして津波に流された猫というのもいたのだろうか?それとも野生の感で猫は皆津波から逃れられたのだろうか?

 寺での作業は、津波に流された瓦礫に囲まれた作業ではなく、新緑に囲まれての作業だったので、全く震災や津波の事から少し意識が遠のいて作業が出来、気持ちの良い作業と言える。午後からは寺下の被災した浜に散乱する瓦礫の場所で、その整理にあたった。 







2011年6月6日月曜日

被災地支援01/ようやく現地での活動が....。

地域の細かな状況や現時点では放っておかれるような自然、風土環境について直接に触れながら、被災地の復旧復興の支援をおこない、地域の再生の礎となる資料を作成したいと考え、東北芸術工科大学の学生に声を掛けて「東日本復旧復興計画支援チーム」なるものを立ち上げた。構想は3月11日の震災から時を待たずして考えはじめたが、時間も金も人もいないと言った状況からどうすればいいのだ?と全く見当がつかなかった。

 とにかく自分が動かなければ、何も始められない。そういう事だと考えた。

 宮城県亘理郡の被災地。自衛隊隊員が実に良く働いてくれている(11.04.03)

 宮城県亘理郡常磐線浜吉田駅付近(11.04.03)

支援に先立って、四月初旬から直接的な支援をおこなえる場所はないかと福島県、宮城県と渡り廻っていた。仕事関連の知人等を介して出来る限り現地、現地周辺を動きまわった。

しかしながら(多少の直接的な活動もしながら)、実際の自分の支援の考えや行動が役に立つのか立たないのか分からないまま、現地をうろつくのは実に精神的に痛いものがあった。外から見れば、物見遊山にみられかねないようにも思えたし、かといって初動の段階で効果的な支援が出来る程の地理感や人間関係があるわけではなかった。

特に地理環境をある程度把握しながら廻らねば、長い期間での支援や、調査には耐えられない。

避難所やボランティアセンターでは様々な団体が活動をしていたので、こうしたボランティアに志願して活動するという事も足りない手を足らす、という意味では重要だ。まだまだこうした活動は必要だし続く事だろう。そして、急ぎ生活がなるべく滞る事無いように再生の道筋を立てて行かなければならない。

しかし、これまで長い期間を経て出来上がってきた町の歴史、風土、自然環境との関係は、こうした復興を急ぐ時に忘れられがちである。現地でのリサーチが欠かせないし、そのリサーチはただ生活の便という事にとどまらない。だから、あえてこれまで私自身が、歴史風土、自然と地域社会の関係を近代的な利便性も鑑みながらバランスよい環境として整えていく、そんな仕事をしてきたはずだから、この経験を生かした活動をしていきたいと考えた。しかし、何かの専門家である前に、人としての行動、感情を大事にしたい。そして、それこそが地域の暮らしに最も必要とされる人との関係だと思う。かといって、感情で物事を運ぶのではなく、ひとつひとつの人の気持ちを言葉やもの、絵に技術として定着させるということが後々に、非常に重要なものとなってくるのである。

が、なかなか直接的な支援を継続的にさせてもらえそうなところが見当たらない。それに通常のボランティア関連の団体や役所の担当係員からすれば、今のところそんなことに気を遣って等想いもよらないものだから、断られまくっていた。それが私の当初の支援初動の実体だった。

活動を始めた石巻市雄勝町の龍澤寺

被災地まで出掛けて支援を断られると、こんな状況でも全く自分が必要とされないのかと、実に心が折れる。極端に言えば『二度と来るか!』と思えるような対応もある。それは決して被災地被災者全てに対してではなく、現地窓口となっている担当者の質に対して、無性に腹立たしく思えたりしているのだが、それはそれで現地の人の気持ちが一番大事だと思えばこちらが腹を立てるのもお門違いのような気もして、気持ちを抑えた。

普段対応の悪い役人は、非常時も同様に対応が悪かったりする。当人も被災していながら、仕事をこなしていると言えば、聞こえは良いが、そう思えない事もしばしば後から被災者の方々に聞いてみるとあったようである。担当者やリーダーの立場から言えばそれはそれで色々あるだろう。いずれにしてもマスコミが伝えるような奇麗事ばかりではなく、色々な感情が渦巻くのも事実といえる。

そんなことだから、避難所や被災地の其処此所を廻り、ようやくたどり着いた雄勝町の龍澤寺の住職に

「出来れば直接的な支援をさせて欲しいのですが....。」と言うと、

「ああ、構いませんよ、ありがたい事だ.....。」と返事が返って来た。

そう答えて頂いた瞬間に、神か仏に救われたような気分になって、ほっとした。

お寺さんなので事実、仏に救われたのかもしれないのだが、支援をしようと思って、被災地を巡り、こちらが救われた気持ちになるという感覚は、現地に支援に来た人間でなければなかなか分かり難い感覚だろうとつくづく思う。

なぜなら住職の言葉を聞くまで、美しい御伽話しとしてはそう言うこともあるだろうと思っていたぐらいで、私自身そんな風に感じるなどとは思いもしなかった実感だったからである。






2011年5月11日水曜日

原発推進サイドを割るグッドジョブ、細野補佐官(ただし20110906現在、最悪な発言をした人でした。)

おわび)この細野という人が、ただ爽やか風な政治家で中身が無く、官僚のロボットに成り下がるような人物だとは思いもよりませんでした。私の人を見る目の無さを痛感いたします。反省の意味も含めてこのままこの記事を掲載しておこうと思います。

5月10日、細野首相補佐官は東電が所有する送電網を売却することを否定しない、今後の電力供給のあり方を検討する選択のひとつとしたという。(共同、東京新聞2011.5.10.21:29)

賠償に充てるために、リストラ、資産売却に加えて、送電網売却の方向性を示唆したことになる。送電網を売却して、リストラを軽減した方が良いのではないか、ということが広く語られれば、電力会社内部の情勢も色々と分かれていく可能性が考えられる。東電内部にも上層部の対応に疑問を持つ者も全くないわけではないと考えれば、原発推進か反対かではなく、社員の生活を重視するのか、会社の既得権にしがみつき社員を軽んじるのか、という選択になる。

原発推進では一枚岩的だが、社員か社運かという選択は様々な内部議論が上層下層で起きるだろう。ある種の夢から覚めてもらうには非常に重要な会見だったといえる。


2011年5月9日月曜日

福島第一原発事故放射能汚染積算値範囲図とチェルノブイリとの比較

5月6日、菅直人内閣総理大臣の浜岡原発停止要請の合間を縫って、文部科学省から航空機によるモニタリング結果が公表された。


上記のアドレスで確認、PDFファイルを入手することが出来る。このデータを元にチェルノブイリの汚染区域と比較するとかなりの広域において、移住の必要性が出てくることになる。すでに3月28日に、京都大学原子炉実験所の今中哲二助教によって測定確認された結果から、同助教によって避難の必要性が指摘されていたが(京都新聞2011.03.28)、実際の政府サイドの測量によっても今中助教の指摘がチェルノブイリ原発事故と比較して、避難の必要性が広域に渡るということが実証される結果となった。

この事実を圧して、日本人はチェルノブイリの人々と比べて放射能に耐性があるとでもいうのだろうか、特にこれらのモニタリング結果を受けての動きは見られない。直ちに健康被害は無いにしても、5年、10年、20年の時間経過の中で、癌の発生率の増加、免疫力の低下、脳の萎縮などの発現他、先天的な疾患の発現の可能性が高くなっていくことは否めない。

チェルノブイリの汚染区域のまだら模様や広域に渡る予想出来ない場所での高濃度の汚染が予測されるので、僕の仕事においても、特に周辺山林へ出掛ける時には放射線モニタリングが出来るように測定器の必要性、内部被曝を軽減するように山林に入る時にはマスクの着用などの対策を必要とすることになりそうだ。これまで、山林に入ると土の香りを感じ、デスクワークの閉塞的な環境から開放された気分になったが、これからは、自然の山林に入ることが何処か危険と隣り合わせといった気分で入らなくてはならなくなった。将に「風の谷のナウシカ」の腐海の世界だ。フィクションではなくなってしまったが、かといってナウシカが現れることもないだろう。

文科省公開の資料を元に、Wikipediaのチェルノブイリの図と比較してみた。



線量の範囲設定が異なるために一概には言えないが、福島のスカイブルーのゾーンとチェルノブイリのオレンジ色のゾーンが大体近いゾーンといえる。80キロ圏内のモニタリングだけが公開されているので、それ以外の地域については不明である。しかしながら、チェルノブイリの図をみれば、今後、80キロ圏外、福島県外のモニタリングの必要性があると思う。

正直、文部科学省は現状維持によって、汚染地域に人々を留め、中長期の国民の保健を顧みないという選択をしているように思える。これでよいのか?

国民それぞれの判断しか、自分を守る術はなくなっている。

2011年5月8日日曜日

NHK BS シリーズ・チェルノブイリ事故25年 放映予定 メディアのひとつの流れ

NHKのBS放送にて「シリーズ・チェルノブイリ事故25年」と銘打って3本放映される予定です。

http://www.nhk.or.jp/wdoc/yotei/index.html?week=20110509

マスメディアが電力会社の既成秩序の温存と原発の利権に群がる学者、行政、企業、政治家一体となって、ここまで死の灰をまき散らしている原発をいまだ擁護し続けているところですが、NHKはようやく「命と金」「国家安全保障の根幹(民主主義の方の秩序)と既成利権的秩序」の天秤を考えねばならないという動きになりつつあるということでしょうか。その兆しのひとつの番組企画であるかもしれません。各種民間マスメディアもはやく電事連はじめ利権構造から多少也とも脱却して、勝間和代氏のようにどんどん偏向してもらって構わないのですから、如何に過去を清算し、本来の自然法との関係性において日本人が社会を正しく捉え、目先の事に捕われず、民主社会をよりよく暮らすことが出来るか多くの一般の人々が考える機会となればと思います。もちろんガス抜き的な番組にならないように。

2011年5月9日月曜深夜(火曜午前0:00〜0:50)
「永遠のチェルノブイリ」

2011年5月10日火曜深夜(水曜午前0:00〜0:50)
「被曝の森はいま」

2011年5月11日水曜深夜(木曜午前0:00〜0:50)
「見えない敵」

それ以外にも、過去放映されたチェルノブイリ関連の番組をyoutubeで確認することが出来ます。今回の福島第一原発事故は、もはやチェルノブイリを超える世界人類史上最大級の人災であり、今後、放射能汚染によって引き起こされる問題は計り知れません。しかしながら、これまで政府、東電、経産省、学者達が言うように「ただちに健康被害が起きる訳ではありません。」ということもひとつの事実です。それは但し書きとして「必ず、今後何らかの被害が5年、10年その先ずっと我々日本人が背負っていく身体的、心理的そして社会的な病理の発現」の宣言でもあります。

「日本零年」
我々は、これまで通りの日本の風土に対する造詣へ学ぶと同時に、日本史上「失ってはならないものを失った」事実を認識し、国家のあり方(安全保障)、ひとりひとりの生き方を、後々の人々のことも含めて、考え社会をつくりあげていく努力を具体的にいっていかなければならなりません。

youtubeにアップされているおすすめの動画を以下に示します。もちろん、以下に示す動画は原発への警告の番組であることは事実です。また、最後の「Chernobyl 2009」はチェルノブイリの食生活を題材にした番組で、すこし観る角度が違い、汚染地域に住むということを食生活を通してつくられたものですから、東電の社員でも少しは卑屈にならずに今後の汚染社会に生きることをイメージして観ることが出来るでしょう。

これまで原発が安全で、良いものだと言い続けて来たのは原発関連施設と電力会社の施設、広告がほとんどですし、マスメディアの広告宣伝として一方的に日常的に垂れ流されて来たことを考えれば、どちらが社会的には科学的な根拠の真義性の疑わしさなど、こうした番組画像と照らして各々が検証するのが良いとおもいます。


youtube「汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~1_5.avi」
http://www.youtube.com/watch?v=PHeq8TfSRBM&feature=channel_video_title
youtube「汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~2_5.avi」
http://www.youtube.com/watch?v=8hXmoNuJHKs&feature=relmfu
youtube「汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~3_5.avi」
http://www.youtube.com/watch?v=Fgx1mcUgHnA&feature=relmfu
youtube「汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~4_5.avi」
http://www.youtube.com/watch?v=BiFTMaApEpw&feature=relmfu
youtube「汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~5_5.avi」
http://www.youtube.com/watch?v=ZK7T6BDiB1c&feature=relmfu

youtube「チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染1-4」
http://www.youtube.com/watch?v=4GcOF4prndE&feature=channel_video_title
youtube「チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染2-4」
http://www.youtube.com/watch?v=wk-rOLrRnx8&feature=relmfu
youtube「チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染3-4」
http://www.youtube.com/watch?v=sqG0_3jlU-Y&feature=relmfu
youtube「チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染4-4」
http://www.youtube.com/watch?v=TPGlJpQN4Kc&feature=relmfu

youtube「チェルノブイリ Chernobyl 2009 (1)」
http://www.youtube.com/watch?v=XgctnPcUTP0&feature=channel_video_title
youtube「チェルノブイリ Chernobyl 2009 (2)」
http://www.youtube.com/watch?v=aI6pNRcQu3c&feature=relmfu
youtube「チェルノブイリ Chernobyl 2009 (3)」
http://www.youtube.com/watch?v=n34ITx9qp_8&feature=relmfu

※記述分類項目を「原発を否定しない国づくり」としましたが、もちろん肯定もしません。むしろ私自身は原発は直ちに全てヤメて頂きたいと思っていますが、多くの一般の方々や原発関連事業者、これらに関わる方々は直ちに自己否定は出来ないでしょうし、そうした人々がいることも事実です。これらの人々の存在が全く無視されることも、問題ですから、あえて「原発を否定しない国づくり」としました。



2011年5月7日土曜日

被災地の現場からみえてきたもの

5月4日
宮城の内陸部と被災地を廻り、東京へ戻る途中、福島県の川俣町に立ち寄った。福島第一原発事故で、一部計画的避難地域に指定された町だ。川俣町役場へ向かう途中、野良仕事をする川俣町の年配の男性に出会った。放射線量の濃い薄いは原発の距離ではなく地形と風に非情に影響されるという。

周囲が汚染されていることを除けば、とても里山の奇麗な、そして若い堆積岩らしき少し荒っぽい摂理が特長の川の流れる阿武隈高地の麓、とても豊かな土地柄のように見える。

そのオジさんが野良仕事をする3反程度の水田は軽やかな里山を背景にうつくしく畦をつくっていた。『福島であろうが関東であろうが少なくとも3月11日以降確実になんらかの放射能汚染の影響があるだろう』そう思うと話しかけるのにすこし躊躇した。しかし、そうした躊躇もよそに、近づいて来た僕におもむろに手を 休めて「セシウムが本当にどんだけ出るか試そうと思ってるんだぁ。」と言葉を漏らした。この農地は作付け制限を受けている農地ではない。でもどんな影響があるのか自分で確かめよう としているのだ。

稲の苗床をつくる作業をしていた川俣町の農家

今年は雪がなかなか溶けなかったので作付けが遅くなる。そして
しかし今年は放射線量が米からどれだけ出るかの実験だともいう。

畦を奇麗にして水を張り、パレットを置いて、
種(米)を撒く。簡単に効率よく苗をつくるのだという。

楽観的でもなく、悲壮感でもなく淡々と、国の言うことなどあてにはできないと言う。結局は自分が確かめて自分で判断するしかない。そのために自分で出来ることやる。じつに正しい農家らしい態度だと思った。

都会の住民は未だマスメディアの論調を基準に、それが自明だと思い込んでいる。自明だと思い込んで自らは何も検証していない。ぼぉっと、テレビを眺め、テレビが安心させてくれる言葉を投げかけるのを待っているばかり。電力会社も全体像を語ることなく、少々の対処療法の報告であたかもことが安全に終息に進んでいるようなことしか述べていないのは明らかだが、それを鵜呑みにして、風評を恐れる。マスメディアの情報自体が風評なのかもしれないのに.....。それとも、実は都会の人々も気づいているのかもしれない。気づいていてもあらがえないのか....。

しかし、原発を否定しないのなら原発を肯定するなら、まず科学技術という以前の思想や倫理、人間そのものの存在について、議論が出来るところまで、考え抜いて、初めて人類、あるいは日本人の存在よりも、今の電気の方が大事と結論づけてみてほしい。それは科学者でなく原発を肯定する一般の人にも要求する。

放射能汚染は汚染前の正常な状態に戻すためには(つまり、完全に冷却されるまでに)100万年かかるという。100万年!過去にさかのぼれば北京原人が地球に現れるよりも遥か昔、今の日本の国土さえまだ形づくられる以前の話だ。未来に向かってそんな責任など誰が出来るのか?出来ないことはやってはらなない。

昨日(5月6日夜)、菅直人総理大臣が浜岡原発の全ての停止を要請した。マスコミによると所在地の市の担当者は「突然のことで驚いている.....。」と言っているそうだが、もしこれが菅首相の要請ではなく地震であったら、当然のことながら突然やってくるのだから、やはり「突然のことで驚いた。」とでも言うつもりなのだろうか?実に愚鈍で、愚かな反応だ。ましてや今はまだ福島は放射能を出し続けている訳だし、全く無関係に無関心でいたとしたら、危機管理の担当者として責務が果たせていないとしか言いようがない。もっとも、民主党の石井一という国会議員さんは災害対策副本部長であるにもかかわらず、この時期フィリピンでゴルフに興じていたと言うから、国会議員でもこの程度であれば、地方の職員ならばその程度ということか.....そんなことはないしっかりとした地方公務員もいるはずだ。街頭インタビューでも「電気がないと困る」とか「唐突ですね」などと答える人間がいることにも驚かされる。これもマスコミが原発推進寄り故に選んだインタビューだとも思うが。

愚痴を言っていてもしょうがない。みなそれぞれが、しっかりとした情報を得る努力を怠らず、真摯に後後の人々のことも考慮して、利便性よりも、国、生活の存続の是非が問われていることを自覚していくしかない。

川俣町役場にたどり着くと、庁舎は地震の被災にあっており、仮庁舎を近くの保健センターに構え運営されていた。飛騨市の災害対策支援室から来た旨を伝え、古川町長に面談することが出来た。飛騨市災害対策支援室の中畑室長は川俣町の古川町長と古くからの縁があるということで、中畑室長からの古川町長の労のねぎらい報告と計画的避難区域に指定された町内等の農家に対する飛騨市での仮就農支援について簡単に説明させて頂いた。町長にしても地元を離れさせたくない、当事者の農家の方々にとっても離れたくない、ということは十分に察せられるが、極力多くの選択肢をもっていただき、多少の希望の範囲を膨らまして頂ければという提案である。色々と住民説明もあり忙しそうではあったが、昔の中畑室長とのことを懐かしく語られ、にこやかに提案について感謝の言葉をいただき町長室を後にした。

明るく執務をこなされていたが、この町は原発の恩恵なんて全く
ないのだから.....と言いながら、忙しく電話に対応する古川町長

この役割は、自分的に如何ほどのものかという気もしたが、出来る限りのアプローチを福島の人々に出来たらと思うので、駄目もとでもやれることはやっておこうということなのかもしれない。そう自分に言い聞かせた。

被災地を訪問し、幾つかの企画を立てて返って来た。その事を「いちぐう」の編集長永田麻美氏に「ジアスニュース」のインタビュー記事にしてもらった。以下の記事をお読み頂ければ幸いです。





2011年4月27日水曜日

孤立する日本の結末が見えてくる(自由報道協会記事より)


どこまでもこの国は........。



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東電原発事故外国人記者向け会見が無視された日~共同会見開始とは偶然?

<日隅一雄 / 自由報道協会 http://fpaj.jp/news/archives/2618 
東電原発事故に関する会見が、統合対策本部の主導で、本部、保安院、東電、文科省、原子力安全委員会の合同で行われ始めた25日昼、官邸で行われた外国人記者向けの会見に出席者が1人もいなかった。これは偶然の一致だろうか…。

The B​riefing On Jap​an Quake -外国プレ​ス​へのブリーフィング”]


この合同記者会見が行われることが東電から発表された際、事前登録が必要とされたことから外国メディアには十分に周知したのかと尋ねたり、通訳は付けるのかと聞いたが、そのような配慮を払うそぶりは見せなかった。そればかりか、東電の広報担当者は、外国人記者クラブに加盟したり、外国記者登録証を持っていない外国メディアは拒否するということか、という私の質問に対し、回答を拒否した。
そして、迎えた合同記者会見初日の昼、外国メディア向け会見に1人も参加しなかった。これは、偶然の一致なのか、それとも、抗議の表れなのか…。
いずれにせよ、日本の官邸での発表が外国メディアにとって取材する必要すら感じないほど、空疎なものになっていることは間違いない…。
24分を回ったところで、「何か質問はありませんか?」と空席に向けて確認したうえ、「会見に来てくれてありがとう」と空席に向けて投げかける挨拶…。
本当に涙が出るよ…。
ニコ生のURL→ http://live.nicovideo.jp/watch/lv47629561?ref=top

残念ながらマジョリティの日本人は後々の人々のことはどうでもいいらしい

たまたまテレビでまだ「はなまるマーケット」という番組をやっているのを観て驚いた。まだ岡江久美子氏が司会進行をやっている。岡江久美子氏はCMで原発推進を力強く訴えていた人物だ。タレントであるしコマーシャルに出るのも仕事と言えば仕方が無いこともあるだろう、原発を信望するのも生き方だし人それぞれの考え方だから、これも百歩譲って良しとしよう。

しかし、今原発はけっして安全ではないことが事実として証明されている状態で、改善される論理も、議論も、これまでの過ちを具体的にどう是正するのかも、これまでの過ちを犯した人々が自己保身も含めて収拾しようとしているだけの現状で、タレントとはいえ今、彼女を観たくはない、もしテレビが公共性ということを言うのであれば、彼女は降板すべきだし、廻りも彼女を出演させてはいけないのではないか?強制するよりも彼女自身が過去の活動の(彼女自身の悪意でないにしろ)過ちを自覚し 、自ら降りるのが良いと思う。(出来ればあの時間にテレビが見えてしまうシーンに遭遇しないようにしたい。不快感でヘドが出た。)今、苦しんでいる人達がどれだけいるのか、どれだけの深い闇と不安にいるのか、想像してみて欲しい。

テレビで度々見かける武田邦彦氏(中部大学教授)は1ミリシーベルト(年間)以下を基準値にしなければダメだと言っている。彼の根拠はこれまでの法的な根拠から、これをむやみに曲げてはいけないとのことだ。法的な根拠以外にも色々言えることがあるようだが、社会的にみれば法の遵守ということがひとつの判断材料であることは多くの人の理解が得られることであり、国としてのかたちをないしている以上、重要な判断基準だが、政府、文科省、その他の行政は法の遵守を軽く破ってしまっている。20ミリシーベルト以下(年間)であれば大丈夫だという。実際に1ミリシーベルトか、20ミリシーベルトかどちらが安全かという問題ではなく国家安全保障上の問題である。つまり、国は国民を守る責務を怠っているということなのではないか?

もうこれは、原発擁護のための組織であって国民のための組織であるとは到底思えない(浅間山荘に立て篭った組織やオウム真理教のサティアンを守る連中と同じアナーキスト組織のひとつに数えてもいいのではないか?)。我々の国、政府とは言い難い。原発の是々非々は1000歩譲って、一刻もこの状態を是正してもらいたい。

毎日新聞はネット上、3月25日付で米国公共政策団体「社会的責任を果たす医師の会」アイラ・ヘルファンド氏 の記事を掲載した。「自然界に存在する放射線も含めて、安全な放射線量などあり得ない.........。」この記事は現在早々に毎日JP上では削除されてしまっている。

CNNでは3月16日付で、アイラ氏の記事が

「米公共政策団体「社会的責任を果たす医師の会1 件(PSR)」のアイラ・ヘルファンド博士は、4号機の火災で危機はさらに深刻化したとの見方を示した。4号機のプールに貯蔵されていた使用済み核燃料は、格納容器内にある炉心の核燃料と違い、放射線が直接外部へ漏れ出す恐れがあるためだという。(CNN.co.jp)」

というかたちで載っている。こうしたアイラ氏の発言記事を読むと東電、経産省に都合の悪い記事が削除されている模様だ。ただいずれにしても、都合が悪いからと言って、いつまでも実際の悪い情報を隠しておくと、最終的に東電にとっても経産省にとっても不利益になると思うのだが、それでも既得権益を守り続けようという各々の漠然とした力が働き続けるのか.....。

さてこのアイラ氏の発言がANNニュースで4月27日付けで再び報道された。今度はノーベル平和賞を受賞した「社会的責任を果たす医師の会」としての見解である。内容は文科省が勝手に決めた「こどもの被曝線量の基準が20ミリシーベルトを許容する」ということにリスクが高すぎると疑問を呈し、引き下げることを求めたという。

「ノーベル賞も受賞した国際的な医師の団体がワシントンで会見し、文部科学省が子供の1年間の許容被ばく量の目安を「20ミリシーベルト」に設定したことに疑問を呈しました。
  アイラ・ヘルファンド医学博士:「衝撃的だったのは、日本政府が福島の子供たちの許容被ばく線量の基準を高く設定したことだ」ヘルファンド博士は、「子供の場合、ガンになるリスクが成人よりも2倍から3倍高くなる」と指摘して、許容される被ばく量の基準を引き下げるよう求めました。アメリカでは、原子力関連施設で働く人の1年間の許容量の平均的な上限が年間20ミリシーベルトとされています。(ANNニュース 2011.0427.11:51)」

国際社会の一員として、国際社会の中で一流を目指してきたなら、世界標準でいくべきだ。現実を真に科学し、自己保身を捨てる勇気が持てないなら、教授もエリート官僚も政治家も皆舞台から降りて欲しい。





2011年4月22日金曜日

間仕切りカーテンの設置その後

4月2日に山形県の東北芸術工科大学にて、間仕切りカーテンの仮設置をおこないました。避難所の状況が不確定なため、当初予定していた山形県高畠町の避難所、福島県会津若松市内の避難所での設置は見送りになりました。

しかし、この「間仕切りカーテン」を石巻市の避難所に設置出来たようです。石巻市の避難所では安東陽子さんが仲間と直接設置に出掛けられて設置したということです。避難者の方々から直接感想や意見ももらえ、安東さんと岡安さんの進める「間仕切りプロジェクト」は、避難所の環境の質の向上につながっているようです。

 東北芸術工科大学(山形)での仮設置は安東氏と岡安氏の指導のもと、
同大学渡部講師と学生有志の協力で行われた(4月2日)。

 


ところで、私はというと、4月の13日に飛騨市に戻り、飛騨市の災害対策支援のマニュアルを作成しながら、民間のボランティアの方々と行政の業務の連携の手伝いをしているところです。今日、東京に戻り、再び被災地へ入る予定です。


2011年4月9日土曜日

正しい理解のための情報を(原発は人災、予想はしていたが実に残念な社会状況)

太平洋戦争、戦前の時代から実際の経済性や社会性から乖離して、軍部官僚をはじめとして多くの国民が先導され、これに疑義のある者は他の国民からも「非国民」といわれ、戦争へと突き進んだという。そんなのは過去の時代の過ちで、今の時代はもう少しはマシな社会になっていると思いたかったが、どうもそれは違ったようだ。

そして、自分の周囲の知人達のうちでも、日頃リテラシーを持っていると自認しているふうな人達の多くは、全くマスコミ情報以上の事実確認の努力をしないまま、原発の事故状況を受入れている。彼らに問えば、多分「事実認識はある。ただじたばたしても仕方がない。状況を受入れて、普段通り過ごすだけだ。」とでも言い、ちょっとした運命論者になってくれるだろう。そういう人達は仮にこの世が終わっても多分気が付くことのない鈍感な人生観の中に佇むしかない。彼らは多分自分たちのことを繊細だと思っているに違いない。申し訳ないがそう皮肉りたくなる。

発災後、一端飛騨へ東京から退いたとき、ある知人から電話で「東京はいたって普通に動いているよ。」と私のことを理解しようとするよりも、むしろ諌めるような言い方をされたことに私は実にがっかりさせられた。既に、私は被災地、被災者に対して実体的行動を起こしていたし、諌められるような言われはないと思ったが、どんなに親しい人だったとしても、社会と比較して目の前の人を評価する人は、そういった時にはもうこちらを色眼鏡でしか見ていないし、逆に私自身も相手を「生身の人間を信じられない人」ではないか?と疑心暗鬼になってしまうのである。

しかし、逆に直感的に何か出来ないか?と問いかけてくる人達もまずまずいるものである。良かった。事故後、私は一端東京から飛騨へ退き、すぐさま飛騨で廣瀬氏と被災者支援プログラムの作成と、実際の被災地現場での活動を現在実行しはじめている。

もし私のこんな実感に理解してくれる人がいたならば、是非とも、少なくとも自分が普段から信じたいと思っている相手がいるのなら、茫洋とした社会の色眼鏡を通さずに、その相手(人)の、今、実感している深層の心情を理解するように努めて欲しいとおもう。


さて、多くのマスコミでは「デマを信じないで」等と言った広告が飛び交っているが、マスコミは「安心」を求めているのに「安全」という。「本当に安全?」と聞くと「ちょっと危険かもしれない」という。「どういうことが危険なの?」と聞くと「ただちに危険はない」という。そして「じゃあ、今は安心なんだね?」と聞くと「今は安全だ」という。こうしたループが延々と続いている。全く誠実なものの言い方ではないと思う。だから主要なマスコミは信用してはいけないと思う。多様なメディアが存在するこの時代、ビジョンがない、またはビジョンに一貫性のないメディアは、デマや、ごまかしや、まやかしに染まりやすい。その点で善くも悪くも「テレビの主要マスメディア-マスコミ」と「2チャンネル」とは同じようなものである。

しかし、原子力発電所事故に関して、このような社会の重大な局面を迎え、マスコミが、増々、経産省(保安院を含む)、東電の迷走を覆い隠す機能を果たし、今後の適切な損害賠償、補償責任を曖昧にする不適切な報道が流されているのは問題であるとおもう(まぁ、普段は民放にとっては東電はクライアントだから仕方がないと言えば、仕方がない)。出てくるのは原発推進者達ばかりであるのだから、事態の様子を過小評価するのは当然である。しかし彼らは専門家であると同時に、ある意味賠償責任に関わる人達であるのだから、じつにマスコミとは思慮が無く(クライアントには思慮があるのかな)、真の報道をおこなっていないように思える。まぁ、「2チャンネル」だと思えば、苦言を述べることもできないし、シャレだと思って流すしかないのだが....。


それにしても、過去にさかのぼった原発の事故をはじめ、電力会社や保安院、原子力委員会、原子力安全委員会の対応のいい加減さは様々なところで語られているが、今回の事故を経験して、なにやら謝罪したらしいが、これまでの委員会の内容を知ると、本来は謝罪だけでは済まないし、これから真相をもう一度問いただしていかなければならない。報道で語られた謝罪の内容からすると、元原子力安全委員会の専門家は当事者意識が欠けていて、その点の反省がないように思う。
しかしながら、こうした原子力関係者の重責とは別に、我々国民にもこれまでの原子力開発を容認し、安全確保に愚鈍できた責任も免れないだろう。そのことを、我々も当事者意識を持って受け止めていかなければならない。


とは言っていても、マスメディアや既成秩序に頼りたい人や集団が、社会のために状況を自ら改善するといった理想的な展開は、多分望めないだろう、そこで、多少なりともここでは、気が付こうとする人々に対して、まともな情報を伝えることができたらと考え、以下に私が有効だと思えた情報を掲載することにした。

特に今現在(平成23年4月7日)時点で、福島第一原発事故における対処的措置はとられているものの、政府、官庁を通じて全くビジョンが示されていない。このため、原発事故に関わる避難者にとっても、今後の社会経済を考えれば多くの国民にとっても、原発事故収拾の先見、見通しの判断材料が足りていない。これに答えるひとつの見解が、日本記者クラブ主催の会見で環境エネルギー政策研究所・飯田哲也氏によって提言されている。これはyoutube動画として日本記者クラブから公表されているが、これを全てテキスト化して多くの人に今後の判断材料にしてもらえるものとし、以下に添付するので参照頂きたい。そのなかで、特に原子炉の現状の実質的な復旧の時間スケールを再確認頂ければと思う。

また、現時点で未だ柏崎刈羽では新規の原発事業を進めている。従って、この期に及んでも規制秩序の問題点が是正されることの無いまま、社会衰退の一途をたどることになるかもしれない。しかしそれでも尚、今後の日本社会の枠組と方向性を一人一人が、また一人でも多く見いだす勇気をもって頂くことを懇願したい。

以下、「3.11大震災/福島第一原発/二度と悲劇を繰り返さないために」
(尚、当日行われた記者会見で配布された資料は環境エネルギー政策研究所のHPに掲載されているのでそこから資料を取得してください。資料1「「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」No.1」、資料2「「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」No.2」PDF)




「3.11大震災/福島第一原発/二度と悲劇を繰り返さないための6つの戦略」



2011年4月1日金曜日

被災地の方々、お見舞い申し上げます。
被災地及び被災地周辺をオンサイトと言います。被害に遭わなかった場所をオフサイトと言います。

廣瀬氏と田賀は今後の中長期的な支援が必要と考え、縁のある飛騨市に働きかけ、災害対策支援室特任専門員(無償活動)として、市行政の方々と今後の支援体制を整え、オフサイト支援の体制の枠組や実際の活動、民間との協力体制について活動しております。
長期の活動を考え、無償活動出来る部分と、経費等を織り込んだボランティア活動とを平行しながら、より意義のある活動を展開するように心がけていきたいと思います。

また、同時にオンサイト(被災地現場および被災地近郊)における支援を行うべく、東北芸術工科大学建築環境デザイン学科との恊働を進めています。オンサイト支援では同大学の渡部桂氏が先頭に立ち、学生有志の皆さんとともに活動体制の準備をしているところです。現時点での危急の支援はもとより、今後の中長期的な社会再構築を見据えて、息切れをしないように慎重にかつ的確、迅速なコミュニティを形成していくように、私もコーディネーションしながら、実際の現場活動、計画に踏み込んでいくところです。

喫緊のところでは、オンサイト支援として、現在、芸工大の渡部氏と連携をとり、テキスタイルデザイナーの安東陽子氏、照明デザイナーの岡安泉氏から提案いただいた、物資供給によりカーテン間仕切りの仮設置を行うところです。

避難所の環境や状況は日々変化していますので、常に予測不能な状況でもあります。必要な資材を現場付近へ持ち込み、必要な時に即時に対応出来るようにスタンバイの体制を整えているところです。既に東京で安東氏、岡安氏によって試験的に設置されており、以下のアドレスで仮設置した状況が確認が出来ます。


間仕切りプロジェクト
安東陽子氏・岡安泉氏(あいうえお順)





また、角館政英氏(照明デザイナー)も、現地と東京事務所を行き来しながら、支援の輪を拡げるべく、情報収集とコネクションをしているところです。角館氏からも私の関わっていない被災地等の情報を頂きながら、様々な方々と連携をとり、より効果的な活動に結びつけたいと思います。角館氏からは以下のアーカイブをお教え頂いています。今回の災害を受けて立ち上げられたサイトです。今後の復旧、復興計画の良い資料となると思いますので、アドレスをリンクしておきます。






自然環境、地域環境に関わる計画、デザイン、保全を職務としてきた者として、今回の災害、そして災害継続中の福島原発については極力関わりをもって行くようにしたいと思います。また、これまで私なりに考えてきた土地との関わりを多くの人々と再確認し、是非とも行政諸機関、市民の皆さんに働きかけて、文明への過信ではなく、本来の人間にとって「土地と命」というものを推し量り、良好な環境を共有していく機会をもてるように努めていくつもりです。
今後の被災者被災地支援活動内容は出来るだけ、公開していくようにしたいと思います。
取り急ぎ、以上です。

田賀



2011年1月16日日曜日

チョムスキー その1

「わたしは人々を説得することには興味がない。私がやりたいのは、人々が自分自身を説得するのに力を貸すことだ。」
(N.チョムスキー、D.バーサミアン著「グローバリズムは世界を破壊する」の序文からチョムスキーの言葉/p.7/明石書店)

「真実を語り、嘘を暴くのは知識人の使命である。」
(N.チョムスキー、D.バーサミアン著「グローバリズムは世界を破壊する」の序文からチョムスキーの言葉/p.8/明石書店)


自分が知識者であるとか、人に何かを啓蒙するとかということではなく、例えば、自分が何をどういった面持ちで、どう言葉を定着するべきか、対話すべきか、の示唆がある。

2011年1月15日土曜日

思索01

丸山眞男が著書『日本の思想』のまえがき「日本史思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか」という項において、

<私たちの多くがたとえばフリートリヒ・ヘールの『ヨーロッパ精神史』とかチャールス・ビアードの『アメリカ精神の歴史』という表題に、極普通な学問的関心で接しうるのに対し、「日本精神の歴史」という表現には何かおさまりが悪いというか、尋常ではないものを感ずるのは彼我何というおおきなちがいであろう。こういう感じをたんに戦時の風潮への反動とみて、「あつものに懲りてなますを吹く」私達の過敏症のせいにするのは、いまだ問題の核心に触れたものではない。日本思想論や日本精神論が江戸時代の国学から今日までのあらゆるヴァリエーションで現れたにもかかわらず、日本思想史の包括的な研究が日本史いな日本文化史の研究にくらべてさえ、いちじるしく貧弱であるという、まさにそのことに日本の「思想」が歴史的に占めて来た地位とあり方が象徴されているように思われる。(岩波新書 p.3)>

と述べている。この著書では丸山眞男は日本の思想の科学的な分析の試みを一般向けにあらわしているのだが、著書の中身については、ひとまず置いておいて私の普段の生活の中で直感的に上記の文章の感覚は理解できる。私の日常の、多くの周辺の人々との対話の中で、対面する人々各々の中にあるであろう「思想」または「思想的傾向」について語り合う事はなかなか難しいし、ほぼ不可能である事が多い。それは何故か?という疑問と大いに符合する。

私は、直感的に「日本人の精神」というものが、これのみを取り出して語るには引き裂き難い地域の土地風土、ないし日本の風土気候空間が作用していて、日本人の精神を「日本の空間」、「地域の空間」と引き離して単離化してみてみようとしたときに、その精神が変質してしまうという土着的な精神性の特質を内在しているために、各々の「思想」および「思想的傾向」を、変質させる事なく相手に伝えることが難しいか、伝える技術を持ち得ず日常的に語り合う事が出来ないのではないか、と考えるのである。

現代の都市生活(近代文明生活)においては、このような思想信条といったことに捕われず、豊かで幸せな生活をおくれるかのごとく、多くの日本人が振る舞っているように見える。そして外国(特に、というかほぼアメリカ)の押し付けてくる文明や政治的意図に無関心かつ容易に受け入れてしまう。

つまり思想信条の欠落によって、ボーダレスな状況なのだが、我々は「土地性、風土性」と言ったものに捕われずに(切り離して)はたして生きていけるのだろうか?多分そう聞かれれば、多くの人は地域は大事、風土、歴史は大事だと言うだろうし、漠然とは切り離せないだろうとも思うだろう。

また、都市生活(近代文明生活)とは方法の問題であって、必ずしも人間の生き方を問題にしていないと私は考える。しかしながら、都市生活(近代文明生活)というなかにのみ生き方を見いだそうとする人は多い(それは思想信条の欠落に関係すると思われる)。

私は「生活の方法」と「生活の空間」、その実体的な組合せから、ある種の日本人の拠り所となる「日本の精神(本質的な価値観の認識)」、「地域の精神性」といったものを見つけ出し、多くの人と理解しあえることが出来るのであろうか。模索してみたい。

(覚え書き、推敲ナシ、110115)