2022年1月2日日曜日

【四方山話・役にも立たないどうでもいい思い出話なのに意外と自分には大事という、の覚書・設計事務所のバイト】

 【四方山話・役にも立たないどうでもいい思い出話なのに意外と自分には大事という、の覚書・設計事務所のバイト】

最近歳をくったせいか、学生時代の事を思い出します。思い出しても、今後も自分の今の仕事で語ることもなかろうと思うので、FBぐらいで言っとこうか。建築から離れちゃったから、こんな話もしやすいってこともあるかも。
今の建築の学生も、色々と設計事務所の模型のバイトすると思うんだけど、今思い返すと良くやってたとも思うし、もっと違ったことにエネルギーを費やしていたらとも思う。多分、頭良い同世代の人達はもっと要領よく色々やってたんだと思うけど、自分はかなり近視眼的に目の前の模型を作ることに熱中していたように思います。
いろんな建築家の模型を作ったなぁ、
吉村順三、石井和紘、石田敏明、内藤廣、曽根幸一、磯崎新、北川原温、玄・ベルトー・進来、茂木計一郎(敬称略)、えっと、もっと他の先生のもやった気がするけど、後は三菱地所とか大手設計事務所やゼネコン設計部の模型もやりましたね。まぁ兎に角、良くも(悪くも)色々学生時代に経験させていただきました。一番多くて長らくやってたのは、磯崎さんですかね、磯崎アトリエは、秘書の網谷さんと経理の方が良くしてくれて、お金が無いとバイト代を直ぐ出してくれたので、貧乏学生の私はとても助かりました。
あぁ、
腹が減って買い食いしてたりすると、ちゃんとしたものを食べなさい、みたいに言われて磯崎さんの奥さん、愛子さんがたまにオーガニックの箱重弁当を差し入れてくれて、これも有り難かった。
大学にいるよりも長い時間磯崎アトリエに居て、家が遠かったので、比較的家が近かった一緒にバイトしていた友人の家に泊まり、また次の日にアトリエに行くということで、大学の単位はギリギリのボンクラ学生なのでした。
今の学生さんはどうなのかわかりませんが、設計事務所のバイト経験は良いとも悪いとも言えない。図を読んで形にするという経験にはなったが、それで設計が出来る様になる訳でもない。それをどう生かすかは、その人によるだろう。
自分はどうだったかと言われれば、磯崎アトリエで、模型というよりも、レリーフを作ったり、普通の模型じゃできない形を工夫して作ったり、シルクスクリーンの原画を起こす、みたいな大よそ設計とは関係のない美術造形的なところでの経験が一番楽しかったし、良かったといったところなのでしょう。
そうしているうちに、曽根(幸一)さんからは、「キミ、建築設計より模型屋になったら良いんじゃないか?」と言われ、ええっ、建築家の御用聞きの模型屋を一生やるなんて、真っ平御免といった顔をしたら、曽根さんはビジネス的に良いんじゃないかと言うことだと、言い直した。確かにその後、磯崎アトリエでは専門の模型職人を雇っていたし、模型をつくる会社も結構できたように思う。だけど、あんなプラスチック素材を中心にした不健全な諸素材を使う造形なんてどうなのか?オモチャの原型とかなら兎も角、建築とか建設とか、そうした社会インフラの計画が不自然な(今なら化石燃料を駆使したような、と言うことか)もので延々と検討するなんて、先行きがあるようにも思えん、などと思って、その後ほぼ模型はやめてしまった。
昔、東京芸大の彫刻の先生から聞いた話では、良く設計事務所のバイトに行ったと言っていた。当時はスチレンボードなど、石油由来の便利な模型材料はなく、木を削ったり切ったりして、一番加工しやすい材料でもバルサ材で、木彫の学生が重宝されたと言っていた。もしその時代に学生だったなら、木彫の延長でやっても良いと思っていたかもしれない。
時代は移り変わる。ハリウッドでも、元の模型を作るよりも、それにリアルに色やテクスチャーを貼り付けるCGの仕事の方がギャラが良いというし。今の学生も様々なソフトのCG画像でプレゼンテーションをする。それでもまだ学生課題も含めて、模型の需要はあるようだ。しかし、自分が模型を作っていた時とは随分と模型に対する意識も違ってきているようにも思える。自分には模型は、あくまでも思考のプロセスの一環だった。しかし、今はプレゼンテーションの役割の方が大きいようにも見える。周りからもそれが求められていると思います。
しかし、果たしてプレゼンテーションの立派さに見合うだけの思考の作業量や思考の質が担保されているか甚だ疑問も湧いてきます。学生だけでなく自分も、社会人も皆、思考がライトになっていってしまっているような気がしています。

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