2021年9月24日金曜日

《里山考 その1》

 《里山考 その1》

永幡嘉之氏の「里山危機(岩波ブックレット)」を移動や外業の合間に車中で読みました。
近年、里山についての書籍は近年色々と出版され、生態系や里山林の保全、さらには里山資本主義など色々と語られているようになりました。これらの書籍について網羅しているわけではないけれど概ね里山での自分の活動にリンクするものはそう多い印象がなく、その意味で永幡氏の東北(特に山形)をフィールドにした里山での人の活動とその環境を重ね合わせた記述は著者の現場での活動や聞き取りからのもので、わたしが山間部で活動を行う上で大いに参考になりました。
里山の定義についてなど、自分なりに活動を行う中で考えがあるけれど、永幡氏によって活字化された記述に、改めて自分の中での人の活動からの定義や考えを整理する機会となり、大いに著者に感謝申し上げます。
車中での斜め読みで、感想というのも心許ないが、文中冒頭にある
「里山という言葉が使われるようになった1980年代には....」とあり、自分が「里山」という当たり前のように使っていた言葉がそんなに最近であったかと、気づかされた。
改めて、自分が所有する書籍をパラパラと見直してみると、確かにそれ以前の書籍では里山という言葉がほとんど見つからない。それで、突き当たったのが、森林生態学者の四手井綱英氏の著書にあった、「里山」を奥山に対して使った、それまでは農用林などと言っていた、という主旨の1974年ごろの記述だった。
もっと探せば違う記述があるかもしれないけれど、「奥山」は古くから使われているのに対して、「里山」という言葉はまあまあ最近の言葉であることは確かなようです。 ===== FBで永幡氏からコメントを頂きました。以下。 Yoshiyuki Nagahata
この記事、出かける日が重なって今日拝読しました。ありがとうございます。私も、里山ということばを最初に使われたのは四手井さんだと認識しています。ただ、その用途が今でいう里山を明確に定義したものではありませんでした。一般に大きく普及するきっかけになったのは、1989年に科学朝日で石井実・植田・重松氏ら大阪府立大の皆さんが「里山のエレジー」と題して寄稿された特集記事や、その評価があまりによかったので同じ著者らが単行本「里山の自然をまもる」を出されたことあたりではなかったかと思います。つまり、表には出てこないけれども、科学朝日の編集者の柏原精一氏の果たした役割は非常に大きかった、と。 これに対する私からの返信

コメントありがとうございます。 文献、書籍は実に不勉強で補足頂きありがとうございます。永幡さんの「里山危機」に、『水田や雑木林などの「部品」を切り取っては人と自然が共存することを美化する、「里山」という言葉の独り歩きが始まった。』とありましたが、自分の活動の中では切り離されることなく連続していることが当たり前と認識していて、当たり前に共有されていると認識していたことに随分と齟齬があるのだと、改めて思い当たり、自分の活動の中で、もう少し丁寧な説明の必要性を感じました。 また、移動の機械化により、山に道路ができ木材の出荷が出来るようになったのが1965年ごろ以降、とあるのも、漠然と捉えていたことが、そう昔でもないことに改めて、昨今の急速な変化の激しさを感じさせてくれました。わたしの認識では、1961年制作の岩手県普代村の山間部の暮らしをリアルロケで映画にした「山かげにいきる人たち」に用材運搬のトラックと普代の港に置かれた用材の景色から太平洋側の東北地方では60年ごろ以前から既にかなり産業化していたように思われ、地域ごとのタイムラグがどの程度あるのか、興味が湧いているところです。 話は外れますが映画のなかの中心は炭焼き職人の家族で、炭焼き以前は北海道や樺太でニシン漁の仕事をしていたことが伺われ、山の人の暮らしの移動や変化を強いられる様子も気になるところでした。ご存知かわかりませんがリンクをつけておきますので、永幡さんにも時間があれば是非ご視聴いただければと思います。

https://youtu.be/MaPmKG9KHcc






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