2017年6月11日日曜日

基地

辺野古に限らないですが、沖縄が返還される1972年ごろまで、父の仕事の関係で進駐軍や自衛隊の基地の内側に暮らし、子供自分の目で見てきた、フェンスの内側からデモ隊やら米軍人や自衛隊員の日常の姿、フェンスに塗られた塗料やサビの匂い、刈り払われた周囲の草の萌える匂い、門兵のいる小屋、戦闘機やヘリの音、悲しいような清々しいような、悔しいような優しいような、なんとも言えぬ、混沌とした感覚はなんとも伝え難く、基地の存在がある種の自分のアイデンティティとなってしまっている、辺野古の基地に着くと熱く込み上げてくるものがありました。戦争体験者ではありませんが「さとうきび畑」という歌の、ざわわ、という響きやウチナーグチの歌詞に重ね合わせてみることができます。
自分が辺野古に唐突に行った意味はもしかしたらあまり伝わらないのかもしれません。沖縄のひとの思いとも全く違うのかもしれません。
ただ、わたしはこの国が、私たちの暮らしが、薄っぺらな政治家や権力者の手によって踏みにじられ、踏みにじられることに無感覚になっていくことが耐えられません。


(写真は、辺野古のキャンプシュワブではなく近所の厚木基地です。)

さとうきび畑 寺島尚彦
ざわわ ざわわ ざわわ 広いサトウキビ畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる 夏の陽射しのなかで
(ちゅぅんみぃゆるかじり  みどぅりぬなみがもぉいん(舞う)なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
むかし海の向こうから いくさがやってきた 夏の陽射しのなかで
(んかし海ぬかぁま(彼方)から いくさがゆしてぃちっい なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
 
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)
あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった 夏の陽射しのなかで
(あぬひぃかんぼぉぅ(艦砲)ぬあみ(雨)んかい すぃ(父)やうちゅくゎぁってぃ なちぬふみちぬなぁかぁんじ)
ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
(ひるさる をぅーじばたきや)
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
(かじが とぅぃぬきぃる びけぇじ)