2010年5月7日金曜日

普天間基地問題_他(日記メモ)

時として何が真実なのかということを伺い知る事が非常に難しいことがある。特に情報の世界、マスメディアでは、時としてというよりも、常にほぼ真実は語られることがないのだと思っていた方が無難だともいえる。

普天間基地の移設について直接鳩山首相自らが現地へ出掛けたことについて、色々と言われるが、敗戦の過去から続く大局的で重要な意味について解き明かそうとする日本のマスメディアは全く見られない。仮にあったとしても、特にNHKのニュース報道に見られる無思考の情報伝達の圧倒性で、かき消されてしまう。なにもNHKを悪者にしようということではない。あくまで象徴的だというのである。ものをつくるということには、必ず意図がある。意図が無ければ、ものをつくること自体が不可能なのだ。だから、極端に言えば、NHKのニュースには、例えば、「なるべく恣意性を持たせない」という意図があるのである。

人間というのは単純で、嫌なものであれ、好きなものであれ、メッセージがあるものに強く反応する。メッセージとは「恣意性のある情報」ということになる。逆に、メッセージ性の低いものは当然、相対的に無関心になっていく。

だから、「事実性に努めるためにメッセージ性(恣意性)を排除する情報」とは、結果的に物事への無関心を煽る恣意性を与えることになる。

例えば、殺人事件があったとして、その報道は、会話風にするとこんな風になる。無関心を煽りながら情報を伝えるとはこんな感じの会話に近い。

「そんな大した話じゃないんだけど....いや、ほんと大した話じゃなくて、実は今日、人が殺されちゃって......あ、でも一人だけだから。沢山死んだ訳じゃないから。すぐに警察来たし。そういうこともあるんだなぁ、みたいな。そんな感じ。ごめんなさい、つまんない話しちゃって。で、でね、話し変わっちゃうんだけど、巨人優勝したの知ってたぁ?そうそう、すごくもりあがったの、それにしても明日の天気、雨だってのよ。最近、雨が多くて困るわね、ほんと。」
(何故か、林家木久蔵かオカマ的な台詞まわしになってしまった気がする............笑。)

必ず、スポーツや天気の話で話題転換するのも、無関心へ導く古典的な手段だ。

確かに、いちいち生活の中で重苦しい話題を聴きたい訳でもないし、目の前の生活に追われていればなおさらな訳だから。ご近所の会話ならそんなもので良い訳なのだが、「報道」とはなんなのか、それを考えた時、こうした無関心を思考させるような話法と提示の仕方は問題だと思わざるおえない。

また、それを聞く側、視る側も漠然と受け入れては行けないのではないかと思う。例えば、民間のメディアなら、その民間企業の利益性に基づいて、どのような意図性を持っているのかを知って、自分なりに吟味出来るようにしている事が大切だと思う。

さて、普天間の話題に戻ると、
首相、もしくはその周辺での思案があったのかどうかは分からないが、例え自民党時代の政策と変わりがない結果を得たとしても、近年のこれまでの自民党首相が全く出向かず、官僚主導で政策を進める事からすれば、現地入りして、直接の対話を試みたということは、これまでの政府のありかたと大きな違いと進展があるように思うのである。

それは、特に諸外国への対外的な日本の状況のアピールという点でのことと思う。

日本国政府の首長が、その立場からの表明をする。そして、沖縄、徳之島の首長がその立場からの表明をする。そして各々の正反対の表明によって対立する事で、ようやく米軍基地の存在が、問題として社会化されたのであり、アメリカに対して、あるいはその他の諸外国に対して、単純にアメリカ主導の国ではなく、日本という国が、様々な人間の思いによって成立しているのであるという事を知らしめ、日本との交渉を考えさせることになり、官僚を丸め込むだけでは国を動かせない、という事実を国外に突きつけることになるのだと思う。この国内の対立構造こそが、対米交渉のお膳立てである事は言うまでもない。我々は、アメリカ合衆国に極東の局所的な話だと思って交渉されては、有利な交渉は得られないのだから、国政を揺るがす大問題と捉えてもらうのが、アメリカ合衆国との交渉の上で最善なのである。

沖縄サミットが行われたのは、沖縄が日本国であるという事をプレゼンテーションするには、とても良い機会であった。ただし、これは沖縄が沖縄として日本国の一部としての事実性を成立するためのはじまりに過ぎなかったのである。

そして、今回ようやく、沖縄が請け負っている国際社会での役割がほんとうになんなのか?そして他の全ての日本国内の地域社会がこれに寄りかかている。本来、国内の全ての地域主権の担保として、誰もが目を背けることができない問題がある。その事を国内の問題として諸外国に対して、沖縄の基地問題を日本国に社会化するということである。

それが普天間の移設問題の重要なポイントであり、これを乗り越える事が沖縄を初めて日本国の一員として全ての地域社会が認め、受け入れていく事になるという事なのである。(それとも徳之島を含め内地の人間は、沖縄を日本から切り離しても良いと思っている?)

国内の話に転じてみれば、自立するのか、共同するのか、これまで不在であった対話をはじめなければならないという事を全国民に突きつけることなのである。ひとたび、沖縄が請け負えないとなれば、徳之島をはじめ、日本のどこかがその代わりの負担を背負わなければならない。

最大野党自民党谷垣氏の発言は、本来、こうしたようやく社会化された論点を進展させるための発言でなければならないはずであったが、全く国民の利益になる発言の一つもなく、ただ漠然と与党批判をするだけ。こんな党がこれまで政権を担っていたのかと思うと、これまでの政治の歩みの程度の低さを実感するばかりである。だからといって、民主党にまだ諸手を揚げられる訳でもないのだが。

ちなみに、私の家の近くには厚木飛行場、座間ベースがあり、昔、米軍機が墜落した現場が数百メートルのところにある。私自身、何十年と基地近隣で暮らしてきた。太平洋戦争の沖縄、返還までの沖縄については私自身も知る由もないが、少なくとも基地に隣接する暮らしの不利益を長年経験している私からすれば、対外的な問題、つまり地域では解決出来ない問題の詳細について、メディアも多くの日本人も表面的な扱いが多すぎると思う。

普天間が、あるいは徳之島が、あるいはいかなる日本国場所においても、敗戦から65年、戦争終結から58年、沖縄返還から38年。経済大国だの、バブルがどうの、国連常任理事国入がどうの、といったところで敗戦国の状況はまだ続いているし、かといって野に解き放たれて自立性の担保すらおぼつかない国に、真の意味での国際的な優位性等何も無いことをよく理解すべきだと思う。自信を持つ事は大事だが、現実を無視することもできないのだから。

我々はまず「日米地位協定」の見直しを国内全ての地域の人々が目を背けずに吟味しなければならない。そして、改正するようにしむけて頂きたいと思う。それが、移転問題と同時に、もっとも重要な優占されるべき懸案事項なのではないだろうか。

メディアが騒ぎ立てる話題に、漠然と耳を傾け、漠然と同調したりする前に、よく話を吟味する。それが、現代人の責任だ。自民党の問題でも、民主党の問題でも、鳩山氏の問題でもない。自分の対話の問題なのだ。


Japan's PM backtracks on US base

Yukio Hatoyama, Japan's prime minister, says it will be impossible to completely move a key US military base out of Okinawa. The decision means Hatoyama is backtracking on a key election promise, the issue continues to divide the people on the island. Rob McBride reports from Okinawa. [Published 04 May 2010 19:15]

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