2010年5月14日金曜日

黒はんぺんとピーマンのきんぴら風


とんと最近外食が多く、料理はご無沙汰になっている。

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母は女学校の同窓会があるとかで、郷里である静岡へ出かけた。出かけついでに、安物でいいから静岡名物の黒はんぺんを送ってくれるように頼んだ。すると、母の出かけた日だったか、従姉妹から電話があり、黒はんぺんを送ってくれる旨を伝えてくれた。

従姉妹は電話口で、安物でいいというけれど、叔母の家でいつも買っている美味しいはんぺんじゃダメなのか?と聞いてきた。もちろん、ダメな訳ではないのだ。僕が母に伝えたのは、味付けされてやたらと高級感のあるものではなくて、もともとの素朴な素材でつくられたシンプルなものという意味のことだったのだが、額面通り、母は安物の黒はんぺんと、伝えたのであろう。元々、母は他人のいう微妙なニュアンスを解する人でではないし、僕も説明不足だったのかもしれない。こう言う事を言っていると、私ほどデリカシーのある人間はいないと怒りだすから、話しはややこしくなる。とにかく、事のついでにお願いした話で、事がややこしくなるのを避けるべく、詳細を濁し、なんでもいいから安い静岡の黒はんぺんを頼んだ訳なのだが、その後丁寧にも叔母の家では、僕の要求する黒はんぺんを話題にして、確認の電話までよこしてくれたのだった。

従姉妹には、良いようにお任せ願うと、叔母が普段買い求める蒲鉾屋の美味しい黒はんぺんを送ってくれた。宅急便で、こちらに届くや否や、頼んだ当初からイメージしていたものをこしらえた。良い食材が手に入ると、多少忙しくても調理しようという気持ちになるものである。ということで、久々の調理をした訳だ。

黒はんぺんとは、簡単に言えばつみれの平たくなった形状のものだが、表面積が大きいのでほかの出汁が無くてもそれを入れて煮れば美味しい汁がたくさん出てくる。よく里芋などと甘辛く煮込んだりするのを見かけるが、折角の出汁が甘辛くなってしまい煮汁はあまり飲む気がしない。折角の出汁のエキスは捨ててしまう事になるのでもったいない。

そこで、僕は少量の水で薄味で煮る事にする。生で十分に食べられる素材だが煮るのは食感がよくほっくりとさせるためである。沸騰したら八つに裂いたピーマンを入れ、出汁をしみ込ませる。汁気が少ないので蓋をして少し蒸し煮するように調理する。調味料はほとんど使わないが、ご飯との食べ合わせを考えて少々味付けをする。自然塩を少々、甘みを引き出す程度に蜂蜜をほんの少し、そして香りづけに美味しい醤油を数滴たらす。

ピーマンはほとんど煮ずに出汁の香りが少々ついて、鮮やかな緑が出た程度で引き上げる。あくまで湯がくつもり程度だ。そして、残った黒はんぺんは煮えたなぁ、と思うところまで煮て火を止める。

フライパンにピーマン、醤油少々、黒はんぺんの出汁少々、みりんまたは蜂蜜少々、唐辛子少々、を絡めるように汁気が無くなるように煮る。適度にピーマンの歯ごたえが残るようにする。味ははんぺんとの食べ合わせを考えてあまり辛すぎないように。

そして、黒はんぺんとピーマンを一緒に盛りつけて出来上がり。

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ピーマンの苦みと甘みが黒はんぺんとよく合う。
ピーマンはそれだけできんぴらのようにしてもうまいが、黒はんぺんの汁が少し染みるこの合わせ方が味に奥行きが出ていいと思う。

先日、飛騨古川の米をもらったのでそれを炊いて一緒に食べた。久しぶりの自炊は甘かった。ごちそうさま。
静岡の黒はんぺんは、フライにしても美味しい。従姉妹がその食べ方を薦めてくれた。たしかに、母は静岡に帰郷するたびに黒はんぺんを買ってきては時折フライにして夕食に出していた。しかしながら、今はひとりでいるので、揚げ物は後片付けも面倒でさすがにやる気にはなれない。また、いつかどこかでご相伴に預かりたいものである。(2006.10.22記述)

後記)
昨年(2010年)、お世話になった人にこの黒はんぺんを送ろうとしたら、従兄弟に「黒はんぺんなんて、貧しい食い物だったんだから、こんなの送るなんて相手に失礼だよ。」と言われた。特に反論もしなかったが、貧しき中にその土地の暮らしの知恵や気持ちがあって、便利な世の中、裕福な世の中になっても、そういうことを大事にしていかなければ、いつか風土自然から痛い思いをさせられると、いつも私は考えている。清貧と言わないまでも、そうした心持ちが大事だと思うのだか........2011年3月11日、大震災で多くの人の命が奪われた、そして福島第一原発は被災中である。1ヶ月が経ち、人々は原発のことを他人事のように思いはじめている人も大勢いいることだろう。マスメディアに騙されたい人が多くいるような気がしてならない。人間とは愚かだ。..........人間の清貧さの方が、今や絵に描いた餅なのかもしれない。多くの人間(日本人)は享楽の麻薬の海に溺れ、死を感じずに死ぬることを選んでいるのか?

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